2009年度 センター試験【日本史B】問題
(解答番号【1】~【36】)
第1問 高校生のタカシさんは地方政治について興味をもち,「地方行政区画の歴史的変遷」というレポートを作成しました。次の文章A・Bはその一部である。これらの文書を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 12)

A 日本史の教科書を開いたら,「古代の行政区画」として右のような図が載っていた。この地図には(a)畿内・七道諸国の国名などが記されていて,現在の都道府県の区画とは違うところもある。
 地図を見ると,まず陸奥と出羽の大きさが目を引くが,この2国にはいくつもの【ア】が造られたように,律令国家による支配領域がしだいに広がっていったことと関係するようだ。一方,比較的小さな国がまとまっている地域もあり,例えば,播磨から長門までは八つの国がある。この地域には,全国的にも重要な道路である【イ】が整備されたように,古くから,近畿地方と九州や大陸とを結ぶ大動脈が通っていた。
 また,この地図では現在の(b)沖縄県や北海道にあたる地域が除かれている。このことは,当時の政権によって,これらの地域が国家の領域として認識されていなかったことと関係があるようだ。そのような地域に住んでいた人々の生活や社会の仕組みを,もっと調べる必要があると感じた。

地図
【地図1】

問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【1】
(1) ア 城 柵  南海道  
(2) ア 城 柵  山陽道
(3) ア 水 城  南海道  
(4) ア 水 城  山陽道
問2 下線部(a)に関連して,律令国家の地方支配に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【2】
(1) 大宰府には,西海道諸国を統括する機能があった。
(2) 薩摩国には,防衛のために衛士を配置した。
(3) 七道の諸国には,交易を管理するために東西の市司を設けた。
(4) 東国への入口である近江国は,東海道に編入された。
問3 下線部(b)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【3】
(1) 12世紀の沖縄では,尚氏により統一されていた沖縄本島が三つの王国に分裂した。
(2) 13世紀には蝦夷地にも鎌倉幕府の支配がおよび,貝塚文化が消滅することとなった。
(3) 17世紀になると蝦夷地では,松前藩がアイヌとの交易権を家臣に分与する商場知行制がとられた。
(4) 18世紀になると沖縄では,琉球王国が薩摩藩や清と対等な外交関係を結んだ。
B 江戸時代になっても国の名は残ったが,(c)支配の単位としては藩の領域が大きな意味をもった
 明治政府によって廃藩置県が行われると,261藩が廃止され,3府302県になり,その年のうちには3府72県に整理された。そして,統一的な地方制度の整備のために1878年に(d)三新法が制定された。この法律によって,府県単位の議会が設置され,住民の意向を地方行政に反映する道がひらかれた。近代以降の行政区画は,(e)地方自治のあり方とも関連していることがわかった。
 1950年代には「昭和の大合併」が行われ,1999年から「平成の大合併」が始まった。これからは道州制の議論も活発になるだろう。私たちがこうした問題を考えていくうえで,地方行政区画の変遷は,さまざまなヒントを与えてくれるのではないかと思った。

問4 下線部(c)に関連して,大名について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【4】
(1) 徳川氏の一族の大名は関東地方のみに配置され,江戸の防衛をはかった。
(2) 徳川家康のときに大名の配置を決めたのちは,大名の領地替えはなかった。
(3) 幕領に置かれた関東取締出役は,大名領には権限を行使できなかった。
(4) 明治政府のもとで大名は知藩事に任命されていたが,廃藩置県のときに罷免された。

問5 下線部(d)は三つの法律の総称である。その内容の説明として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【5】
(1) 戸籍編成の規則を全国的な制度として統一した。
(2) 画一的な大区・小区という区画をやめ,郡・区・町・村の単位を設けた。
(3) 地方税に関する規則を定めて府県財政の確立をはかった。
(4) 公選の府県会を設置して民意をくみ入れるようにした。
問6 下線部(e)に関連して,地方制度に関して述べて次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【6】
X ドイツ人顧問モッセの指導のもと,中央集権的な府県制・郡制が制定された。
Y 日本国憲法にもとづいて地方自治法が制定され,地方公共団体の首長は住民の直接選挙となった。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

第2問 原始から中世初期までの社会・文化に関する次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 18)
A 弥生時代になると,中国大陸・朝鮮半島から伝わった水田稲作を中核とする農耕文化が日本列島の各地に広まり,北海道と南西諸島を除く列島の大部分では,食料採取から食料生産の段階に移行した。水稲耕作においては,(a)集落を単位とする共同作業の比重が高く,収穫した稲も,集落が共同で保管していた
 次の写真は,この時代に収穫物などを収納したとみられる高床倉庫を復元したものである。集落は,写真のような,土塁,柵列などによって厳重に守られていた。このことから,収穫物や耕地,水利権などをめぐって,(b)集落の間で激しい争いが行われていたことがうかがえる。
甲
図-甲
甲
図-乙

問1 線部(a)に関連して,弥生時代の集落に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【7】
a 稲作によって集落の人々の生活が安定すると,狩猟や漁労・採集などの食料採取はほとんど行われなくなった。
b 集落の祭りには銅鐸や銅剣・銅矛・銅戈などの青銅製祭器が用いられ,共通の祭器を用いる地域的なまとまりも生まれた。
c 埋葬は集落から離れた共同墓地で行われ,その墓には,鉄製の農具や武具が大量に副葬された。
d 集落の共同作業や祭りを指揮していた指導者から,集落を越えた地域の政治的な支配者となる者が現れた。

(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d

問2 下線部(b)に関連して,弥生時代の社会に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【8】
(1) 『後漢書』東夷伝は,当時の争乱の状況を「倭国大いに乱れ,こもごもあい攻伐して歴年ぬしなし」と記している。
(2) 『魏志』倭人伝は,邪馬台国が,朝鮮半島南部の高句麗と交戦したことを記している。
(3) 男性の兵士をかたどった土偶を製作し,アニミズムにもとづく呪術によって,集落の戦勝を祈願した。
(4) 見はらしのよい丘陵や山頂に,戦争に備えるための朝鮮式山城が築かれた。

B 律令国家は,全国支配のために国郡制をしき,中央から派遣された国司のもと,かつての国造をはじめとする有力豪族を郡司に任命して地域の支配に当たらせた。民衆を【ア】作成する計帳に登録し,人頭税である調庸などを徴収する律令国家の地方支配は,郡司による民衆把握を前提に成り立っていた。
 次の写真は,この時代の郡の役所である 郡家ぐうけ郡衙ぐんが)に建てられていた倉庫を復元したものである。これらの倉庫は郡の正倉とよばれ,租税などが収納されていたが,国家は,ここに蓄えた稲を民衆に貸し付けて高い利息をとる【イ】を行った。(c)国家によるさまざまな事業は,こうした財源により支えられていた。

写真3
【写真3】

問3 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【9】

(1)  6年ごとに   賃 租
(2)  6年ごとに   出 挙
(3)  毎 年    賃 租
(4)  毎 年     出 挙

問4 下線部(c)に関連して,律令国家が地方で行った事業に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【10】

Ⅰ 東北地方の蝦夷との戦争のなかで,北上川の上流に志波城を築いた。
Ⅱ 諸国に国分寺・国分尼寺の建立を命ずる詔が出された。
Ⅲ 官道(駅路)に沿って駅家を設けることが律令で定められた。

(1) Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  (2) Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  (3) Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
(4) Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  (5) Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  (6) Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

C 律令国家の支配下で多くの農民が貧窮する一方で,奈良時代末から平安時代初めにかけて,稲・穀をはじめとする大量の動産を所有する有力な農民が現れた。有力農民への富の集中と一般農民の窮乏化は,国家の税収が悪化する原因の一つとなり,やがて,(d)国家による地方支配の転換へとつながった。
 次の図は,12世紀頃に成立した絵巻の一部で,修業僧が,ある長者(富豪)の倉に収められた米俵を念力で飛ばした場面を描いたものである。この図からは,立派な倉が,個人の富の象徴となっていたことがうかがえる。(e)新たに富を得た人々の活動が,貴族たちの関心を集めるとともに,都の文化も地方に広まって,中世の文化が形成された


【図1】


問5 下線部(d)に関連して,10世紀以後の国家による地方支配に関して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【11】
(1) 10世紀初めを最後に,全国的な班田収授は命じられなくなった。  
(2) 耕地を名という単位に編成し,有力農民に耕作を請け負わせた。  
(3) 国家の財源を確保するため,初期荘園の開発を奨励した。  
(4) 国司に一定額の租税の納入を請け負わせ,地方支配を一任した。
問6 下線部(e)に関連して,院政期の文化に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【12】

X 人々の間に流行していた歌謡である今様が,後白河法皇により『梁塵秘抄』にまとめられた。
Y 本来は宮中の芸能であった田楽が,都から地方に伝わり,村の祭礼に取り入れられた。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

第3問 中世から近世初期までの政治と外交に関する次の文章A・Bを読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 18)
A 治承・寿永の内乱に勝利した源頼朝は,鎌倉に幕府を開いた。頼朝と主従関係を結んだ武士(御家人)たちは,頼朝から守護や(a)地頭に任命された。
(b)13世紀初期,将軍を補佐する立場にあった北条氏の政治的地位が上昇し,やがて幕府は,北条氏の指導のもと,朝廷との抗争に勝利し,その支配権を拡大した。この結果武士たちの勢力が強まると,各地で紛争が生じ,それらの解決をはかるために,幕府は裁判の基準となる法令を定めた。

 この法令は,制定の中心になった人物が,その趣旨を(c)御成敗のてい(訴訟・裁判のあり方)を定めて,人の高下を論ぜず, 偏頗へんぱなく裁定せられそうらはん」と説明しているように,裁判の基準を明示し,公平な裁判が行われることを目的として定められた。
問1 下線部(a)に関連して,鎌倉時代の地頭について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【13】

(1) 地頭は全国の公領のみに置かれた。
(2) 地頭の権限は,大犯三カ条とよばれた。
(3) 地頭の収益を保障するため,頼朝は新補率法を定めた。
(4) 地頭は,年貢徴収・納入や土地管理・治安維持に当たった。

問2 下線部(b)に関連して,13世紀初期の政治史に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【14】

X 源頼朝が将軍の地位を追われ,幽閉された。
Y 北条義時は,政所別当に加えて侍所別当を兼任した。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

問3 下線部(c)に関連して,この法令が定められた理由に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【15】

a 田畑の等級・面積を調査し,年貢収入を確保するために定められた。
b 御家人同士や御家人と荘園領主などとの紛争解決のために定められた。
c 守護・地頭の任務・権限を規定するために定められた。
d 御家人所領の売買を禁止し,売却地を無償で取り戻させるために定められた。

(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d

B 15世紀後半以後,キリスト教布教や貿易拡大などを意図したヨーロッパ人は,世界に進出した。東南アジアから東アジアにおける中継貿易に関与していたヨーロッパ人のなかには,日本近海に来航するものも出てきた。
 16世紀半ば,中国船に乗船した【ア】人が種子島に漂着した。その後,ヨーロッパ船も来航するようになり,南蛮貿易が開始された。1549年イエズス会の宣教師フランシスコ=ザビエルが【イ】に来航し,日本にキリスト教を伝えた。以後,多くの宣教師たちが,布教活動を行った。南蛮貿易と(d)キリスト教の布教とは一体化して行われ,貿易による利益を目的として布教を認めた大名もいた。

 (e)南蛮貿易は,当時の日本人の文化や生活にも影響を与えたが,江戸幕府によるキリスト教の禁止や貿易制限強化のなかで衰退していった。
問4 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【16】

(1)  ポルトガル    平 戸
(2)  ポルトガル    鹿児島
(3)  スペイン     平 戸
(4)  スペイン     鹿児島

問5 下線部(d)に関連して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【17】

X 大友義鎮らは,少年使節をローマ教皇のもとに派遣した。
Y 来日した宣教師たちは,教会や神学校などをつくった。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

問6 下線部(e)に関連して,次の写真a~dについて,南蛮貿易と関係するものの組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【18】
写真7
写真8
写真9
写真10

(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d

第4問 近世の政治と社会に関する次の文章A・Bを読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 17)
A 「将軍のお膝元ひざもと」として栄えた江戸は,武家地・寺社地・町人地の三つに分けられていたが,その大半が武家地であった。その中心に(a)江戸城があり,城の周囲には防衛のために堀が幾重にもめぐらされ,多くの門が設けられた。江戸城の東から東南の方角は,(b)江戸城下における町人地の中心として整備された。とくに【ア】地域は江戸城下の商業の中心地として発展し,その東側は魚市場としてにぎわった。
 外国船が日本の近海に出現し始めると,長崎で学び蘭学者と交流のあった林子平は『【イ】』を著した。その中で林は,「江戸の【ア】より から(清国),阿蘭陀オランダまで境なし」と述べ,江戸と諸外国とは海でつながっており,さえぎるものが何もないのに,幕府の海防政策が長崎に限られていることを批判した。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【19】

(1)  日本橋   海国兵談
(2)  日本橋   戊戌夢物語
(3)  堂 島   海国兵談
(4)  堂 島   戊戌夢物語

問2 下線部(a)に関して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【20】

(1) 江戸城や城下の造営には,諸大名へ手伝いが命じられた。
(2) 明暦の大火では,多くの武家屋敷とともに江戸城も類焼した。
(3) 将軍家茂のもとで公武合体策を進めた老中が,城門の近くで襲撃された。
(4) 江戸城は,江戸を占領した新政府軍の総攻撃をうけて落城した。

問3 下線部(b)に関連して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【21】

(1) 地主・家持・地借・店借が,町の構成員として自治に参加した。
(2) 天保の飢饉に際し,江戸の町人地で,町奉行所の元与力が,貧民救済のために武装蜂起ほうきした。
(3) 江戸では,寛政期に飢饉や災害時の対策として町費の節約分の7割を積み立てるよう命じられた。
(4) 江戸全体の人口に占める町人の人口の割合は,9割を超えていた。

B 近世中期になると社会・経済の状況が変化し,農村では百姓身分でありながら商品生産や商業活動に携わる者や奉公人として働く者などが増えていった。次の史料はそうした変化のもとでの織物生産の様子を示したものだが,史料に記された越後とに描かれた尾張とでは地域的な違いがあったことが読み取れる。

史料
およそ織物を専業とする所にては,織人を抱えおきて織らするを利とする。ちぢみにおいては別になき一国の名産なれども,織婦を抱えおきて織らする家なし。これいかんとなれば,縮を一たん(反)になすまでに人の手を労する事かぞえつく しがたし。なかなか手間に賃銭を当て算量つもる事にはあらず,雪中に籠居こもりおる婦女等が手を空しくせざるのみの活業いとなみなり 。(中略)縮を織る処のものはよめをえらぶにも縮のわざを第一とし,容儀は次とす。このゆえに親たるものは娘の幼きよりこの伎を手習てならわするを第一とす。
((c)『北越雪譜』)

図2

(『尾張名所図絵』)


問4 史料で述べられた地域(越後)のことがらについての説明として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【22】

(1) この地域の名産である縮は,専門の織人を置いて生産した。
(2) 縮の生産は労力を多く必要とするので,賃銭を与えて織らせた。
(3) 縮の生産は,農業のできない冬期に女性が従事した。
(4) 親は娘に縮を織る技術よりも,読み書きを第一に学ばせた。

問5 についての説明として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【23】

(1) 織物を生産する織屋の作業場が描かれている。
(2) 腰かけにすわり,足踏みして布を織る高機が使われている。
(3) 糸繰いとくりから機織はたおりの作業まで,分業体制がとられている。
(4) この作業場での生産のあり方は,問屋制家内工業とよばれている。

問6 下線部(c)の著者鈴木牧之は,1770年に生まれ,1842年に没した。次の文a~dについて,この人物の生存中に起きた出来事として正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【24】

a 幕府は,風俗の乱れを取り締まるために,遊里を描いた洒落本作者の山東京伝を処罰した。
b 幕府は,天皇が幕府の許可を得ずに与えた紫衣を無効とし,これに抗議した僧を処罰した。
c 幕府は,湯島聖堂の学問所において,朱子学以外の学問を教えることを禁止した。
d 幕府は,歌舞伎が民衆に人気を博するにつれて,女性が演じることを禁止した。

(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d

第5問 近代の政治・社会に関する次の文章を読み,下の問い(問1~4)に答えよ。(配点 12)
 普通選挙制とは,財産・納税額・身分・性別などによる制限なしに選挙権・被選挙権を認める制度をいう。(a)普選運動が国民の支持を得て広がっていき,政府が対応を迫られていくなかで,【ア】内閣は普通選挙法を成立させ,25歳以上の男性には納税額に関係なく選挙権が与えられた。
 だが,性別による差別は残された。明治期から(b)男女平等・女性の権利拡張を求める声はしだいに高まっていたが,女性の選挙権は認められなかったのである。
 また,政府は同じ議会で【イ】を成立させ,普通選挙によって予想される無産階級の政治的進出をおさえようとした。【イ】は戦前・戦中を通して,(c)社会主義や無政府主義の運動,政府に批判的な人々を取り締まるために用いられた
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【25】

(1)  加藤高明  治安維持法 
(2)  加藤高明  破壊活動防止法 
(3)  原 敬   治安維持法
(4)  原 敬   破壊活動防止法

問2 下線部(a)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【26】

Ⅰ 日本初の社会主義政党が結成され,普通選挙の実現をかかげた。
Ⅱ 第二次護憲運動が展開された。
Ⅲ 選挙権の納税資格が直接国税3円以上に引き下げられた。

(1) Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  (2) Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  (3) Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
(4) Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  (5) Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  (6) Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

問3 下線部(b)に関して述べた次の文X・Yと,それに該当する人物a~dとの組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【27】

X 自由民権運動に活躍したが,大阪事件で逮捕・投獄された。
Y 無政府主義に傾倒し,関東大震災のときに甘粕正彦憲兵大尉らに殺害された。

a 景山(福田)英子  b 市川房枝  c 与謝野晶子  d 伊藤野枝

(1) X―a  Y―c    (2) X―a  Y―d
(3) X―b  Y―c    (4) X―b  Y―d

問4 下線部(c)に関連して,日中戦争勃発ぼっぱつ前後の社会動向に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【28】

X 政府による思想弾圧は宗教にもおよび,キリスト教や国家神道が迫害をうけた。
Y 人民戦線事件で経済学者の大内兵衛らが検挙された。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

第6問 近代日本における代表的な外交官の一人であり,政治家としても活動した幣原喜重郎に関する次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~8)に答えよ。
(配点 23)
A 1872年,現在の大阪府門真かどま 市に生まれた幣原は,大学卒業後外務省に入省し,外交官としての経験を重ねた。第一次世界大戦下において外務次官に就任し,その後の内閣において(a)ロシア革命に対する日本軍の介入の事後処理などに従事した。その後駐米大使としてアメリカに赴任した幣原は,ワシントンで実施された国際会議において全権の一人として出席し,(b)海軍軍縮および中国大陸・太平洋における列強諸国との権益調整に尽力した。
問1 下線部(a)に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【29】

X 日本は,イギリスなど他の派兵国よりも長期にわたって介入を継続した。
Y この軍事介入の影響で,国内の米価が下落し,困窮した農民が全国で騒擾そうじょうを起こした。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

問2 下線部(b)に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【30】

Ⅰ 国策の手段としての戦争の放棄を約した不戦条約に調印した。
Ⅱ 補助艦の総保有量(トン数)を英・米の約7割とすることに合意した。
Ⅲ 主力艦保有量(トン数)を英・米の5分の3に制限することに合意した。

(1) Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  (2) Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  (3) Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
(4) Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  (5) Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  (6) Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

B (c)幣原が外務大臣として活躍した期間は,一時の中断をはさんで1924年から1931年までの長期にわたるが,その間の外交方針はほぼ一貫しており(d)「幣原外交」とよばれた。軍縮条約への取組みなどにこうした姿勢は顕著である。しかしこのような幣原の外交方針は,対立勢力や(e)中国における日本軍の行動によって妨げられることになる。最終的に1931年,陸軍が中国東北部で起こした軍事行動などによって,幣原の外交路線は挫折ざせつした。
問3 下線部(c)に関連して,1920年代の日本は国内で社会運動が活発化した時期としても知られている。次の表を参考にしながら,この時期に農村で起こった小作争議に関して述べた下の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【31】

表1

小作争議の件数と規模
(安藤良雄編『近代日本経済史要覧(第2版)』より作成)

X 普通選挙法が成立した前後の両年を比較すると,小作争議件数は増加をみせたが,その後は一時的に減少した。
Y 世界恐慌の影響が日本に波及した結果,困窮した農民による個々の争議が大規模化する傾向がみられた。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

問4 下線部(d)に関連して,幣原が外務大臣として推進した外交政策について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【32】

(1) 米・英との協調のため,南満州鉄道株式会社の解散を決定した。
(2) 中国国民革命軍の北伐に対抗して,山東半島に出兵した。
(3) 日ソ基本条約を締結し,ソ連との間に国交を樹立した。
(4) 東アジアの結束を誇示するため大東亜会議を開催した。

問5 下線部(e)に関連して,1920年代から30年代にかけての日本軍の国外活動に関して述べた次の文Ⅰ~Ⅲについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【33】

Ⅰ 日本軍が中国の都市南京を占領するに際して,捕虜や非戦闘員を殺害する事件が起きた。
Ⅱ 中国東北部での日本軍の活動に対して,国際連盟からリットン調査団が派遣された。
Ⅲ 関東軍参謀河本大作らが,中国軍閥の一人である張作霖を,奉天郊外において爆殺した。

(1) Ⅰ-Ⅱ-Ⅲ  (2) Ⅰ-Ⅲ-Ⅱ  (3) Ⅱ-Ⅰ-Ⅲ
(4) Ⅱ-Ⅲ-Ⅰ  (5) Ⅲ-Ⅰ-Ⅱ  (6) Ⅲ-Ⅱ-Ⅰ

C 戦後,幣原は知米家としての経歴を買われ,内閣総理大臣に就任した。幣原内閣は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)のいわゆる五大改革指令の実現に取り組んだほか,新憲法草案の作成や天皇の神格を否定する詔書の草案作成にも携わるなど,(f)戦後改革の中心的な政策を次々と実施した内閣であったといえる。また,(g)終戦直後の物価上昇や食糧危機への対策にもつとめたが,1946年4月に実施された戦後初の総選挙において勝利することができず,総辞職した。幣原は,その後も衆議院議長などを歴任し,1951年3月に78歳で没した。(h)講和条約が調印される約半年前のことであった。

問6 下線部(f)に関連して,戦後改革期に実施された諸施策について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34】

(1) GHQにより労働組合の結成が奨励され,労働条件改善を目的とする労働基準法が制定された。
(2) 特別高等警察の廃止や,共産党員などの政治犯の釈放が行われた。
(3) 経済機構の民主化の一環として,独占禁止法が制定された。
(4) GHQにより教育制度の自由主義的改革が指示され,修身教育が導入された。

問7 下線部(g)に関連して,戦後改革期における経済対策に関して述べた次の文X・Yについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【35】

X 降伏と同時に食糧の配給制度が全面的に廃止され,価格の統制も撤廃された。
Y 物価上昇を抑制するため,金融緊急措置令によって国民の預金が封鎖された。

(1) X 正  Y 正    (2) X 正  Y 誤
(3) X 誤  Y 正    (4) X 誤  Y 誤

問8 下線部(h)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【36】

(1) この条約調印と同時に小笠原諸島が返還された。
(2) この条約調印をきっかけとして,警察予備隊が発足した。
(3) この条約の調印と同じ日に,日米安全保障条約が調印された。
(4) この条約の調印には,ソ連を除くすべての交戦国が参加した。