2008年度 センター試験【世界史B】問題
(解答番号【1】~【36】)
第1問 ヨーロッパとアジアを一続きのユーラシア世界と捉えることは,世界史を理解する上で重要なことである。ユーラシア世界の歴史について述べた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)
A ユーラシア大陸の東側に位置する中国は,内陸及び海のルートを通じて古くから外国と通じていた。前漢時代,西域から戻った張騫は,蜀(四川地方)の織物や竹製品がインド経由で中央アジアにもたらされているとの情報を伝えている。
(1)唐代には,長安は国際色豊かににぎわい,「世界帝国」の都にふさわしい隆盛を見せた。ただし,(2)玄奘のインドへの旅は実は国禁を犯すものであった。さらに,(3)明代には海禁令が出されて,朝貢などを除いて,他国との交流が厳しく制限された。しかし,国家の思わくを超えて人々の交流は続いていたのであり,中国は,ユーラシア東部における経済圏・文化圏の中心として,常に重要な位置を占めていたのである。
問1 下線部(1)の王朝の対外政策・対外関係について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【1】
(1) 服属した諸民族をその長に支配させる,
羈縻政策を採った。
(2) 海上貿易の管理のために,
節度使を置いた。
(3) 大越国を冊封した。
(4) 白村江の戦いでは,日本に敗れた。
問2 下線部(2)の人物が訪れた当時のインドの王と王朝の名の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【2】
問3 下線部(3)の時代のアジアの状況について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【3】
B 大航海時代以前の「世界地図」の一つに,「
混一疆理(歴代国都之図」がある(下図参照)。同図は,元代の地図をもとに15世紀の朝鮮で製作されたもので,そこには,中国・(4)
モンゴル・インドからヨーロッパ・アフリカまでの広大な世界が描かれている。また,朝鮮半島南部の松広寺には,元代に(5)
チベット仏教の高僧から与えられたチベット語文書が伝わっており,当時の仏教界の交流範囲の広さをうかがうことができる。これらの地図や文書は,そのころ諸地域の交流が進み,(6)
ユーラシア規模の世界認識が形成されつつあったことを示している。
混一疆理歴代国都之図
問4 下線部(4)の地域に勃興(した遊牧民族について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【4】
(1) 鮮卑が,隋に攻められて東西に分裂した。
(2) 柔然が,5世紀に強勢を誇った。
(3) キルギスが,9世紀に烏孫を滅ぼした。
(4) オイラートが,前漢の皇帝を捕虜にした。
問5 下線部(5)の地域について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【5】
問6 下線部(6)に関連して,13世紀のユーラシア世界とその周辺の情勢について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【6】
問7 文章中の空欄(7)に入れる人の名として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【7】
問8 下線部(8)に関連して,ロシアの東方進出について述べた次の文a~cが,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【8】
a 清から
旅順と大連を租借した。
b 日本との間で,
樺太・千島交換条約を結んだ。
c
義和団事件に際し,清に軍隊を派遣した。
(1) a→b→c
(2) a→c→b
(3) b→a→c
(4) b→c→a
(5) c→a→b
(6) c→b→a
問9 下線部(9)について述べた文として最も適当なものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【9】
第2問 島は固有の文化・社会を維持する一方,より大きな文化圏の一部ともなり,また異なる文化の結節点や複数勢力の利害衝突の場となることもある。島や群島について述べた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~9)に答えよ。
(配点 25)
A 太平洋の島々にヨーロッパ人が初めて接したのは,マゼラン(マガリャンイス)の一行がマリアナ諸島に来航したときである。(1)マリアナ諸島のサイパン島については,その後レガスピがスペイン領と宣言した。以来,この島はスペインの統治下にあったが,1899年にドイツに売却された。第一次世界大戦が勃発(すると,日本はサイパン島を含むドイツ領の島々を占領し,戦後もそれらを(2)国際連盟の委任統治領として支配した。第二次世界大戦中,日米間の激しい攻防戦の舞台となったサイパン島は,戦後,長らくアメリカ合衆国の信託統治下に置かれた。このように,(3)島はしばしば諸国間の勢力争いの場となってきた。
問1 下線部(1)に関連して,欧米諸国のアジア・太平洋地域への進出について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【10】
問2 下線部(2)の統治形態が適用された旧オスマン帝国領の地域の名と,その統治を委任された国の名との組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【11】
問3 下線部(3)に関連して,次の地図中の島a~dをめぐる領有関係について述べた文として最も適当なものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【12】
(1) クロムウェルは,aを征服した。
(2) トラヤヌス帝時代,ローマ帝国はbを獲得した。
(3) ベルリン条約により,ドイツはcの統治権(行政権)を獲得した。
(4) フランスは,dを植民地とした。
B インド南方にあるセイロン島(スリランカ)は,インド洋から(4)東南アジアへ至る海洋交易の中継地として注目されてきた。16世紀初めにポルトガルがこの島のコロンボを占領して拠点を築いたが,17世紀に【ア】に奪われた。インド洋をめぐる列強の対立の場となったセイロン島は,その後,ウィーン会議の結果,正式に【イ】が【ア】から獲得した。第二次世界大戦後,セイロンは【イ】連邦内の自治領として独立し,1972年,スリランカ共和国に改称した。植民地時代に建設された港町ゴールの建造物は,この国の(5)文化遺産として保存され,日常生活の中に生かされている。
問4 文章中の空欄【ア】と【イ】に入れる国の名の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【13】
(1) ア-フランス イ-イギリス
(2) ア-フランス イ-ドイツ
(3) ア-オランダ イ-イギリス
(4) ア-オランダ イ-ドイツ
問5 下線部(4)の諸島について述べた次の文アとイと,下の地図中の島a~cとの組合せとして正しいものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【14】
ア シャイレーンドラ朝の下で,この島の
ボロブドゥールが建てられた。
イ この島で,イスラーム王国の
アチェが栄えた。
(1) ア-a
イ-b
(2) ア-a
イ-c
(3) ア-b
イ-a
(4) ア-b
イ-c
(5) ア-c
イ-a
(6) ア-c
イ-b
問6 下線部(5)に関連して,世界の遺跡や文化財について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【15】
C 島の持つ文化的固有性はときに,(6)
近代ナショナリズムが生んだ統合の理念と
相容(れなかった。下の地図中に示した島aとbは類似の文化的土壌を持っていたが,aは18世紀後半にフランス領となり,bは19世紀にイタリアの一部となる。aの人々の間には,フランス語の使用も普及していったが,異文化に属する者として本土からは差別的まなざしを向けられた。だが,そのaの出身の人々も(7)
フランスの海外植民地では,現地の人々から見れば,本土のフランス人と大きな違いはなかった。
問7 地図中に示した島aとbについて述べた次の文アとイの正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【16】
ア ナポレオンがaに流された。
イ bを含む王国が,
イタリア統一を主導した。
(1) ア-正
イ-正
(2) ア-正
イ-誤
(3) ア-誤
イ-正
(4) ア-誤
イ-誤
問8 下線部(6)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【17】
問9 下線部(7)の一つであったヴェトナムについて述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【18】
第3問 歴史は勝者を中心に語られることが多いが,戦いに敗れた国や人もまた,歴史の一部を形作ってきた。歴史上の敗者や英雄の末路について述べた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)
A 前11世紀ころの中国に成立した周の時代には,天命思想や礼法など,その後の(1)歴代王朝の統治を支える基礎が形成された。一方,周に滅ぼされた殷(商)の民は各地に離散して商業に活躍し,それにちなんで販売行為を「商」と呼ぶようになったとも言われる。また殷の王族が封建された宋国からは,荘子が出た。彼や老子に代表される道家の思想は,やがて(2)中国における知識人文化の一つの基調となった。また道家思想などをもとに成立した道教は,中国の主要な宗教の一つとなり,(3)文化大革命期の受難を経て,今日なお民衆の信仰を集めている。
問1 下線部(1)に関連して,中国の歴代王朝の制度について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【19】
(1) 前漢は,
科挙による官吏登用を開始した。
(2) 新は,周の制度を理想として改革を行った。
(3) 遼は,
衛所制による軍制を整えた。
(4) 元は,
中書省を廃止した。
問2 下線部(2)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【20】
問3 下線部(3)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【21】
B 英雄はときとして悲劇の主人公でもある。前202年,四面楚歌の故事で名高い戦いで,楚の項羽は漢の劉邦に長江北岸に追い詰められて自決した。その悲劇の上に漢帝国が姿を現す。奇(しくも同年,地中海世界では,ローマを苦しめた(4)カルタゴの名将ハンニバルがローマの武将スキピオに敗れた。このザマの戦いの後,(5)ローマ共和政は大きく変容していく。およそ二千年後,そのハンニバルに倣うかのように,(6)ナポレオンはアルプスを越えイタリアに侵入した。彼もまた,ロシアに遠征した後,転落の一途をたどっている。
問4 下線部(4)を建設した人々の名称として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【22】
(1) アラブ人
(2) ペルシア人
(3) ギリシア人
(4) フェニキア人
問5 下線部(5)の時期に起こった出来事について述べた次の文a~cが,年代の古いものから順に正しく配列されているものを,下の(1)~(6)のうちから一つ選べ。【23】
a オクタヴィアヌスが,
アクティウムの海戦で勝利した。
b
グラックス兄弟が,土地改革を行った。
c
第1回三頭政治が成立した。
(1) a→b→c
(2) a→c→b
(3) b→a→c
(4) b→c→a
(5) c→a→b
(6) c→b→a
問6 下線部(6)に関連して,ナポレオンと同時代の各国の状況について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【24】
C スペイン人によって征服された(7)アメリカ先住民は,その後も敗者として扱われた。スペイン人は,(8)先住民に貢納や労働を課し,移住を強いた。しかし,アンデス地方では,「太陽の子」インカを頂点とする世界観と,インカ帝国滅亡の記憶は,先住民たちの中に生き続け,18世紀には,最後のインカ王の末裔(と称する人物が率いる大規模な反乱が起こった。(9)ラテンアメリカ諸国が独立した後の今日でも,アメリカ先住民は,敗北の歴史的記憶を彼らの文化にとどめている。
問7 下線部(7)について述べた文として最も適当なものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【25】
(1) マチュピチュ遺跡は,アステカ王国が建造したピラミッド型神殿の跡である。
(2) スペイン人によって征服される前から,メキシコの先住民は,
馬を使用していた。
(3) スペイン人によって征服された当時,アンデスの先住民は,
文字を持たなかった。
(4) ラス=カサスは,スペイン人による先住民の酷使を正当化した。
問8 下線部(8)に関連して,植民地の動向について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【26】
(1) スペイン領アメリカ植民地では,
黒人奴隷が導入された。
(2) ポルトガル領アメリカ植民地では,
恩貸地制が導入された。
(3) 東南アジアのオランダ領植民地では,17世紀に
コメの強制栽培制度が導入された。
(4) 南アフリカのイギリス領植民地では,
ザミンダーリー制が導入された。
問9 下線部(9)について述べた文として波線部の正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【27】
(1) ブラジルは,1822年に共和国として独立した。
(2) キューバは,独立後にイギリスの事実上の保護国となった。
(3) メキシコ革命の結果,
サパタの独裁政権が打倒された。
(4) チリでは,クーデタによって,
アジェンデ政権が打倒された。
第4問 衣服は単に身体を覆うという実用的な機能にとどまらず,様々な象徴的機能も有している。衣服にかかわる歴史について述べた次の文章A~Cを読み,下の問い(問1~9)に答えよ。(配点 25)
A 社会に身分の区別があった時代には,衣服は(1)身分や階層を表示する手段でもあった。ローマ帝国では,赤紫に染めた衣は,皇帝だけが着用できるものだった。古代地中海世界では絹織物が珍重されたが,中世以降のヨーロッパで生産された主要な(2)織物は毛織物である。柔らかで目の詰んだ高級毛織物がある一方で,庶民の衣料に用いられるような安価な製品も生産された。1294年の(3)フランス国王フィリップ4世の王令では,身分ごとに許される衣服が定められている。このような服飾規制は,地域によっては近代まで存続した。
問1 下線部(1)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【28】
問2 下線部(2)に関連して,織物とその原材料について述べた文として最も適当なものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【29】
(1) 唐代には,
絹が税として納められた。
(2) 皇帝レオン3世は,ビザンツ帝国に
養蚕業を導入し,絹織物業を興した。
(3) 百年戦争の争点の一つは,イギリスに羊毛を輸出する
フランドル地方の支配権だった。
(4) ジョン=ケイによる飛び
梭((飛び
杼()の発明がきっかけとなり,毛織物工業の技術革新が始まった。
問3 下線部(3)の国王の事績について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【30】
B インドでは,古来,手織綿布の生産が盛んであり,綿布はインド内だけでなく,アジアや(4)
アフリカ,ヨーロッパの諸地域へ運ばれて衣服に用いられた。しかし,植民地期,安価な工場製綿布がイギリスからもたらされ,手織綿布産業は衰退した。やがて(5)
20世紀に入り,民族主義運動が高まると,イギリス製綿布は植民地支配の象徴とみなされ,その排斥が呼びかけられた。また,国産品愛用を意味する【ア】が唱えられ,運動参加者の間で,インド製綿布の着用が広がった。民族主義運動の指導者である【イ】も手織綿布の伝統的衣装を愛用したが,その姿は塩の行進の写真aや手紡ぎ機を回すところを撮った写真bに見られる(下図参照)。
問4 下線部(4)の地域の歴史について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【31】
問5 下線部(5)の時期のアジア各地の動向について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【32】
問6 文章中の空欄【ア】と【イ】に入れる語と人の名との組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【33】
C 19世紀,アメリカ合衆国では,綿織物の原料となる綿花の生産に特化した地域が形勢され,「綿花王国」と呼ばれるまでになった。その繁栄を支えたのは,(6)奴隷の労働であった。そして西へと(7)アメリカ合衆国の勢力が拡大すると,鉱山などで働く労働者たちのために,金属のリベットで生地を補強したジーンズが生み出された。ジーンズは,若者ら新世代の抵抗の象徴とされることもあったが,このように(8)歴史上,服飾や広く身体にかかわる事柄が,抵抗や革命などの動きと結び付く例はしばしば見られた。
問7 下線部(6)に関連して,奴隷や奴隷制度について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34】
問8 下線部(7)について述べた次の文aとbの正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【35】
a イギリスから
アラスカを買収した。
b ゴールド=ラッシュがカリフォルニアで始まった後,
大陸横断鉄道が開通した。
(1) a-正 b-正
(2) a-正 b-誤
(3) a-誤 b-正
(4) a-誤 b-誤
問9 下線部(8)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【36】