2004年度 センター試験【日本史B】問題
(解答番号【1】~【36】)
第1問 古代から現代までの学校と学問に関するA~Cの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 奈良時代には中央に大学,地方に国学があり,貴族や郡司などの子弟を対象に,儒教の経典を中心とする教育が行われた。
 平安時代に入ると,有力な貴族は【ア】を設け,一族の子弟を寄宿させて,勉学の便宜をはかった。大学・国学が官吏養成機関であったのに対し,【イ】が設立した綜芸種智院では,僧侶そうりよや庶民が学んだ。
 足利学校は15世紀中ごろに再興され,以後発展して,戦国時代に「坂東の大学」と称された。一方,応仁の乱が発生すると,京都から公家や禅僧が地方に下り,(a)各地に学問・思想を伝えた
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【1】
(1) ア 大学別曹  最澄
(2) ア   最澄
(3) ア 大学別曹  空海
(4) ア   空海
問2 下線部(a)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【2】
(1) 桂庵玄樹は,肥後の菊池氏に招かれ海南学派を興した。
(2) 桂庵玄樹は,薩摩の島津氏に招かれ薩南学派を興した。
(3) 絶海中津は,肥後の菊池氏に招かれ海南学派を興した。
(4) 絶海中津は,薩摩の島津氏に招かれ薩南学派を興した。
B 江戸時代,幕府や藩は,君臣・父子の別をわきまえ,上下の秩序を重んじる朱子学を受け入れた。幕府は上野忍ヶ岡にあった(b)林家の家塾を湯島に移し,学問所として整備して,林家に主宰させた。諸藩もまた,藩校を設置し,藩士の子弟を教育した。
 一方,庶民の教育としては,18世紀初め,大坂町人の出資によって懐徳堂が設立され,朱子学や陽明学などが講じられた。同じころ,京都の石田梅岩は,(c)心学を興した。商工業の発達と文化の普及にともなって,庶民の読み・書きへの関心が高まり,江戸中期以降,寺子屋が各地に数多く開設された。
問3 下線部(b)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【3】
(1) この学問所は,のちに昌平坂学問所となった。
(2) この学問所では,『古事記伝』が編纂へんさんされた。
(3) 徳川綱吉は,朱子学以外の学派を異学と定めた。
(4) 徳川綱吉は,林鵞峰を大学頭に任命した。
問4 下線部(c)について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【4】
(1) 心学は,商人の商業活動を正当なものとして認めた。
(2) 心学は,儒教道徳に仏教・神道の教えを取り入れてつくられた。
(3) 心学は,山片蟠桃らによって全国に広められた。
(4) 心学は,倹約・正直などの徳目を庶民に説いた。
C 明治政府は1871年文部省を設置し,フランスなどに範をとりながら,翌年には学制を発布した。それは,「学問は身をたつるの財本ざいほん」であるとする実学主義に立ち,「むらに不学の戸なく家に不学の人なからしめん」との国民皆学の理念の下に,(d)近代的な学校教育制度の確立をめざしたものであったしかし,現実には,当時の国家財政や国民の実情に適合しなかった。そのため,その後の試行錯誤を経て,1886年に学校令ならびに諸学校通則が制定され,ここに学校教育体系の基本的枠組みが成立した。(e)その枠組みは,若干の改変を経ながらも,第二次世界大戦後に新学制が制定されるまで続いた
問5 下線部(d)に関連して,19世紀後半の教育・思想について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【5】
(1) 中江兆民は,『民約訳解』でヘボンの思想を紹介した。
(2) 福沢諭吉は,慶応義塾を創立した。
(3) 人間の自由・平等を説いた天賦人権思想が導入された。
(4) 新島襄は,同志社(同志社英学校)を創立した。
問6 下線部(e)に関連して,この間に起こった出来事を述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【6】
I 大学令が公布され,公立・私立大学の設立が認められた。
II 宇垣一成陸相の下で,中等学校以上に軍事教練が導入された。
III 義務教育の年限が4年から6年に延長された。
(1) I-II-III
(2) II-I-III
(3) III-I-II
(4) III-II-I
第2問 古代の行政機構や政務運営に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 701年,大宝律令が制定され,天皇を頂点とする中央集権的な国家の仕組みがひとまず整えられた。律令制導入以前,(a)大和政権の豪族たちは,自立した政治的・経済的基盤を持って政権の運営に当たっていた。しかし,律令制整備の過程で,彼らは都城に集住し,天皇に仕えて朝廷の政務に携わり,それにより(b)給与を受ける官人として位置づけられていくことになった。
 令に規定された中央官制では,政務を統轄する太政官が中心にあった。この下に(c)民政や租税をつかさどる民部省などの八省をはじめ,多くの役所が置かれており,これらの行政機構が国内の支配を遂行していた。
問1 下線部(a)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【7】
(1) 豪族の氏の名称は,葛城氏のように朝廷における職掌に由来していた。
(2) 古墳時代には,豪族の権威を象徴するものとして,銅鐸が作られた。
(3) 6世紀に入ると,豪族を葬る古墳の施設として,横穴式石室が普及した。
(4) 壬申の乱で,それまで大きな勢力を持っていた物部氏が没落した。
問2 下線部(b)に関連して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【8】
(1) 官人の給与のなかには,その位階・官職に応じて支給される禄があった。
(2) 大臣などの上級官人には,職田が支給された。
(3) 位田は,軍事的功績に応じて支給された。
(4) 給与だけでなく,税負担の免除も官人の特権であった。
問3 下線部(c)に関連して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【9】
(1) 中央の役所で雑務を行った仕丁は,公民から徴発された。
(2) 和同開珎が発行され,政府の流通促進策により,銭貨は全国各地で流通するようになった。
(3) 碁盤の目状に土地を区画する条里制によって,都城や農村の土地を把握した。
(4) 大宝律令の制定により,官有の賤民せんみんは五色の賤に区分された。
B 律令国家は,(d)その時々に直面した課題に対応してさまざまな官職や組織を設けた。(e)平城京やその周辺にある大寺院の造営もこうした組織により行われることがあった。たとえば東大寺は,造東大寺司という八省にも匹敵する大規模な役所によって造営された。
 平安時代になると,新たな律令の制定はなく,格や式を体系的に編纂へんさんすることで法典の整備がなされた。律令自体については,その解釈を精密に行う学問が発達し,令の公式の注釈書として『【ア】』が作られた。一方,奈良時代以来行われていた政務の一部は儀式化した。貴族たちは先例に従って儀式を執行することを重視し,後日の覚えのために日記を書き残した。藤原実資の『【イ】』はその代表的なものであり,藤原道長の栄華についても記述されている。
問4 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【10】
(1) ア 経国集  更級日記
(2) ア 令義解  更級日記
(3) ア 経国集  小右記
(4) ア 令義解  小右記
問5 下線部(d)に関連して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【11】
I 坂上田村麻呂が征夷大将軍に任じられた。
II 仏教を重んじた称徳天皇は,太政大臣禅師の地位を設けた。
III 薬子の変に先立ち,勅命の伝達にかかわる蔵人頭が任じられた。
(1) I-II-III
(2) II-I-III
(3) II-III-I
(4) III-II-I
問6 下線部(e)に関連して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【12】
(1) 紫香楽で造立が開始された盧舎那仏は,平城京に都が戻されたのちに東大寺の大仏として完成した。
(2) 薬師寺吉祥天像は,奈良時代を代表する仏教彫刻である。
(3) 東大寺に現存する奈良時代の建造物の一つとして,大仏殿(金堂)がある。
(4) 平城京への遷都にともない,大安寺・唐招提寺などの大寺院も建立された。
第3問 中世の政治・社会に関するA・Bの文章・史料を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(史料は,一部省略したり,書き改めたりしたところもある。)(配点 17)
A 源頼朝の死後,鎌倉幕府の政治は中心を失って動揺した。やがて北条時政が有力御家人間の権力闘争の中で幕府の実権を掌握し,北条氏による執権政治への道をひらくと,その子義時は,侍所と政所の別当を兼ねて執権の地位を固めた。
 執権政治は,(a)北条時頼が有力御家人の三浦泰村を滅ぼした【ア】以降,しだいに変質していった。そして,蒙古襲来を契機として,北条氏一族が全国各地の守護職の多くを手に入れたり,主要な都市や港湾の直轄化をはかったりするなど,(b)得宗主導の政治が行われるようになった。この得宗専制の展開にともなって,御内人の発言力が増大し,御家人との対立を激化させ,ついには有力御家人の【イ】が滅ぼされる事件も引き起こされた。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【13】
(1) ア 宝治合戦  和田義盛
(2) ア 宝治合戦  安達泰盛
(3) ア 霜月騒動  和田義盛
(4) ア 霜月騒動  安達泰盛
問2 下線部(a)の人物が行った政策について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【14】
(1) 有力御家人や政務にすぐれた人々を選んで,評定衆を創設した。
(2) 後嵯峨天皇の子宗尊親王を鎌倉幕府の将軍に迎えた。
(3) 前将軍九条(藤原)頼経を京都へ送還した。
(4) 裁判の迅速化をはかるため,新たに引付衆を設置した。
問3 下線部(b)に関連して,この時期の出来事を描いた絵として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【15】
(1)

(2)

(3)

(4)

B (文明十七年十二月)十一日,今日山城国人集会す。上は六十歳,下は十五六歳と云々うんぬん。同じく一国中の土民等群集す。今度両陣の時宜じぎ(注)を申し定めんがための故と云々。しかるべきか。但し,また【ウ】のいたりなり。両陣の返事・問答の様いかん,いまだ聞かず。
 十七日,(c)両陣の武家衆各引退ひきのおわんぬ。山城一国中の国人等申し合わす故なり。自今以後においては,両【エ】方は国中に入るべからず。
『大乗院寺社雑事記』
(注)「時宜」とは,適当な処置のこと。
問4 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして最も適当なものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【16】
(1) ウ 一味同心  斯波
(2) ウ 一味同心  畠山
(3) ウ 下克上  畠山
(4) ウ 下克上  斯波
問5 下線部(c)に関して述べた文として正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【17】
(1) 両陣の武家衆は,山城の国人たちとの合戦に敗れて退いた。
(2) 両陣の武家衆は,山城の国人たちに家臣として組織されていた。
(3) このあと,山城の国人たちの協議による自治が8年間続いた。
(4) 山城の国人たちは,本願寺の命令を受けて行動していた。
問6 この史料に関連して,15世紀後半の社会や文化について述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【18】
X キリスト教が伝来し,西日本を中心に広まった。
Y 日親の布教活動により,日蓮宗が京都を中心に西日本各地に広まった。
Z 連歌の規則書である『応安新式』が作られた。
(1) X 正 Y 正 Z 誤
(2) X 正 Y 誤 Z 誤
(3) X 誤 Y 正 Z 正
(4) X 誤 Y 正 Z 誤
第4問 近世の対外関係や蝦夷地に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 江戸時代のはじめ,日本に貿易を求めて(a)多くの外国人が来航したその一方で,日本人の中にも自由な交易を求めて東南アジアの国々へ乗り出す者がいた。徳川家康が,海外渡航を許可する文書を与えて貿易を奨励したため,多くの日本人が移住して各地に日本町がつくられ,【ア】王室に重用された山田長政のような人物も現れた。日本からアジア地域以外への渡航も行われ,【イ】は,通商を求めてノビスパン(メキシコ)へ渡っている。
 しかしその後,幕府は日本人の海外渡航と在外日本人の帰国を禁止し,外国との関係を厳しく統制する(b)鎖国の体制を完成させた
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【19】
(1) ア シャム  高山右近
(2) ア シャム  田中勝介(勝助)
(3) ア カンボジア  高山右近
(4) ア カンボジア  田中勝介(勝助)
問2 下線部(a)に関連して,日本にやってきた外国人や船について述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【20】
I イエズス会の宣教師シドッチが,屋久島に潜入した。
II イギリス船フェートン号が,オランダ船を追って長崎に侵入した。
III ウィリアム=アダムズらが乗ったリーフデ号が,豊後臼杵に漂着した。
(1) I-II-III
(2) II-I-III
(3) II-III-I
(4) III-I-II
問3 下線部(b)の時期の建造物甲・乙について述べた文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【21】


a は,徳川家康をまつれいびようの門である。
b は,儒学の祖である孔子を祀るの門である。
c は,俳諧はいかいの流行を受けて造られた権現造の代表的建造物である。
d は,茶の湯の流行を受けて造られた数寄屋造の代表的建造物である。
(1) a・c
(2) a・d
(3) b・c
(4) b・d
B (c)蝦夷地に住むアイヌの人々は,松前藩と交易を行った。彼らは,松前藩が交易品価格を不当に操作したため,17世紀後半にはこれに反対して(d)蜂起ほうきした。松前藩は津軽藩の協力を得てこれを鎮圧した。
 18世紀後半,幕府は,蝦夷地を調査して積極的に開発する政策を採った。昆布や俵物が長崎貿易の重要な輸出品となって,蝦夷地の漁業がいっそうの展開をみせた。そのころから,しだいに日本近海へのロシアの進出がみられ,幕府もその動きを警戒した。松前藩は,アイヌの人々に対して和人と同じ言葉や(e)衣服を強制し,支配の強化をはかった。
問4 下線部(c)に関して,江戸時代の北方関係について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【22】
(1) 最上徳内は,シベリア方面を探検した。
(2) ラクスマンは,高田屋嘉兵衛をともなって根室に来航した。
(3) 伊能忠敬は,蝦夷地の沿岸部を測量した。
(4) レザノフは,大黒屋光太夫(幸太夫)をともなって根室に来航した。
問5 下線部(d)に関連して,江戸時代に起こった事件や騒乱について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【23】
(1) 生野の変は,開国派の武士たちが生野代官所を襲撃した事件である。
(2) 国学者の生田万は,越後柏崎の代官所を襲撃した。
(3) 慶安の変は,由井正雪を首謀者とする幕府転覆の未遂事件である。
(4) シャクシャインは,アイヌの人々を率いて松前藩に反抗した。
問6 下線部(e)に関連して,江戸時代の衣服や染色について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【24】
(1) 僧侶そうりよの紫衣着用は,寺院法度で定められた。
(2) 麻織物の特産品として奈良さらしや越後縮があった。
(3) 朱色の染料に用いるあいが,出羽最上地方で作付けされた。
(4) 本阿弥光悦が,友禅染の技法を開発した。
第5問 近現代の技術発展と社会に関するA~Cの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 21)
A 19世紀に入るとヨーロッパ列強のアジア進出が本格化し,アヘン戦争での清の敗北は幕末の日本に衝撃を与えた。外国の脅威に対抗するため,(a)幕府や雄藩は軍事力の増強や近代技術の導入に取り組むようになった。
 明治政府は,幅広い分野で技術や制度を導入し,富岡製糸場など多くの【ア】を設立した。技術の導入に当たっては,ニコライ堂などの洋館の建設に携わった【イ】など,お雇い外国人の果たした役割も大きかった。政府や民間による一連の(b)技術や制度の移植とともに,20世紀初頭までには産業革命とよばれる急速な工業化がみられた。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【25】
(1) ア 官営工場  コンドル
(2) ア 官営工場  クラーク
(3) ア 株式会社  コンドル
(4) ア 株式会社  クラーク
問2 下線部(a)に関して,幕末に行われた事柄について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【26】
(1) 幕府は洋学者渡辺崋山を重用して,国防を強化した。
(2) 幕府は樺太の防衛と開発のため,屯田兵の制度を設けた。
(3) 佐賀藩は反射炉を築造し,大砲を鋳造した。
(4) 薩摩・長州・土佐の各藩は徴兵令を発した。
問3 下線部(b)に関して,1880年代までに行われた事柄を述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【27】
X 郵便制度や電信事業がはじまった。
Y 大阪紡績会社はガラ紡を利用して大量生産を実現した。
Z 工部省によって鉄道が整備された。
(1) X 正 Y 正 Z 誤
(2) X 正 Y 誤 Z 正
(3) X 誤 Y 正 Z 誤
(4) X 誤 Y 誤 Z 正
B 第一次世界大戦が起こると,ヨーロッパからの輸入は減少した。従来日本では国産化することが困難であり,輸入に依存していた【ウ】や化学製品の一部は深刻な品不足となった。この結果,大戦中から戦後の数年の間に,最新技術を導入して国産化する動きが本格的になった。国家や財閥の出資によって設立された【エ】は,独自に開発した新技術の実用化を次々と進め,のちに新興財閥とよばれた。(c)自然科学分野の研究成果も生み出され,世界に先駆ける最新技術も開発されるようになった。また大都市を中心に,(d)技術発展の成果が国民生活に身近なものとなり,近代的な都市空間や生活スタイルが生まれた。
問4 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【28】
(1) ウ 機械  理化学研究所(理研)
(2) ウ 機械  航空研究所
(3) ウ 綿布  理化学研究所(理研)
(4) ウ 綿布  航空研究所
問5 下線部(c)に関連して,この時代に活躍した本多光太郎の業績として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【29】
(1) 超短波用アンテナを発明し,電波技術の発展に貢献した。
(2) KS磁石鋼を発明し,鉄鋼技術の発展につとめた。
(3) 原子構造の研究を進め,物理学の発展に寄与した。
(4) 細菌学の研究に成果を残し,伝染病研究所を創設した。
問6 下線部(d)に関して,第一次世界大戦から1930年代までの間に起こった出来事について述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【30】
(1) ラジオ放送がはじまり,日本放送協会が設立された。
(2) 東京・大阪などの大都市では,鉄筋コンクリートのビルディングが建ち並ぶようになった。
(3) 照明器具として,ガス灯が一般家庭に普及した。
(4) 化学肥料の生産増加と普及によって,食糧の増産がはかられた。
C 朝鮮戦争による好景気を経て,その後約20年にわたる高度経済成長が続いた。(e)この間の急速な技術発展は,社会・経済・国民生活を大きく変えた
 石油ショックが起こると,世界経済は深刻な打撃を受け,日本も低成長の時代へと転換することになった。しかし,その後もME(マイクロ=エレクトロニクス)技術や情報化関連技術に支えられて経済は成長し,(f)日本の国際的地位はいっそう高まった
問7 下線部(e)について,1950年代から60年代に起こった出来事を述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【31】
(1) テレビ放送がはじまり,大量の情報が一般家庭に伝えられるようになった。
(2) 原子力の平和利用をうたい,原子力研究所が発足した。
(3) 名神高速道路が開通し,輸送の高速化が進んだ。
(4) 産業用ロボットが普及し,工場生産の自動化が進んだ。
問8 下線部(f)に関連して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【32】
I 日ソ共同宣言によってソ連との国交が正常化された。
II 最初の先進国首脳会議(サミット)が開かれ,日本もこれに参加した。
III IMF8条国に移行し,いっそうの貿易と資本の自由化を進めた。
(1) I-III-II
(2) II-I-III
(3) III-I-II
(4) III-II-I
第6問 近現代の社会・政治に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~4)に答えよ。(配点 11)
A 日露戦争後から第一次世界大戦期にかけて,民衆の生活や文化に視点を当てた思想や学問が生み出された。第一次世界大戦期には,造船・海運業界などから【ア】が出現する一方,物価上昇が労働者の生活を圧迫した。【イ】は,こうした問題をとらえて,人道主義の立場から『貧乏物語』を著した。
 既存の体制が生み出す矛盾に対して,マルクス主義の思想や学問は,根元的な批判を投げかけた。1920年代後半から1930年代初頭にかけてプロレタリア文学は隆盛期を迎え,また,(a)マルクス主義による社会分析の成果が数多く生み出された。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【33】
(1) ア 成金  河上肇
(2) ア 軍閥  河上肇
(3) ア 成金  賀川豊彦
(4) ア 軍閥  賀川豊彦
問2 下線部(a)に該当する著作として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34】
(1) 『日本改造法案大綱』
(2) 『日本資本主義発達史講座』
(3) 『暗夜行路』
(4) 『国防の本義と其強化の提唱』(陸軍パンフレット)
B 岸信介内閣は,1960年に国会での強行採決を経て新日米安保条約を批准した。この直後に岸内閣は総辞職し,後継として(b)池田勇人内閣が成立した。池田内閣は『所得倍増』をスローガンに掲げた。
 岸内閣の下での強行採決に対しては,国会の内外で強い反対運動が展開された。岸の直前に首相をつとめた人物も,強行採決に反対し,さらに岸が後継内閣に「治安対策」と「粛党」を要求したとして,これを強く批判した。(c)この人物は,大正デモクラシー期に経済評論家・記者として活躍したことでも知られている。
問3 下線部(b)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【35】
(1) この内閣は,「寛容と忍耐」を唱えた。
(2) この内閣は,沖縄の日本への返還を実現させた。
(3) この内閣のときに,リクルート事件が起こった。
(4) この内閣のときに,第4次中東戦争が起こった。
問4 下線部(c)について,この人物の氏名と,この人物が記者をつとめていた雑誌の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【36】
(1) 三木武夫-『太陽』
(2) 三木武夫-『東洋経済新報』
(3) 石橋湛山-『太陽』
(4) 石橋湛山-『東洋経済新報』