2008年度 センター試験【世界史B本試】解説
第1問
問1 【1】
(1) ○
 →教科書p.94の11〜12行目「唐は,服属した諸民族の支配には,都護府をおいて羈縻政策とよばれる懐柔策をとった」。
(2) 海上貿易の管理のため広州に置かれたのが市舶司で、節度使ではない。
 →教科書p.96の23行目「広州には市舶司がおかれて海上貿易を獲得した」。教科書p.95の14行目「710年に辺境防備のためにおかれた節度使は、軍事権のみならず、行政権をもって強大化した」。
(3) 唐の時代に大越国は存在しない。
 →教科書p.128の14〜16行目「ヴェトナム北部は、〜(略)〜11世紀はじめ李朝によって昇竜(現在のハノイ)を都とする大越国が建国され」た。
(4) 唐と新羅の連合軍は白村江の戦いで日本に勝利した。
 →教科書p.98の21〜23行目「663年,日本は百済の復興運動を援助して大軍を送ったが,白村江で新羅・唐の連合軍にやぶれた」。
point
中国王朝の周辺民族への冊封体制は頻出事項なので、王朝ごとに整理しておくこと。
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問2 【2】
(1) ○
 →教科書p.67の8〜10行目「ハルシャ・ヴァルダナが7世紀はじめにカナウジを王都として北インドを統合した(ヴァルダナ朝)」この王朝の時、唐僧玄奘や義浄ナーランダー僧院で学んでいる。
(2) アショーカ王は、前3世紀マウリヤ朝最盛期の王。
 →教科書p.64の1〜2行目「前3世紀なかごろ,第3代アショーカ王のとき,南端部をのぞくインド半島を統一し,マウリヤ朝は最盛期に達した」。
(3) チャンドラグプタ1世は4世紀はじめのグプタ朝を建国した王。
 →教科書p.66の3〜5行目「4世紀はじめ,マガダ地方でチャンドラグプタ1世グプタ朝をおこし」た。
(4) ムアーウィヤはウマイヤ朝をおこしたイスラームの王朝。
 →教科書p.109の14〜15行目「ムアーウィヤダマスクスウマイヤ朝をひらき,カリフの権力強化と国家としての政治制度化につとめた」。
point
古代インドの諸王朝の王や事績を整理し、地図で諸王朝の支配領域を確認すること。
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問3 【3】
(1) ○
 →教科書p.229の3〜5行目「琉球では豪族が割拠していたが,明の冊封を受けた中山王尚氏が15世紀はじめに統一し,琉球王国が成立した」。
(2) はカンボジアではなく、15世紀はじめヴェトナム北部の大越を併合した。
 →教科書p.227の24〜25行目「ヴェトナム北部の大越は15世紀はじめに一時期,明に併合された」。カンボジアは15世紀後半以後、アユタヤの属国になっている。
(3) バーブルムガル帝国の建国者で、帝国はイギリスに滅ぼされた。
 →教科書p.278の18〜19行目「乱のさなかの1858年,イギリスはムガル皇帝を廃してムガル帝国を滅ぼ」した。
(4) 西山(タイソン)党の反乱は18世紀後半の出来事。
 →教科書p.228の2〜4行目「(ヴェトナム北部では)18世紀後半,西山(タイソン)反乱がおこると,黎朝は,北部で実権をもつ鄭氏,中南部を実質的に支配する阮氏とともに滅んだ」。
point
15世紀以後の東南アジアは頻出事項、地図でそれら王朝の領域も確認すること。
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問4 【4】
(1) 鮮卑は2世紀以降成長、中国に侵入し4世紀後半、拓跋氏が北魏を建国した。
 →教科書p.84の20〜22行目「2世紀ごろモンゴル系の鮮卑が部族連合を形成し,やがて遼河付近から山西省北部に進出した」。 (2) ○
 →教科書p.85の2〜4行目「モンゴル高原にはモンゴル系の柔然が勢力をもち,5世紀はじめに君主はカガン(可汗)と称した」。
(3) キルギスが滅ぼしたのはウィグル。烏孫は前3世紀の遊牧民。
 →教科書p.86の11〜12行目「9世紀なかば,ウイグルはその支配下にあったトルコ系のキルギス(結骨)に攻められて四散した」。
(4) オイラートが捕虜にしたのは明皇帝である。
 →教科書p.219の1〜3行目「北方では,1449年にオイラトエセン=ハンが,明の正統帝(英宗)を土木堡で捕虜とし(土木の変)」た。
point
モンゴルを舞台とした諸民族の興亡は近年の頻出事項なので、中国王朝と関連づけて理解すること。
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問5 【5】
(1) 7世紀はじめ、ソンツエン=ガンポがチベット高原で吐蕃を建てた。
 →教科書p.87の8〜9行目「7世紀はじめ,チベット人のソンツェン=ガンポがチベット高原に吐蕃をたて」た。
(2) 14世紀後半、ツォンカパが,チベット仏教の革新を唱えて黄帽派を開いた。
 →教科書p.222の7〜9行目「14世紀後半,ツォンカパは戒律をきびしくして,堕落したチベット仏教の革新を唱えた」。この改革派を黄帽派という。
(3) ○
 →教科書p.221の9〜10行目「(清朝下で)、モンゴル・新疆・青海などには藩部として自治を認め,理藩院に監督させる間接統治をおこなった」。
(4) 1950年代以降チベットでは反中国運動が起こったが、中国の自治区とされた。
 →教科書p.354の14〜18行目「1951年,チベットのラサに軍隊を送り,チベット自治準備委員会を設けた。これに不満をいだいたチベットの貴族・僧などに民衆も加わり1959年3月に反乱をおこしたが鎮圧され,ダライ=ラマ14世はインドに亡命した。チベットは1965年9月に自治区とされた」。
point
やや難の出題。この問題で中国の民族問題を再確認するとよい。
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問6 【6】
(1) 10世紀中頃、ブワイフ朝がアバース朝の都バグダードに入城した。
 →教科書p.113の10行目「946年,バグダードに入城したブワイフ朝の君主は,アッバース朝の大アミールに任じられ,イラン・イラク地域を支配した」。
(2) 14世紀、リトアニアとポーランドが合同した。
 →教科書p.155の13〜15行目「ポーランドはカジミエシュ3世のとき統一され,14世紀にリトアニア人とむすんでヤゲウォ朝をたて,神聖ローマ帝国と対抗して発展した。
(3) 12世紀、宋は靖康の変で華北を失った。
 →教科書p.131の2〜8行目「1126年には宋の都開封(べん京)をおとしいれて上皇徽宗・皇帝欽宗以下,多数の皇族・高官を東北奥地に連れ去った(靖康の変)」。
(4) ○
 →教科書p.116の9〜13行目「1250年,アイユーブ朝はマムルーク軍団のクーデタで滅亡し,マムルーク朝が樹立された。マムルーク朝は,イル=ハン国軍を撃退するいっぽう,〜(略)〜,1291年には十字軍をシリアから駆逐した」。
point
13世紀の世界史は同時代史的な視点で理解することが必要である。
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問7 【7】
(1) ニコライ2世はロマノフ朝最後の皇帝で、ロシア革命で退位した。
 →教科書p.313の24〜26行目「このような情勢をみて皇帝ニコライ2世は退位し,ツァリーズムは終わりを告げた。この革命を,三月革命(ロシア暦では二月革命)とよぶ」。
(2) ○
 →教科書p.169の11〜12行目「モスクワ大公イヴァン3世は,1480年にキプチャク=ハン国から自立しモスクワ大公国をたてた」。
(3) 16世紀後半、イヴァン4世は公式にツァーリの称号を用いた。
 →教科書p.199の1〜3行目「モスクワ大公国では,16世紀後半からイヴァン4世(雷帝)が教会の首長を兼ねるとともに,公式にツァーリの称号を用いた」。
(4) 17世紀前半、ミハイル=ロマノフがロマノフ朝をはじめた。
 →教科書p.199の8〜9行目「1613年に,ミハイル=ロマノフロマノフ朝をはじめ」た。
point
エカチェリーナ2世も加えたロシア皇帝の事績を確認すること。
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問8 【8】
a ロシアは清から旅順と大連を租借した。
 →教科書p.302の24行目「(1898年)、ロシアは遼東半島の旅順・大連を租借し、東三省(満州)を勢力圏とした」。
b 日本との間で,樺太・千島交換条約を結んだ。
 →教科書p.288の14〜16行目「1875年には,ロシアと樺太・千島交換条約をむすんで,樺太(サハリン)をロシア領,全千島列島を日本領とするなど,両国間の国境を調整した」。
c 義和団事件に際し,清に軍隊を派遣した。
 →教科書p.303の23〜p.304の1〜4行目「1898年,扶清滅洋のスローガンをかかげた義和団は,1900年北京に進出し,列強の公使館にせまった。〜(略)〜,日本とロシアを主力とする8か国連合軍が侵攻して北京を占領すると,屈服した清朝は連合軍とともに義和団を鎮圧した」。
b→a→cとなり、正解は(3)
point
欧米列強による中国の半植民地化の動きと列強の勢力圏を地図で確認すること。
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問9 【9】
(1) ソヴィエト連邦はドイツとの間でラパロ条約を結んだ。
 →教科書p.322の15〜17行目「1922年には,〜(略)〜ドイツとの間でラパロ条約が締結され,国交がひらかれた」。
(2) 第二次世界大戦直前に独ソ不可侵条約が結ばれた。
 →教科書p.339の10〜13行目「ドイツはついでポーランドへの領土要求を強めたが,〜(略)〜8月23日に独ソ不可侵条約をむすび,ソ連との間でポーランド分割を約束したドイツは,9月1日,ポーランドに侵入した。それに対し,イギリス・フランスが2日後の9月3日にドイツへの宣戦布告をおこない,第二次世界大戦がはじまった」。
(3) ○
 →教科書p.340の2〜4行目「ソ連はさらに,1940年,隣接するバルト3国(リトアニア・ラトヴィア・エストニア)を併合するなど,領土を拡大していった」。
(4) ブレジネフ政権はチェコスロヴァキアに軍事介入し、プラハの春を鎮圧した。
 →教科書p.367の21〜24行目「1968年には,チェコスロヴァキアで,ドプチェク共産党第一書記らの指導のもと,民主化と経済改革をすすめる運動が強まった(プラハの春)。ソ連はこのときもワルシャワ条約機構軍とともに軍事介入し(チェコ事件)」た。
point
通常の学習においても年表を使って、時代の前後関係を確認する習慣をつけよう。
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第2問
問1【10】
(1) フランスがニューカレドニア島を領有した。
 →教科書p.301の図「太平洋地域の分割」。
(2) ○
 →教科書p.301の図「太平洋地域の分割」。アメリカがグアム島を領有した。
(3) ポルトガルがマルク(モルッカ)諸島を領有した。
 →教科書p.178の18〜22行目「ポルトガルは,〜(略)〜スリランカ・マラッカを占領し,マルク諸島(モルッカ諸島または香料諸島)に到達した」。
(4) ドイツがマーシャル諸島を領有した。
 →教科書p.301の図「太平洋地域の分割」。
point
教科書の基本地図は大切で、地図を読みこんでいると確実に理解力があがる。
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問2 【11】
(1) イラク
はイギリスの委任統治領となった。
 →教科書p.328の24行目「戦後のセーヴル条約で,シリアはフランスの,イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスの委任統治領となった」。
(2) シリアはフランスの委任統治領となった。
 →教科書p.328の24行目「戦後のセーヴル条約で,シリアはフランスの,イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスの委任統治領となった」。
(3) ○
 →教科書p.328の24行目「戦後のセーヴル条約で,シリアはフランスの,イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスの委任統治領となった」。
(4) トランスヨルダンはイギリスの委任統治領となった。
 →教科書p.328の24行目「戦後のセーヴル条約で,シリアはフランスの,イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスの委任統治領となった」。
point
第一次世界大戦後の西アジアの地図で委任統治領の確認をすること。
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問3 【12】
  a アイスランド島 b アイルランド島 cキプロス島  dマダガスカル島
(1) クロムウェルはアイルランドを征服した。
 →教科書p.192の19〜20行目「クロムウェルは,王党派打倒を口実にカトリックの多いアイルランドを征服してイギリスの支配下にお」いた。
(2) トラヤヌス帝の時代にはアイルランド島を獲得していない。
 →教科書p.52の10〜12行目「ローマ帝国は最盛期に達した。国内には平和が続き(「ローマの平和」,パクス=ロマーナ),トラヤヌス帝のときに領土は最大となった」。
(3) キプロス島の行政権を獲得したのはイギリスである。
 →教科書p.262の12〜17行目「ドイツのビスマルクの調停で1878年にベルリン会議がひらかれ,新たにベルリン条約がむすばれた。〜(略)〜一方,オーストリアはボスニア・ヘルツェゴヴィナの行政権を獲得し,イギリスはキプロス島の行政権を得た」。
(4) ○
 →教科書p.297の図「ヨーロッパ諸国のアフリカ侵略」。フランスがマダガスカル島を植民地とした。
point
島や群島に関心を持たせる良問。地図を見ることが大切なことを理解しよう。
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問4 【13】
ア オランダ 17世紀にオランダがセイロン島(スリランカ)を獲得した。
 →教科書p.201の5〜10行目「オランダは,1602年に東インド会社(正式名は連合東インド会社)を設け200年間で100万人がアジアへ向かった。〜(略)〜ポルトガルの勢力をやぶり,アンボン事件を機にイギリスの勢力をも駆逐し,〜(略)〜スリランカも彼らの支配下にはいった」。
イ イギリス ウィーン会議の結果、イギリスがセイロン(スリランカ)を領有した。
 →教科書p.249の5行目「イギリスは,戦時中に占領したスリランカやケープ植民地などの領有を認められた」。
アがオランダ、イがイギリスなので、正解は(3)
point
17世紀以降の欧米の対外進出を国ごとに整理し、地図で確認すること。
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問5 【14】
ア シャイレーンドラ朝下で,ジャワ島のボロブドゥールが建てられた。
 →教科書p.71の12〜13行目「ジャワでは8世紀にシャイレーンドラが優勢になり,大乗仏教のボロブドゥール寺院を造営した」。 イ スマトラ島でイスラーム王国のアチェが栄えた。
 →教科書p.228の24行目「スマトラ北西端のアチェ,マレー半島南端のジョホール,ジャワのバンテン・新マタラム,南スラウェシのマカッサルなどの現地諸国」。
地図のAスマトラ島 bジャワ島 cルソン島。アがb、イがaなので正解は(3)
point
東南アジアの島嶼部、群島などの名称を地図で確認することで、東南アジア全体の理解を高めるとよい。
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問6 【15】
(1) モエンジョ=ダーロ(モンジョ=ダロ)はインダス川流域に栄えた都市文明遺跡。
 →教科書p.61の8〜10行目「インダス川流域を中心に,〜(略)〜インダス文明とよばれる。とくに大きな都市遺跡は,パンジャーブ地方のハラッパー,シンド地方のモエンジョ=ダーロである」。 (2) ○
 →教科書p.98の24〜99の7行目「新羅は,6世紀前半には強力な領域国家に成長した。〜(略)〜,骨品制によって王族・官僚貴族の身分を厳格に守った。また5世紀以降ひろまった仏教を国教としたので,首都慶州には仏国寺・石窟庵などのすぐれた仏教建築・美術がうまれた」。
(3) エジプトのピラミッドは,古王国時代の遺跡である。
 →教科書p.33の1行目「古王国では,クフ王らが,人民を動員して,王の権威を象徴するピラミッドスフィンクスをつくらせた」。セレウコス朝シリアは前3世紀〜前1世紀に栄えた王朝。
(4) クノッソスは,クレタ島にあるクレタ文明の遺跡である。
 →教科書p.34の3〜8行目「最大の島クレタには,先住民に小アジアからの移住民が加わって,王国が成立し,前2000年ごろから繁栄した。首都クノッソスには大きな王宮がつくられた。その遺跡から,城壁をもたない平和で明るい海洋的文化が展開したことがわかる(クレタ文明)」。ヒッタイトは前18世紀に小アジアに建国した。
point
遺跡や文化財など世界遺産に注目することで、世界史の関心を高めよう。
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問7 【16】
ア ナポレオンがエルバ島に流された。
 →教科書p.242の14〜15行目「1814年,パリをおとしいれられたナポレオンは,帝位を辞してエルバ島に流され」た。
イ サルデーニャを含む王国が,イタリア統一を主導した。
 →教科書p.258の1〜10行目「1852年にサルデーニャ王国の首相についた自由主義者カヴールは,〜(略)〜,ナポレオン3世とプロンビエールの密約をむすんで,1859年にオーストリアに対してイタリア統一戦争をおこし」た。
aはコルシカ島、bはサルデーニャ島で、アが誤り、イが正しいので、正解は(3)
point
世界史学習では歴史地図を見ることで空間的な広がりが確認できる。
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問8 【17】
(1) シン=フェイン党は,アイルランド独立運動をすすめた。
 →教科書p.319の11〜13行目「アイルランドではイギリスからの独立を求めるシン=フェイン党を中心とする勢力が,第一次世界大戦中に反英蜂起(イースター蜂起)をおこした」。
(2) ○
 →教科書p.250の15〜16行目「オスマン帝国の支配下にあったギリシアが1821年に独立戦争をおこ」した。
(3) 二月革命の後,ローマ共和国を建てたのはカヴールではなくマッツィーニである。
 →教科書p.254の17〜19行目「カルボナリの閉鎖性を批判したマッツィーニは,共和政と統一をめざす青年イタリアをひきいて,1849年にローマ共和国を樹立した」。
(4) フランクフルト国民議会の決議はプロイセン王の拒否で失敗した。1871年にプロイセン王がドイツ皇帝位につきドイツ帝国が成立した。
 →教科書p.259の26〜28行目「1871年,ヴィルヘルム1世はヴェルサイユ宮殿でドイツ皇帝の位につき,ここにドイツ帝国(ドイツ第二帝政)が成立した」。
point
19世紀のヨーロッパ世界史は頻出事項。国ごとに成立・建国の歩みなどを確認すること。
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問9 【18】
(1) ○
 →教科書p.355の17〜19行目「1949年,フランスは,ヴェトナム南部にバオ=ダイ政権(ヴェトナム国)をたてて,ヴェトナム民主共和国に対抗させたが,1954年にディエンビエンフーで大敗し」た。
(2) フランスが,バオ=ダイ政権を樹立させた。
 →教科書p.355の17〜19行目「1949年,フランスは,ヴェトナム南部にバオ=ダイ政権(ヴェトナム国)をたてて,ヴェトナム民主共和国に対抗させた」。
(3) ホー=チ=ミンはハノイでヴェトナム民主共和国の独立を宣言した。
 →教科書p.355の13〜15行目「1945年,日本の敗戦直後,ヴェトナムではホー=チ=ミンのひきいるヴェトナム独立同盟(ヴェトミン)を基礎に,ハノイでヴェトナム民主共和国が成立した」。
(4) アメリカに支援されたゴ=ディン=ディエムが,政権を樹立した。
 →教科書p.359の7〜9行目「ヴェトナム南部では,1955年に親米的なゴ=ディン=ジエム首相がバオ=ダイを追放してヴェトナム共和国を樹立し」た。
point
やや難問だが、第二次世界大戦後のヴェトナムの歴史を整理する上では良問。
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第3問 
問1 【19】
(1) 隋が、科挙による官吏登用を開始した。
 →教科書p.92の6〜7行目「(隋は)学科試験による官吏登用法を採用した(科挙)」。
(2) ○
 →教科書p.80の5〜8行目「1世紀はじめには,外戚の王莽が帝位をうばってをたてるにいたった。王莽は儒教の古典に描かれた周代を理想とし」た。
(3) 明は,衛所制による軍制を整えた。
 →教科書p.216の22〜p.217の2行目「(明は)軍戸は衛所のもとに編成され,兵農一致の軍制が確立した」。
(4) 明は,中書省を廃止した。
 →教科書p.216の10〜11行目「中央官制では,元の最高の行政機関であった中書省をやめ,六部を皇帝に直属させ,宰相の制を廃止した」。
point
中国諸王朝の制度史は頻出事項。制度をまとめてある表などで理解しておくこと。
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問2 【20】
(1) 三国時代から南北朝時代でも儒教が王朝の政治理念だが自由で奔放な議論をする清談が流行した。
 →教科書p.90の17〜19行目「儒教はこの時代でも王朝の統治理念であったが,貴族出身の知識人らの間に,自然で超世俗的な生き方を重んじる傾向がうまれ,自由で奔放な議論をする清談の風がひろまった」。
(2) 陶淵明(陶潜)は,東晋の詩人である。
 →教科書p.91の7〜9行目「東晋の陶淵明(陶潜)や謝霊運などの詩や,対句を駆使した四六駢儷体の美文など,この時代の文学の粋もおさめられている」。
(3) ○
 →教科書p.134の1行目「(宋代に)他方では技巧よりも精神性を尊ぶ士大夫らによる文人画もうまれた」。
(4) 清代に,『紅楼夢』などの小説が書かれた。
 →教科書p.226の4〜6行目「清代には『紅楼夢』『儒林外史』『聊斎志異』などの小説がうまれ」た。
point
教科書や副読本などをていねいに読みこむことで文化史に関心を持っていこう。
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問3 【21】
(1) 中ソ論争は1960年代はじめより行われた。
 →教科書p.368の5〜6行目「1960年代にはいると,中ソ両国は経済政策・緊張緩和外交・部分的核実験停止条約などで公然たる論争をおこなった(中ソ論争)。
(2) 文化大革命の推進役は劉少奇ではなく毛沢東である。
 →教科書p.368の9〜12行目「毛沢東にかわって国家主席となった劉少奇は,〜(略)〜混乱の収拾をすすめた。これを反社会主義的とみた毛沢東は,党と国家の指導権を奪還しようと,1966年からプロレタリア文化大革命をおこした。
(3) ○
 →教科書p.368の12〜13行目「紅衛兵の登場にはじまる全国的な動乱を通じて劉少奇らは失脚し,毛沢東らの実権が確立した」。
(4) 1976年の文化大革命終結後,ケ小平を中心とする指導部が「四つの現代化」を推進した。教科書に該当する記述なし。
point
中国の最近代史は頻出事項となるので、年表などで出来事の前後関係を確認すること。
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問4 【22】
(4) ○
 →教科書p.35の注(3)「フェニキアの代表的な植民市はアフリカのカルタゴ(Carthago)である」。
point
フェニキア人の歴史を理解し、植民した都市を確認しておこう。
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問5 【23】
a オクタヴィアヌスが,アクティウムの海戦で勝利した。
 →教科書p.51の23〜25行目「オクタウィアヌスは,前31年アクティウムの海戦で彼らをやぶった」。
b グラックス兄弟が,土地改革を行った。
 →教科書p.50の7〜9行目「グラックス兄弟は,護民官として有力者の公有地占有を制限し,無産市民に土地を再配分して,土地所有農民層と重装歩兵軍の再建を試みた」。
c 第1回三頭政治が成立した。
 →教科書p.51の9〜15行目「あいつぐ抗争のなかから,ポンペイウスが海賊や奴隷反乱を鎮圧して台頭し,すぐれた軍人のユリウス=カエサル,富豪のクラッススと盟約をむすんで国政をにぎった(第1回三頭政治)」。
古い順に並べるとb→c→aなので、正解は(3)
point
ローマ史の基本問題なので、人名や出来事を確実に理解しておくこと。
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問6 【24】
(1) オーストリアではなくプロイセンでは,シュタインとハンデルベルクによって近代化が推進された。
 →教科書p.242の1〜4行目「ナポレオンの侵入を契機としてヨーロッパではじまった変革のうち最も著しいものは,プロイセンの改革である。イエナの敗戦ののち,シュタインやハルデンベルクらの手で,農奴解放がおこなわれ,行政機構や教育制度も改革され,軍制改革によって国民的な軍隊が創設された」。
(2) ○
 →教科書p.242の8〜10行目「ナポレオンの最初の軍事的なつまずきは,1808年にはじまるスペイン侵略戦争(半島戦争)の失敗で,フランス軍は,これに反抗するゲリラ戦をついに鎮圧できなかった」。
(3) 1905年、インドで,全インド=ムスリム連盟が結成された。
 →教科書p.299の22〜24行目「。同年末(1905年)には,イギリスの援助でベンガル分割令に賛成する全インド=ムスリム連盟もつくられた」。
(4) シモン=ボリバルが独立運動を指導したのはラテンアメリカ。
 →教科書p.264の7〜9行目「ナポレオン時代に,スペインとポルトガルのラテンアメリカ支配がゆらぎ,シモン=ボリバルの指導のもとにベネズエラコロンビアがスペインから独立した」。
point
ナポレオンの生きた時代の同時代史を年表で国や地域ごとに確認すること。
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問7 【25】
(1) マチュピチュ遺跡は,インカ帝国の高地都市遺跡である。
 →教科書口絵写真2.マチュピチュ
(2) アメリカ古文明では牛やなど大型家畜を知らなかった。
 →教科書p.104の23〜24行目「牛・など大型の家畜はなく,ラクダ科の小型獣リャマ(ラマ)・アルパカがアンデスで飼われていた」。
(3) ○
 →教科書p.104の16〜17行目「文字はなかったが,縄の色,結び目(キープ・結縄)でことがらや数量があらわされた」。
(4) ラス=カサスは,スペイン人による先住民の酷使を非難した。
 →教科書p.180の口絵(ラス=カサス)『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でスペインのエンコミエンダ制の非道を痛烈に批判した。
point
アメリカ古代文明の出題頻度は多くないが、興味を持つことで理解する助けとなる。
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問8 【26】
(1) ○
 →教科書p.180の27〜28行目「スペインは労働力を補うためにアフリカから黒人奴隷を輸入し」た。
(2) 恩貸地制はローマ帝国末期の制度。
 →教科書p.148の注(2)「(ローマ末期以来の制度で)土地所有者が自分の土地を有力者にささげてその保護下にはいり,保護者からその土地を恩恵(恩貸地)としてゆだねられる制度」。
(3) 東南アジアのオランダ領植民地では,19世紀にコーヒー・サトウキビ・タバコ・藍など輸出用作物のコメの強制栽培制度が導入された。
 →教科書p.279の17〜22行目「ナポレオン戦争後,オランダの東インド総督ファン=デン=ボスによって,コーヒー・サトウキビ・タバコ・藍など輸出用作物の強制栽培制度がはじめられた(1830年)。しかし,この方法は稲作を犠牲にしておこなわれた」。
(4) 南アフリカではなくインドのイギリス直轄支配地で,ザミンダーリー制が導入された。
 →教科書p.277の注(2)「(インドの)ベンガル地方ではザミンダール(地主)に土地所有権を認めて彼らから地税を徴収し(ザミンダーリー制)」た。
point
教科書で欧米の植民地で行われた諸策を確認し、国ごとに整理すること。
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問9 【27】
(1) ブラジルは,1822年に共和国ではなく君主国として独立した。
 →教科書p.264の11〜12行目「ブラジルは亡命ポルトガル王室を利用して,唯一の君主国として独立した」。
(2) キューバは,独立後にアメリカの保護国となった。
 →教科書p.295の14〜18行目「マッキンリー大統領のときには,キューバ独立支援を理由に米西戦争をおこし(1898年),〜(略)〜キューバは,この戦争の結果スペインから独立したものの,事実上アメリカの保護下におかれることになった」。
(3) メキシコ革命の結果,サパタではなくディアスの独裁政権が打倒された。
 →教科書p.329の17〜20行目「20世紀はじめ以来,サパタらがひきいる農民革命軍が活動しており,自由主義者マデロを中心に結集し,彼らは,革命蜂起に参加して1911年ディアス政権を倒した」。
(4) ○
 →教科書p.379の1〜4行目「ラテンアメリカでは,1970年の選挙で成立したチリのアジェンデ政権が,農地改革や,外国資本の支配下にあった鉱山の国有化をおこない,社会主義化をすすめたが,1973年,アメリカのあとおしを受けた軍部のクーデタで倒され」た。
point
ラテンアメリカ史は学習が手薄になりやすいので、教科書をていねいに読みこなしていこう。
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第4問
問1 【28】
(1) 宋代には,形勢戸が台頭した。
 →教科書p.127の11〜12行目「地主は形勢戸ともよばれ,新しい支配層として大きな役割をはたすこととな」った。
(2) ○
 →教科書p.99の3〜5行目「(新羅は)唐の制度・文化を摂取して律令制をしき,骨品制によって王族・官僚貴族の身分を厳格に守った」。
(3) ヴァルナ制は,四つの身分からなる。
 →教科書p.62の18〜20行目「前10世紀以降,先住民支配はひろがり,またアーリヤ人の階層分化もおこって,バラモン教とむすびついたヴァルナとよばれる四つの基本的身分が成立した。それは,司祭者のバラモン,王侯・戦士のクシャトリヤ,庶民であるヴァイシャ,先住民で隷属民とされたシュードラである」。
(4) ビザンツ帝国ではなく都市国家ローマの時代,パトリキ(貴族)とプレブス(平民)の間で身分闘争が起こった。
 →教科書p.48の19〜23行目「重装歩兵として従軍した平民の政治的要求が高まり,借財問題をきっかけとして貴族と平民の間に抗争がおこった(身分闘争)。
point
身分制度に関わる事項は理解力が問われることが多いので、ていねいに学習すること。
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問2 【29】
(1) ○
 →教科書p.93の図「北魏・唐・日本の租庸調制の比較」
(2) 皇帝レオン3世ではなくユスティニアヌス帝が,ビザンツ帝国に養蚕業を導入し,絹織物業を興した。
 →教科書p.153の8〜10行目「彼(ユスティニアヌス)はまた法の集成を命じ,『ローマ法大全』をまとめさせた。また中国渡来の養蚕業をおこし,商工業を強い統制のもとにおいた」。
(3) 百年戦争の争点の一つは,毛織物生産を行うフランドル地方の支配権だった。
 →教科書p.166の7〜10行目「この争いの背景には,フランドル地方やギュイエンヌ地方をめぐる両国の利害の対立があった」。フランドル地方は毛織物生産で繁栄していた。
(4) ジョン=ケイによる飛び(飛び)の発明がきっかけとなり,木綿工業の技術革新が始まった。
 →教科書p.243の17〜22行目「イギリス社会では良質なインド産綿織物への需要がきわめて高かった。そこで木綿工業の分野では,いかに安価で良質な製品をつくるかの技術革新を求められていた」。ケイの飛びひは織布生産を倍加させる技術革新だった。
point
織物や原料など物に関する出題は増加すること事が予想されるので、教科書や副読本で意識して学習しておくこと。
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問3 【30】
(1) 教皇インノケンティウス3世ではなく、教皇ボニファティウス8世と対立した。
 →教科書p.163の3〜5行目「1303年,フランス国王フィリップ4世は,聖職者にも課税しようとして,これに反対する教皇と争い,教皇ボニファティウス8世をローマ近郊でとらえるにいたった(アナーニ事件)」。インノケンティウス3世は教皇権絶頂の時の教皇である。
(2) アルビジョワ派(カタリ派)を平定したのはルイ9世。
 →教科書p.164の5〜8行目「アルビジョワ派(カタリ派)は善悪二元論にたつ異端であり,南フランスの諸侯とむすんで大きな勢力をほこっていたが,ルイ9世はこれを平定して,王権の影響力を南フランスにひろめた」。
(3) ○
 →教科書164の8〜10行目「フィリップ4世は,ローマ教皇との争いにさいして,1302年に聖職者・貴族・平民の代表を集めて三部会をひらき,その支持を得て国内の統一をすすめた」。
(4) ジョン王と争い,フランス国内のイギリス領の大部分を奪ったのはフィリップ2世。
 →教科書p.164の3〜4行目「フィリップ2世は,イングランド王ジョンと争ってフランス内のイングランド領の大半をうばい,アルビジョワ十字軍をはじめた」。
point
中世ヨーロッパの王や教皇に関しては、紛らわしい人名が多いので、時代や王朝ごとに整理して覚えよう。
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問4 【31】
(1) 東アフリカのインド洋沿岸都市キルワが,ムスリム商人との交易で繁栄した。
 →教科書p.125の7〜10行目「東アフリカのインド洋沿岸には,8世紀からムスリム商人が象牙・黄金・奴隷などを求めて来航していた。12世紀ごろには,マリンディ・ザンジバル・キルワなどのおもな港市国家にムスリム商人の居留地がうまれ」た。
(2) 4世紀にアクスム王国がメロエ王国を滅ぼした。
 →教科書p.101の14〜15行目「(メロエ王国)は、ローマ帝国とも抗争したが,4世紀にエチオピアのアクスム王国に滅ぼされた」。
(3) 15世紀以降、ザンベジ川流域に,モノモタパ王国が成立した。
 →教科書p.125の11〜13行目「ザンベジ川流域では〜(略)〜15世紀以降はモノモタパ王国が黄金を産出し,ソファーラとの交易で栄えた」。なおナイル川上流域には4世紀までメロエ王国があった。
(4) ○
 →教科書p.125の11〜12行目「ザンベジ川流域ではジンバブウェが栄え,巨大な石造建築群がつくられていたことはムスリム商人との交易を物語っている」。
point
アフリカの歴史は学習が手薄になりがち。地図を見て河川などに注意しながら王国を一つずつ確認しておくこと。
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問5 【32】
(1) インドネシアで,イスラーム同盟(サレカット=イスラーム)が結成された。
 →教科書p.300の14〜15行目「(インドネシアで)1911年には,知識人や商人層を中心にサレカット=イスラーム(イスラーム同盟)も成立するなど,自治や独立を求める活動がすすめられた」。
(2) ○
 →教科書p.329の11〜13行目「1921年のクーデタで政権をにぎったレザー=ハーンは,1925年にカージャール朝を倒して立憲君主政によるパフレヴィー朝をひらき,イギリスとの不平等条約を破棄して独立した」。
(3) オスマン帝国で,ミドハト憲法が発布された。
 →教科書p.296の10〜12行目「オスマン帝国では,クリミア戦争後のイギリス・フランスへの従属下で立憲運動が高まり,宰相ミドハト=パシャのもとで,1876年にミドハト憲法が公布された」。
(4) 反共軍事同盟である中東(バグダード)条約機構(METO)が結成された。
 →教科書p.356の18〜22行目「西アジアでは,〜(略)〜,これにイギリス・イラン・パキスタンも加入して中東条約機構(METO)が結成された。こうして,アメリカ・イギリスを中心とするアジアにおける反共包囲網が形成されることになった」。
point
アジア各地の体制に関わる出来事は頻出事項なので、教科書できちんと読みこんでおくこと。
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問6 【33】
バクティ
 →教科書p.67の注(3)「7〜8世紀,ヒンドゥー教に,最高神への愛をこめた絶対的帰依を説くバクティ(帰依信仰)がおこった。この信仰は,南インドにひろがり,14〜15世紀には北インドに伝わった」。
  ガンディー
 →教科書p.327の2〜4行目「国民会議派はこれに抗議し,ガンディーの指導のもとに非暴力・不服従運動が展開された」。
ティラク
 →教科書299の16〜18行目「イギリスは1885年,ムンバイ(ボンベイ)でインド国民会議をひらいた。これは,ヒンドゥー教徒を中心とする国民会議派形成の出発点となったが,ティラクらの指導によって民族意識はさらに高められた」。
  スワデーシー
 →教科書p.299の20〜22行目「国民会議派は,翌1906年のコルカタ(カルカッタ)大会で,ベンガル分割令反対とともに英貨排斥・国産品愛用(スワデシ)・自治獲得(スワラジ)・民族教育の4綱領を決議して抵抗運動を強化した」。
アがスワデーシー、イがガンディーなので、正解は(3)
point
バクティはやや難の語句。それ以外は基本事項。教科書で基本事項の確認をきちんと行うこと。
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問7 【34】
(1) ○
 →教科書p.41の3〜7行目「前6世紀はじめ,アテネではソロンがアルコン(ポリスで最高の役職)になり,調停者として,改革をおこなった。彼は〜(略)〜義務を定めた(財産政治)。さらに負債を帳消しにして,身体を抵当とする借財を禁じ,市民が債務奴隷に転落するのを防止した」。
(2) スパルタクスの率いる奴隷反乱はポンペイウスやクラッススに鎮圧された。
 →教科書p.51の3〜5行目「シチリアの農業奴隷の反乱,スパルタクスにひきいられた剣闘士奴隷の大反乱(スパルタクスの反乱)は,奴隷制の矛盾と危険性を明らかにした」。ハドリアヌスは五賢帝の一人(位117〜138)。
(3) アクバルはムガル帝国第3代皇帝である。
 →教科書p.214の1〜7行目「16世紀はじめ,ティムール朝の王子としてうまれたバーブルが,〜(略)〜ムガル帝国をたてた。その孫の第3代皇帝アクバルは,〜(略)〜,南インドの一部をのぞく全インドからアフガニスタンにいたる大帝国をたてた」。13世紀の奴隷王朝の建国者はアイバク。
(4) 南北戦争中、リンカン大統領が奴隷解放宣言を出した。
 →教科書p.267の8〜10行目「戦争中の1863年に発布された奴隷解放宣言は,1865年に憲法修正第13条として明文化された」。
point
奴隷や奴隷制度に関する基本問題。教科書で復習しておくこと。
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問8 【35】
a ロシアからアラスカを買収したので、イギリスが誤り。
 →教科書p.267の16行目「合衆国は,1867年にロシアからアラスカを買収し」た。
b 1848年以降のゴールド=ラッシュがカリフォルニアで始まった後,大陸横断鉄道が開通した。
 →教科書p.267の16〜18行目「合衆国は,〜(略)〜,中国やアイルランドからの移民を投入して大陸横断鉄道を建設し,太平洋に進出した」。
a が誤り、bが正しいので、正解は(3)
point
アメリカ史の基本事項。比較的アメリカ史は理解しやすいので、教科書をよく読んでおくこと。
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問9 【36】
(1) 後漢で,黄巾の乱が起こった。
 →教科書p.81の8〜10行目「184年張角は農民を組織して黄巾の乱をおこした。乱はたちまち全土に拡大し,これが原因で行政能力を失った後漢は,220年に滅んだ」。
(2) フランス革命で,都市の民衆がサンキュロットと呼ばれた。
 →教科書p.236の挿絵「サン=キュロット」の解説。
(3) ○
 →教科書p.258の17〜18行目「青年イタリア出身のガリバルディは,1860年,千人隊(赤シャツ隊)をひきいて両シチリア王国を占領した」。
(4) 太平天国が,纏足を禁止する政策を打ち出した。
 →教科書p.286の10〜13行目「太平天国は,男女の平等,財産の共有にもとづく土地の均分を原則とする天朝田畝制度を公布し,また纏足の禁止,アヘンの厳禁,対等な外交などを主張した」。
point
教科書の図版や挿絵などをよく見ておくと、時代の理解が早まる。
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