2005年度 センター試験【日本史B】問題
(解答番号【1】~【36】)
第1問 原始・古代から現代までの集落や都市の歴史に関するA~Cの文章を読み,下の問い(問1~6)に答よ。(配点 17)
A 旧石器時代から縄文時代初めころまで,人々は小集団での移動生活を送っていた。その後しだいに定住化がはじまり,大きな集落も造られるようになった。
 (a)弥生時代に水稲耕作がはじまると,集団間の争いが多くなり,周囲にほりや土塁を巡らす環濠集落が現れた。(b)古墳時代になると,大規模な古墳や灌漑かんがい用水路の築造など,多くの人を動員する土木工事がさかんになる。ただし弥生・古墳時代にすでに都市が建設されていたかどうかは,明らかでない。
 7世紀に国家を形成する動きが本格化すると,中国に倣った都城の建設がはじまった。その後,平城京・平安京などの都城が造営され,国ごとに設けられた国府のなかには都市的景観をみせるものも現れた。
問1 下線部(a)に関連して,この時代の集落やそこでの生活に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【1】
a 青銅製の刃先をもつ農具が,全国的に普及していた。
b 日常の生活に不便な山頂や丘陵上にも,集落が造られた。
c 鉄器・青銅器が海外からもたらされるとともに,日本列島内でも作られるようになった。
d 乗馬の風習や硬質の土器が朝鮮半島から伝わった。
(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d
問2 下線部(b)に関連して,この時代の集落やそこでの生活について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【2】
(1) 平形銅剣や銅矛(鉾)などの青銅製祭器を用いる祭祀さいしが行われた。
(2) 当時の建物のあり方は,埴輪から知ることができる。
(3) 支配者は,民衆の住む集落から離れた場所に,居館を造った。
(4) この時代の後期に,小規模な古墳が爆発的に増加した。
B 古代に成立した都市は,律令政治の衰退とともに変質を余儀なくされた。一方で,鎌倉時代から室町時代になると,鎌倉や守護所などの政治都市が成立した。さらに,寺社の門前や境内,交通・交易の要衝など,各地に(c)都市的な場が発達した。そこでは,商工業・金融業・運輸業など,農業以外の多様な生業に携わる人々が活動した。
 戦国時代には,(d)大名が家臣や商工業者を集住させて城下町を築いたほか,寺内町なども発達した江戸時代になると,城下町のほか門前町・港町・宿場町・鉱山町などが各地で発展した。これらのなかには現代まで都市として存続している所が多い。
問3 下線部(c)に関連して,室町時代における都市の種類とその実例の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【3】
(1) 門前町-富田林  (2) 港 町-富田林
(3) 門前町-桑 名  (4) 港 町-桑 名
問4 下線部(d)に関して,戦国時代から江戸時代にかけて発達した都市について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【4】
(1) 堺は,内海航路の拠点であるとともに,清との貿易で栄えた。
(2) 小田原は,北条氏が城下町として整備して栄えた。
(3) 山口は,大友氏の城下町であり,京都の文化が移植されて栄えた。
(4) 大坂は,角倉了以らの豪商を生むなど,商業の中心都市として栄えた。
C 江戸時代の都市の多くは,明治に入って,官公庁・公共機関等が設置されるとともに,新たな歩みをはじめる。しかし,都市化が一挙に進んだのは,(e)第一次世界大戦の好景気を経たのちのことである。
 都市のターミナル駅と郊外を結ぶ郊外電車の沿線には,住宅地が造成され,遊園地など娯楽施設が設けられた。新興住宅地に建てられた和洋折衷の文化住宅では,【ア】に照らされた食卓を囲む一家団欒だんらんの姿がみられるようになった。
 第二次世界大戦後の高度成長期になると,太平洋側の臨海部を中心に新鋭の製鉄所や石油化学【イ】などがつくられ,新しい工業都市が形成された。しかし1970年代になると大都市での工業化は一段落し,商業やサービス業の比重が高まった。
問5 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【5】
(1) ア 石油ランプ   コンビナート
(2) ア 石油ランプ   コンツェルン
(3) ア 電 灯   コンビナート
(4) ア 電 灯   コンツェルン
問6 下線部(e)に関連して,1910年代の工業の発展に関して述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【6】
X 猪苗代-東京間の長距離送電に成功した。
Y 工業生産額が大幅に増大し,農業生産額を上回った。
Z 重化学工業生産額が大幅に増大し,軽工業生産額を上回った。
(1) X 正  Y 正  Z 誤  (2) X 正  Y 誤  Z 正
(3) X 誤  Y 正  Z 誤  (4) X 誤  Y 誤  Z 正
第2問 古代の歴史書と歴史研究に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 『日本書紀』は神話から7世紀までの歴史を記しているが,古い部分の記述は信憑性しんぴょうせいが低い。そのため,歴史を考える材料としては中国の史書や同時代に作られた金石文が中心となる。たとえば,ワカタケル大王と読める銘文のある鉄剣が出土して,雄略天皇と伝えられてきた天皇が5世紀後半に実在したことが確かめられた。(a)6世紀なかごろに「帝紀」「旧辞」がまとめられているので,このころからある程度の史実を伝えていると考えられている
 もっとも7世紀の記事もすべてが正しいとはいえない。『日本書紀』の改新の詔には全国に【ア】を置いたと記されている。しかし【イ】の跡から出土した木簡によって,実は大宝令が施行されるまでは【ウ】の文字が用いられていたことがわかった。『日本書紀』は大化改新で律令国家の枠組みが整ったように記しているが,改新の詔がもとの文章を伝えているか疑問が提起され,(b)今日では,律令国家の形成は天智・天武朝に進んだとする見方が有力になっている
問1 空欄【ア】~【ウ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【7】
(1) ア 評   平城京   郡
(2) ア 評   藤原京   郡
(3) ア 郡   平城京   評
(4) ア 郡   藤原京   評
問2 下線部(a)に関して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【8】
(1) 「帝紀」「旧辞」は,『日本書紀』のもとになった資料の一つである。
(2) 「帝紀」「旧辞」を編纂へんさんした人物の一人に蘇我馬子がいる。
(3) 「帝紀」「旧辞」は,『古事記』のもとになった資料の一つである。
(4) 朝鮮半島からの渡来人が,文字による記録の作成に当たった。
問3 下線部(b)に関して,次の甲・乙と,その在位中の出来事I~IIIの組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【9】
 天智天皇   天武天皇
I 八色の姓が定められた。
II 庚午年籍が作られた。
III 飛鳥浄御原令が施行された。
(1) 甲-I  -II  (2) 甲-I  -III
(3) 甲-II  -I  (4) 甲-II  -III
B 8世紀の歴史を記す『続日本紀』は,『日本書紀』に比べて史料としての信憑性は増すものの,国家が作った歴史書として一定の歴史観に立っていることに変わりはない。発掘調査や出土した木簡などからわかる新しい事実にもとづき,国家の歴史書とは別の角度から歴史を見る必要がある。長屋王邸跡出土の木簡には「長屋親王宮」と書かれているものや,邸内に鶴や馬が飼われていたことを示すものがある。(c)これらのことから,長屋王の権勢の大きさが,『続日本紀』が伝える以上に明らかになった
 (d)六国史は,同じような体裁で9世紀までの歴史を記しているが,それ以降の国史は完成しなかった。それに代わって平安時代中後期の歴史を考えるための主な材料となるのは,『御堂関白記』などの貴族の日記である。また,11世紀半ばになると,(e)物語文学の影響を受けて成立した仮名書きの歴史物語も登場し,これらも重要な材料となる。
問4 下線部(c)に関して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【10】
a 長屋王は親王(天皇の子や兄弟)と記されているが,天武天皇の孫である。
b 長屋王には,平城宮内に広大な邸宅が与えられた。
c 長屋王は,藤原不比等によって自殺させられた。
d 長屋王の死後,藤原不比等の娘の光明子が皇后になった。
(1) a・c  (2) a・d  (3) b・c  (4) b・d
問5 下線部(d)に関して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【11】
(1) 六国史の最後となったのは,『日本三代実録』である。
(2) 六国史は,中国の史書に倣い,編年体で記された。
(3) 格式の編纂は,9世紀に作られた貞観格式が最後になった。
(4) 9世紀には,漢文学がさかんで,高度な漢詩文が作られるようになった。
問6 下線部(e)に関連して,次の文学作品I~IIIについて古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【12】
I 『伊勢物語』  II 『紫式部日記』  III 『栄花(華)物語』
(1) I-II-III  (2) I-III-II
(3) II-I-III  (4) II-III-I
第3問 中世の社会と文化に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 鎌倉時代の戦争では,馬上から矢を放つ騎射の技術が重視されており,武士は遠くから固定した的を射る【ア】などの訓練を積んでいた。しかし元軍が襲来した【イ】で,日本勢は上陸した相手の集団戦法に苦しんだ。そこで幕府は,再度の襲来に備えて博多湾岸に防塁を築いた。
 鎌倉幕府に反旗を翻した楠木正成らは,民衆をも戦闘員として動員し,山に城を築いて立てこもる戦術を採って幕府の大軍に対抗した。(a)内乱が長引くなかで,農民の自治的な動きも活発化し,室町幕府は土一揆の蜂起ほうきに苦しむこととなる。
 応仁・文明の乱によって室町幕府を中心とした秩序が乱れると,各地で大規模な戦乱が生じるようになり,堀や土塁を築いて防備を固めることが広まった。
 (b)戦国の争乱のなかから台頭した織田信長は,有力農民を家臣に取り立て,長槍ながやり隊や鉄砲隊を編成するとともに,石垣を用いた大規模な城郭を築いた。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【13】
(1) ア 笠 懸   弘安の役  (2) ア 笠 懸   文永の役
(3) ア 犬追物   弘安の役  (2) ア 犬追物   文永の役
問2 下線部(a)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【14】
(1) 守護は兵粮米確保のために,刈田狼藉の権限を認められていた。
(2) 南北朝の内乱の経過が『増鏡』にまとめられた。
(3) 近江の運送業者の蜂起をきっかけとして,正長の土一揆が起こった。
(4) 足利義教が嘉吉の土一揆との戦いで敗死した。
問3 下線部(b)に関連して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【15】
I 足利義昭を擁して上洛した。
II 長篠の戦いで武田勝頼を破った。
III 桶狭間の戦いで今川義元を破った。
(1) I-II-III  (2) II-I-III
(3) III-II-I  (4) III-I-II
B 戦乱の時代を生きた中世の人々は,現世での安穏と来世での救いを願い,神社や仏寺の造営に莫大ばくだいな富を費やした。鎌倉幕府を開いた源頼朝は,平氏によって焼き討ちされた(c)東大寺の再建事業に協力し,開眼供養には大勢の御家人を引き連れて参列した。
 寺院の造営や修理は,大陸に貿易船を派遣し,その利益を費用に充てて行われることもあった。(d)1976年に韓国南西部の新安沖で発見された沈没船は,鎌倉末期に東福寺の再建のために仕立てられた船とみられており,そこからは約2万点の陶磁器などが引き上げられている。
 また一方で,広く庶民から寄付を募って寺社の造営・修理の費用に充てることもさかんに行われた。(e)室町時代には,能を上演して人々を集め,観客から寄付を募る勧進猿楽がしばしば催された
問4 下線部(c)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【16】
(1) この再建事業への協力を求めるため,僧の空也は諸国を巡った。
(2) この再建事業の費用に充てるため,源頼朝は諸国から棟別銭を徴収した。
(3) 堂舎の再建では,古代の建築様式を忠実に守ることが重視された。
(4) 仏像の制作では,運慶ら奈良仏師たちが活躍した。
問5 下線部(d)に関して述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【17】
X この船は,中国で積み込んだ荷を日本へ運ぶ途中で沈没した。
Y この船が沈没した当時,朝鮮半島は新羅が支配していた。
Z この船は,明の皇帝が発行した渡航許可証を所持していた。
(1) X 正  Y 誤  Z 正  (2) X 正  Y 誤  Z 誤
(3) X 誤  Y 正  Z 正  (4) X 誤  Y 正  Z 誤
問6 下線部(e)に関して,能が上演されている様子を描いた図として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【18】
(1)

(2)

(3)

(4)

第4問 近世の政治・社会や文化に関するA・Bの史料・文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 17)

(「出羽国村山郡文書」)
この史料は,幕府が(a)キリシタンに対する統制を強めるため,村々から提出させた【ア】の一例である。ここで「来運寺」は,「藤兵衛」などの【イ】として,彼らがキリシタンでないことを証明している。このように民衆が【イ】を持つようになったことで,(b)寺院と民衆との新たな関係が生まれた。【ア】には家族ごとに名前・年齢・続柄などが書き込まれ,これはやがて人口調査の役割をも果たすようになった。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【19】
(1) ア 宗門改帳(宗旨人別帳)  【イ】 檀那寺
(2) ア 宗門改帳(宗旨人別帳)  【イ】 地 主
(3) ア 検地帳  【イ】 檀那寺
(4) ア 検地帳  【イ】 地 主
問2 下線部(a)に関連して,キリスト教や幕府の対外政策に関して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【20】
I コレジオやセミナリオが,各地に建てられた。
II 中国人の居住地を,長崎の唐人屋敷に限定した。
III 中国船以外の外国船の寄港地を,平戸と長崎に制限した。
(1) I-II-III  (2) I-III-II
(3) II-I-III  (4) III-II-I
問3 下線部(b)について,安土・桃山時代および江戸時代の寺社や宗教について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【21】
(1) 寺社のなかには,幕府から領地を与えられるものがあった。
(2) 新たな民衆宗教として,幕末に金光教が創始された。
(3) 方広寺の鐘銘問題がきっかけとなり,禁教令が出された。
(4) 有馬晴信は,キリスト教を信仰した大名である。
B 江戸時代の中後期になると,出稼ぎなどで農村から(c)都市に出る人が増加した。関東や東北地方では,飢饉ききんの影響などもあって,農村の荒廃が特に顕著であった。一方,都市では人口が増加して下層民が生み出され,さまざまな社会問題を引き起こした。こうした社会問題に対処するため,(d)松平定信は,都市政策と農村政策を連動させた改革政治を推進した。また,(e)水野忠邦もいくつかの政策を試みたが,根本的な解決は得られなかった。
問4 下線部(c)に関して,江戸時代の都市社会について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【22】
(1) 江戸や大坂の有力な両替商が,大名貸や為替業務を行った。
(2) 幕末になると,異様な風体をした「かぶき者」が横行しはじめた。
(3) 大槻玄沢は,江戸に私塾芝蘭堂を開いた。
(4) 西山宗因らの談林派による俳諧はいかいがもてはやされた。
問5 下線部(d)の人物が行った政策に関して述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【23】
X 江戸で町入用を節約させ,七分積金を行わせた。
Y 飢饉に備えるため,米穀の貯蔵を命じた。
bZ 『海国兵談』の著者である佐藤信淵を処罰した。
(1) X 正  Y 正  Z 誤  (2) X 正  Y 誤  Z 誤
(3) X 誤  Y 正  Z 正  (4) X 誤  Y 誤  Z 正
問6 下線部(e)に関連して,水野忠邦は次のような法令を出している。この史料から読み取れることについて述べた文として正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【24】
 近年御府内(注1)へ入り込み,裏店うらだな(注2)等借り請け居り候者の内には妻子等もこれ無く,一期いつき住み(注3)同様のものもこれ有るべし。左様さようの類は早々村方へ呼び戻し申すべき事。  (『牧民金鑑』)
(注1) 「御府内」とは,江戸を指す。
(注2) 「裏店」とは,町屋敷の裏にある借家のことである。
(注3) 「一期住み」とは,一年契約の奉公人のことである。
(1) 農民の妻帯を禁止している。
(2) 農民の出稼ぎを奨励している。
(3) 江戸への流入者を定住させようとしている。
(4) 江戸への流入者を帰村させようとしている。
第5問 近代の政治と外交に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~8)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 21)
A 1890年12月,第1議会の施政方針演説で,首相【ア】は,「列国ノ間ニ介立シテ一国ノ独立ヲ維持スルニハ,ひとり主権線ヲ守禦しゆぎよスルノミニテハ,決シテ十分トハ申サレマセヌ。必ズまた(a)利益線ヲ保護致サナケレバナラヌ」と述べ,内閣は軍事拡張予算を提出した。「主権線」とは国土を指し,「利益線」とは「主権線ノ安危ニ密着ノ関係アル区域」を指している。
 衆議院は,立憲自由党,立憲改進党などの民党が多数を占めていた。民党は,「経費(政費)節減」,「【イ】」をスローガンに,軍拡予算に反対した。
 (b)こうして政府と民党との対立は,日清戦争直前の第6議会まで続いたしかし,開戦と同時に,民党は政府批判を中止して巨額の軍事予算案を承認し,(c)政府に批判的だった新聞・雑誌も戦争遂行に同調した
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【25】
(1) 【ア】 寺内正毅 【イ】 民力休養  (2) 【ア】 寺内正毅 【イ】 大同団結
(3) 【ア】 山県有朋 【イ】 民力休養  (4) 【ア】 山県有朋 【イ】 大同団結
問2 当時,下線部(a)とみなされていた主な地域として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【26】
(1) 朝 鮮  (2) 台 湾  (3) 樺 太  (4) 内蒙古
問3 下線部(b)に関して,この時期に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【27】
(1) 立憲同志会が結成された。
(2) 衆議院議員選挙人の納税資格が,直接国税3円以上に引き下げられた。
(3) 政府による激しい選挙干渉が行われた。
(4) 朝鮮で,壬午軍乱(壬午事変)が起こった。
問4 下線部(c)に関連して,日清戦争開戦以前に創刊された新聞・雑誌として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【28】
(1) 『国民新聞』  (2) 『日本』  (3) 『日本人』  (4) 『キング』
B 護憲三派の連合内閣である加藤高明内閣から犬養毅内閣まで,(d)「憲政の常道」に従って内閣が組織される(e)政党内閣の時代がしばらく続く護憲三派内閣とそれに続く憲政会単独内閣では,幣原喜重郎が外相をつとめ,ワシントン体制の下で幣原外交とよばれる協調外交を展開した。
 次に登場した【ウ】の田中義一内閣は,対中国強硬策を採ったが,関東軍が起こしたいわゆる満州某重大事件の事後処理を誤り,総辞職した。次いで組閣した【エ】の浜口雄幸は,再び幣原を外相に起用し,悪化した日中関係の改善につとめ,また,ロンドン海軍軍縮条約に調印した。野党・軍部などは,政府が軍令部の同意なしに兵力を決定するのは(f)統帥権干犯であるとして激しく攻撃したが,浜口内閣は反対派を抑えて条約の批准にこぎ着けた。
問5 空欄【ウ】【エ】に入る政党名の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【29】
(1) 【ウ】 立憲政友会 【エ】 革新倶楽部
(2) 【ウ】 立憲政友会 【エ】 立憲民政党
(3) 【ウ】 立憲民政党 【エ】 立憲政友会
(4) 【ウ】 立憲民政党 【エ】 革新倶楽部
問6 下線部(d)を説明した文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【30】
(1) 憲法の規定により,衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を組織する。
(2) 慣例として,衆議院で多数の議席を占める政党が内閣を組織する。
(3) 憲法の規定により,元老が次の首相を推薦する。
(4) 慣例として,貴族院で多数の議席を占める政党が内閣を組織する。
問7 下線部(e)に関連して,護憲三派内閣以降の政党内閣の時代に起こった出来事について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【31】
(1) 価格等統制令が出された。
(2) 段祺瑞政権に西原借款が供与された。
(3) 憲政党が結成された。
(4) 金輸出再禁止が断行された。
問8 下線部(f)に関連して,大日本帝国憲法で定められた天皇大権として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【32】
(1) 緊急勅令の制定権  (2) 法律・予算の審議権
(3) 文武官の任免権  (4) 宣戦・講和,条約締結権
第6問 近現代の政治と経済に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~4)に答えよ。(配点 11)
A (a)満州事変を境に,日本の進路は大きく転換することになった国内では軍部が政治への影響力を増す一方,対外的には国際連盟を脱退し,孤立への道を歩むことになる。
 1937年7月に日中戦争がはじまると,近衛文麿内閣が【ア】を行い,産業報国会の結成など,戦争協力のための国民の組織化を推進した。日中戦争が長期化すると,日本と英米との対立が激化し,アメリカは1939年7月に日本に対し【イ】の廃棄を通告し,翌年この条約は失効した。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【33】
(1) 【ア】 国民精神総動員運動 【イ】 日米修好通商条約
(2) 【ア】 国民精神総動員運動 【イ】 日米通商航海条約
(3) 【ア】 翼賛選挙 【イ】 日米修好通商条約
(4) 【ア】 翼賛選挙 【イ】 日米通商航海条約
問2 下線部(a)に関連して,満州事変から1945年の日本の敗戦までに起こった出来事として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34】
(1) 暴力主義的な政治活動を取り締まる目的で,破壊活動防止法が制定された。
(2) 「ぜいたくは敵だ」のスローガンの下,国民生活の切り詰めが求められた。
(3) 国民徴用令によって,一般国民が軍需工場に動員された。
(4) アメリカが,B29爆撃機による日本本土の空襲を行った。
B 1960年代,日本の企業は設備投資と技術革新を進めた。その結果,日本経済の国際競争力は強化され,1968年には,日本の国民総生産は資本主義国で世界【ウ】となった。
 政治面では,1960年に民主社会党が結成されるなど,野党の【エ】が進んだ。また(b)1960年代後半には,支持政党なしとする人々が増え,有権者の政治意識も変化していった。
問3 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【35】
(1) 【ウ】 第1位 【エ】 合 同  (2) 【ウ】 第1位 【エ】 多党化
(3) 【ウ】 第2位 【エ】 合 同  (4) 【ウ】 第2位 【エ】 多党化
問4 下線部(b)の時期に起こった出来事として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【36】
(1) アメリカのヴェトナムへの軍事介入に対し,反対運動が広がった。
(2) 労働運動が高まり,全日本産業別労働組合会議(産別会議)が結成された。
(3) 重要産業統制法が制定され,カルテルの結成がはかられた。
(4) 国鉄職員の人員整理が発表された直後,下山事件が起こった。