2010年度 センター試験【世界史B本試】解説
(解答番号【1】〜【36】)
第1問 (配点 25)
問1 「都市の歴史」(4文選択)【1】 正解は2
(1) →教科書P.81の1〜2行目「漢王朝の一族の
劉秀(光武帝)は,農民反乱を鎮圧し,25年
洛陽を都に漢を復活させた(後漢)。」
(2) →教科書P.92の12〜13行目「山西の豪族で煬帝のいとこの
李淵(高祖)は,617年大興を占領し,翌618年
長安を都として唐をたてた。」
(3) →教科書P.90の27〜28行目「仏教美術の面でも,
雲崗・竜門・敦煌などの巨大な石窟寺院の仏画・石仏は,インドの
グプタ様式をいまに伝えている。」
(4) →教科書P.88の4〜6行目「四川・江南の豪族劉備・孫権も独立して
蜀・呉をたて,それぞれ成都・建業(現在の南京市)に都をおいた」

長安と洛陽は紛らわしい位置にあるので、地図で確認すること。中国歴代王朝の首都名とその位置は頻出事項。繰り返し学習すること。
問2 「王朝の首都」(組み合わせ選択)【2】 正解は1
(1) →教科書P.128の4行目「6代皇帝
神宗は,宰相に
王安石を起用して改革(新法)を断行した。」
(2) →教科書P.224の26〜28行目「16世紀後半には,複雑であった土地税(地税)や人丁にかかる徭役(丁税)をできるだけ簡素化して
銀でおさめる
一条鞭法がおこなわれ、」
(3) →教科書P.128の注(2)「新法のおもなものは,
青苗法(農民への低利融資)・市易法(中小商人への低利融資)・募役法(労役奉仕の銭納)・均輸法(物価調整)・保甲法(農村の組織化と民兵制度)・保馬法(民間の軍馬飼育)などである。」
(4) →教科書P.131の2〜8行目「1126年には宋の都開封

をおとしいれて上皇
徽宗 ・皇帝欽宗以下,多数の皇族・高官を東北奥地に連れ去った(靖康の変)。」
王安石の改革(新法)は毎年出題されるくらいなので、その政治目的や改革の内容や結果、反対者(
旧法党)の存在などていねいに学習しておくこと。
問3 「都市の歴史」(4文選択)【3】 正解は2
(1) →教科書P.306の6〜10行目「10月10日には革命派の呼びかけにこたえて新軍が
武昌で蜂起した。影響はたちまち全国に及び,ほとんどの省が清朝から独立した(
辛亥革命)。」
(2) →教科書P.338の20〜21行目「1940年,日本軍は反

派の
汪兆銘を首班に南京国民政府をつくり、」
(3) →教科書P.88の13〜15行目「
司馬睿が
建康(呉の建業)に都をおいて晋を再建した(
東晋)」
(4) →教科書P.338の6〜8行目「
張学良もこれに共鳴して,1936年12月に作戦遂行を監督するため西安にきた

を監禁して抗日を訴えた(西安事件)。」

南京と杭州の位置も紛らわしいので、地図で確認すること。都市でおきた事件や関係者と関連づけて学習すること。汪兆銘は日本との関連で学習しておくと良い。
問4 「高麗の首都」(組み合わせ選択)【4】 正解は3
(1) →教科書P.99の6〜7行目「首都
慶州には
仏国寺・石窟庵などのすぐれた仏教建築・美術がうまれた。」
(2) →教科書P.128の19〜20行目「918年,
王建(太祖)が高麗をおこして新羅を滅ぼし(935年),
開城に都を定めた(開京)。」
(3) →教科書P.217の23〜25行目「
倭寇対策で名声を高めた親明派の李成桂(太祖)は,親元派を打倒して朝鮮(李朝)をたて,都を
漢城(漢陽,現在のソウル)においた。」

朝鮮の歴代王朝と首都名も頻出事項であり、王朝の成立経過も学習すること。また文化的な事項も加味して学習しておくと良い。
問5 「朝鮮(李朝)」(4文選択)【5】 正解は3
(1) →教科書P.218の7〜9行目「朝鮮は,
李舜臣のひきいる朝鮮水軍や民衆の義兵などのはげしい抵抗と,
明の援軍によって日本軍を撃退した」
(2) →教科書P.218の1行目「15世紀はじめに
銅活字による活版印刷がさかんとなり、」
(3) →教科書P.218の3〜4行目「1446年には,表音文字が考案され,
『訓民正音』(ハングル)として公布された。」
(4) →教科書P.99の3〜5行目「唐の制度・文化を摂取して律令制をしき,
骨品制によって王族・官僚貴族の身分を厳格に守った。」

李朝の
世宗の時代に考案された固有の文字である訓民正音』は後に
ハングル(偉大な文字の意)として文化の発展に寄与した。
問6 「18世紀の商業や手工業」(2文正誤)【6】 正解は1
(a) →教科書P.223の19〜20行目「海外貿易は制限され,1757年,
乾隆帝は貿易を広州1港にかぎり
公行という特許商人組合を通じて貿易をおこなわせた。」
(b) →教科書P.236の12〜14行目「彼らの手で,
ギルドの廃止や商品取引の自由などブルジョワジーに有利な改革がすすめられ、」

清朝全盛期の乾隆帝は、広州1港に貿易を制限し、
公行を通じて貿易を行わせた。中世以来のギルドがフランス革命で廃止されたことは学習者の盲点になる。
問7 「デフォー」(4文選択)【7】 正解は4
(1) →教科書P.204のレンブラント
「夜警」の図。
(2) →教科書P.204の11〜12行目「イギリス革命期には,ミルトンの
『失楽園』」
(3) →教科書P.205の11〜12行目「
ニュートン(主著『プリンキピア』)の
万有引力の法則の発見」
(4) →教科書P.204の14〜18行目「
デフォーの
『ロビンソン=クルーソー』のような市民文学や
スウィフトの
『ガリヴァー旅行記』のような風刺文学の名作がうまれた。」

17〜18世紀の文化は絶対王政の時代と関連づけて出題されることが多いので学習を繰り返すと良い。デフォーは若干むずかしい。
問8 「自由貿易・経済活動の自由」(4文選択)【8】 正解は3
(1) →教科書P.207の注(1)「重農学派の経済的自由主義は,
アダム=スミス(→p.245)らの
古典派経済学に継承されてゆく。」
(2) →教科書P.247の10〜12行目「ドイツの
フリードリヒ=リストは,後発資本主義国では国家の産業育成・保護関税が必要であるとする
歴史学派経済学を提唱した。」
(3) →教科書P.251の18〜19行目「
コブデン・ブライトは反穀物法同盟をつくって強い反対運動をおこし,1846年に
穀物法廃止をなしとげた。」
(4) →教科書P.278の20〜21行目「同年(1858年),インド支配の機関であった
東インド会社を解散して,インドを本国政府の直接統治下においた。」

イギリス自由主義的改革は、選挙制度の諸改革を整理し、穀物法をめぐって自由貿易の原則が確立されたことを中心に学習しておくと良い。
問9 「18・19世紀のマンチェスター」(2文正誤)【9】 正解は1
(a) →教科書P.243の17〜22行目「イギリス社会では良質なインド産綿織物への需要がきわめて高かった。そこで
木綿工業の分野では、いかに安価で良質な製品をつくるかの技術革新を求められていた。」
ただし、マンチェスターに関する直接的な記述はない。
(b) →教科書P.244の
リヴァプール・マンチェスター間の営業鉄道の開通式の図。
スティヴンソンの蒸気機関車の開発と関連づける出来事である。

マンチェスターはランカシャー地方最大の綿工業都市でイギリス自由主義運動の中心的な都市として人口が増えた。その外港
リヴァプールとあわせて学習しておくべきところである。
第2問 (配点 25)
問1 「貨幣の歴史」(組み合わせ選択)【10】 正解は1
(1) →教科書P.37の注(1)「
リディアは前7世紀後半に世界最古の金属貨幣を鋳造し,ギリシア人がこれにならった」
(2) →教科書P.79の24〜P.80の2行目「内政面では
五銖銭を鋳造するとともに,塩・鉄・酒を
専売制にして商人・手工業者の利益をおさえ、」
(3) →教科書P.78の7〜8行目「度量衡・文字などを全国的に統一し,貨幣も銅製の
半両銭だけを通用させた。」
(4) →教科書P.58の4〜6行目「カスピ海の東にいたイラン系遊牧民の族長アルサケスはイラン高原に侵入して
パルティアをたてて、」

世界最古の金属貨幣を鋳造したのが
リディア であることの出題は多い。また貨幣に関してもしばしば出題されるので、ていねいな学習が求められる。
問2 「魏晋南北朝時代」(4文選択)【11】 正解は2
(1) →教科書P.98の2〜3行目「文章家としては
韓愈(韓退之)・柳宗元らがあげられ,いずれも四六駢儷文を批判して漢以前の
古文の復興を主張した。」
(2) →教科書P.91の9〜10行目「書・絵画でもすぐれたものがうまれ,
王羲之は書聖,
顧ト之は画聖と称せられている。」
(3) →教科書P.91の「
女史箴図」の図。顧炎武は清時代の
考証学の先駆者。
(4) →教科書P.91の12〜13行目「北魏の

の
『斉民要術』は華北の農法を体系的に述べた農書」

魏晋南北朝の文化はしばしば出題され、特に東晋の
陶淵明(陶潜)、
王羲之 (書聖)、
顧ト之(画聖)は国名といっしょに覚えること。
問3 「16世紀の出来事」(4文選択)【12】 正解は2
(1) →教科書P.104の17〜19行目「
(インカ)帝国は,1530年ごろに王位継承争いで2分し,1532年に再統一されたが,翌年,スペイン人
ピサロに征服された。」
(2) →教科書P.222の7〜9行目「14世紀後半,
ツォンカパは戒律をきびしくして,堕落した
チベット仏教の革新を唱えた。」
(3) →教科書P.222の13〜15行目「1517年,ポルトガル人はインド航路によって中国に達し,16世紀後半
マカオに居住権を得て、」
(4) →教科書P.214の1〜3行目「16世紀はじめ,ティムール朝の王子としてうまれた
バーブルが,中央アジアからアフガニスタンを経てインドに侵入し,〜(略)〜
ムガル帝国をたてた。」

チベット仏教に関しては若干知識不足になりがちなので要注意。活仏の制による
ダライ=ラマの存在は、現代中国の民族問題を考える上で重要なので理解しておくこと。
問4 「元の紙幣」(語句選択)【13】 正解は4
(1) →教科書P.76の春秋・戦国時代の貨幣の図(
布銭(布貨))
(2)(3) →教科書P.132の9行目「手形として利用された
交子 ・
会子はのち紙幣として使われた。」
(4) →教科書P.138の元の紙幣の図(
交鈔)

元代に
銀とともに広く流通したが、濫発されてインフレをひきおこし経済混乱の要因となった。元代の経済も最近注目されているので、学習しておくこと。
問5 「フィレンツェ」(組み合わせ選択)【14】 正解は3
(1) →教科書P.160の13〜14行目「金融業で莫大な財をきずいたフィレンツェの
メディチ家」
(2) →教科書P.160の12〜13行目「銀山の開発から商業・金融業者に発展したアウクスブルクの
フッガー家」

地図問は練習問題を繰り返すこと。フィレンツェで権勢を誇った
メディチ家、アウグスブルクの
フッガー家は頻出事項なので対比して覚えること。
問6 「13・14世紀の南アジア」(4文選択)【15】 正解は1
(1) →教科書P.123の5〜7行目「デリーにはいった
アイバク(トルコ系マムルーク出身)は,1206年に自立し(
奴隷王朝)、」
(2) →教科書P.124の19〜21行目「11世紀後半にムラービト朝の侵入でガーナが征服されたのち14世紀,
マリ王国が栄え,15世紀後半には
ソンガイ王国にかわった。」
(3) →教科書P.113の8〜10行目「10世紀前半,
サーマーン朝が発展していたころ,西北イランでシーア派のイラン系
ブワイフ朝が台頭した。」
(4) →教科書P.123の10〜13行目「
トゥグルク朝に交代後,南端部でヒンドゥーの
ヴィジャヤナガル王国,デカンでイスラーム系のバフマニー朝が発展した。」

イスラームの王朝について、成立した地域や年代・繁栄した時代を大ざっぱに整理しておくとよい。南アジア(インド)の王朝は盲点になりやすいので要注意。
問7 「ラテンアメリカ」(4文選択)【16】 正解は2
(1) →教科書P.264の11〜12行目「
ブラジルは亡命ポルトガル王室を利用して,唯一の君主国として独立した。」
(2) →教科書P.265のアメリカ合衆国の発展の図(
カリフォルニア)
(3) →教科書P.379の2〜4行目「ラテンアメリカでは,1970年の選挙で成立した
チリの
アジェンデ政権が,農地改革や,外国資本の支配下にあった鉱山の国有化をおこない,
社会主義化をすすめた」
(4) →教科書P.264の7〜9行目「ナポレオン時代に,〜(略)〜,
シモン=ボリバルの指導のもとにベネズエラやコロンビアがスペインから独立した」

学習者の苦手なラテンアメリカの出題は、アメリカ合衆国との関連から出題されることもあるので、要注意。アメリカの領土拡大の動きを図で確認すること。
問8 「金・銀にかかわる出来事」(4文選択)【17】 正解は2
(1) →教科書P.121のムスリム商人のおもなルート・取引品の図(
銀と塩(岩塩))
(2) →教科書P.265の12〜13行目「1848年にはカリフォルニアを獲得した。ここに金鉱が発見されると一気に移住者がおしよせた(
ゴールドラッシュ)。」
(3) →教科書P.297の25〜P.298の5行目「ボーア人の植民地である
トランスヴァール共和国やオレンジ自由国で
ダイヤモンドや金が発見されると,1899年ボーア人との戦争をおこした(南アフリカ戦争,ボーア戦争)。」
(4) →教科書P.332の11〜12行目「彼はただちに,保守党および自由党の一部と挙国内閣をつくり,
金本位制を停止したり,保護貿易政策をとったりした」

金や銀・銅をテーマにした出題は頻出事項。ゴールドラッシュに関してはアメリカと同様、オーストラリアでもおこっているので、注意しておくこと。
問9 「アフリカ」(2文正誤)【18】 正解は2
(a) →教科書P.49の12〜14行目「ローマ人は海上交易にものりだし,西地中海を支配していたフェニキア植民市
カルタゴとの間で3次にわたる
ポエニ戦争をおこしてこれを滅ぼし、」
(b) →教科書P.299の8〜10行目「オスマン帝国領のトリポリ・キレナイカを占領し,1912年両地域を併合して
リビアと改称した」
ボエニ戦争は頻出事項であり、ローマの発展と関連づけながら学習すること。19世紀以降のヨーロッパ諸列強のアフリカ植民地拡大も頻出事項なので、アフリカの地図をよく見ておくこと。
第3問 (配点 25)
問1 「東南アジアの歴史」(4文選択)【19】 正解は2
(1) →教科書P.71の1〜2行目「エーヤーワディー川中流域に展開した都市国家連合の
ピュー も内陸部とベンガル湾をむすんだ。」オケオの記述なし。
(2) →教科書P.124の14〜17行目「
ピューの衰退したあと,ビルマ族が11世紀なかばに
パガン朝をたて,支配下のモン族から文字と仏教を受け入れた。〜(略)〜
上座部仏教がととのえられた。」
(3) →教科書P.71の7〜8行目「パレンバンを中心とする
シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)国が多数の
港市国家を従える交易帝国として栄えた。」
(4) →教科書P.71の12〜13行目「ジャワでは8世紀に
シャイレーンドラが優勢になり,大乗仏教の
ボロブドゥール寺院を造営した」

東南アジアの動きは学習者にとって弱点となりやすいところ。歴史地図を見ながら王朝の変遷や地域的な特色をまとめておくと理解に役立つ。
問2 「15〜17世紀の東南アジア」(4文選択)【20】 正解は1
(1) →教科書P.201の注(1)「1623年に,マルク諸島の
アンボン(アンボイナ)で,〜(略)〜オランダがイギリス商館員たちを殺害した事件。」
(2) →教科書P.178の18〜22行目「ポルトガルは,インドの
ゴアに総督府をおいてスリランカ・
マラッカを占領し,
マルク諸島(モルッカ諸島または香料諸島)に到達した。」
(3) →教科書P.228の23〜P.229の2行目「オランダ東インド会社は,
バタヴィア(現在のジャカルタ)を拠点とした。スマトラ北西端の
アチェ,マレー半島南端のジョホール,〜(略)〜が交易の支配権を争った」
(4) →教科書P.227の12〜13行目「ビルマでは,パガン滅亡後の分裂状態を
タウングー朝が統一し,ペグーを都として16世紀後半に最も栄えた。」
アンボン事件 でイギリスが東南アジアから撤退し、オランダが勢力を拡大したことを理解すること。地理学習が大切で、必ず地図を見る習慣をつけること。
問3 「古代ギリシアの軍船」(語句選択)【21】 正解は3
(1) →教科書P.132の10〜11行目「中国の外洋船
ジャンクは羅針盤を使ってインド洋にまでおもむいた。」
(2) →教科書の記述なし。インド洋では8世紀以降
ムスリム商人が
ダウ船を利用して商業活動を活発化させた。
ダウ船は三角形の帆の帆船。
(3) →教科書P.42の22〜P.43の4行目「ペルシア戦争で
三段櫂船の漕ぎ手として活躍した下層無産市民の政治的発言力が強まり,民主政の実現が求められた。」
(4) →教科書の記述なし。豊臣秀吉の朝鮮侵略に際し、
李舜臣は
亀甲船(甲板をおおった軍船)で用いて日本水軍を撃破した。
サラミスの海戦で無産市民が軍船の漕ぎ手として活躍したことは有名である。「海の時代」など船をテーマにした出題が増えているので、名称や写真・図で出来事などを確認すること。
問4 「海域・河川流域の出来事」(4文選択)【22】 正解は2
(1) →教科書P.58の4〜6行目「カスピ海の東にいたイラン系遊牧民の族長アルサケスはイラン高原に侵入して
パルティアをたてて,セレウコス朝をシリアにおしやった。」
(2) →教科書P.110の15〜P.111の3行目「750年,
アッバース朝がひらかれ,第2代カリフは,ティグリス川中流域に新都
バグダードを造営」
(3) →教科書の記述なし。P.211の
オスマン帝国図が参考となる。
(4) →教科書P.210の15〜18行目「
アッバース1世は十二イマーム派神学の確立につとめ,また,行政制度・軍制の改革をおこなって王権を強化した。〜(略)〜またポルトガル人を
ホルムズ島から駆逐した(1622年)。」

首都
バグダードが交通の要衝として重要だったことを理解すること。ポルトガル人が駆逐された
ホルムズ島は若干むずかしい。
問5 「19世紀のアフリカ大陸」(4文選択)【23】 正解は3
(1) →教科書P.273の12〜13行目「オスマン軍傭兵隊指揮官
ムハンマド=アリーは,1805年エジプト総督に就任した。」
(2) →教科書P.274の注(2)「外交官出身のフランス人
レセップス(Lesseps,1805〜94)の指導で1859年に着工し,1869年に開通した。」
(3) →教科書P.299の3〜6行目「イタリアは,1895年に
エチオピアに侵入したが,翌1896年
アドワの戦いでエチオピアにやぶれた。」
(4) →教科書P.297のヨーロッパ諸国のアフリカ侵略図の中に
カメルーンがドイツ領であったことがわかる。

19世紀末
エチオピアが
リベリアとともに独立国だということを理解しておくこと。イタリアは再び20世紀前半にエチオピアに侵入している。
問6 「16世紀のオスマン帝国と紅海」(組み合わせ選択)【24】 正解は3
(1) →教科書P.212の3〜4行目「
スレイマン1世のとき,オスマン帝国は最盛期をむかえ、」
(2) →教科書P.272の18行目「アラビア半島では
リヤドを首都とするワッハーブ王国がたてられ、」
(3) →教科書P.212の2〜3行目「1517年には,マムルーク朝を滅ぼしてメッカ・
メディナを保護下においた。」
(4) →教科書P.212の1〜3行目「
セリム1世のとき,サファヴィー朝軍をやぶって優位にたち,また1517年には,マムルーク朝を滅ぼしてメッカ・メディナを保護下においた。」

エジプトの
マムルーク朝を倒したのが
セリム1世であることは知っておきたい。アラビア半島の
メッカと
メディナがイスラームの聖都であることも知っておくべきこと。
問7 「バルト海沿岸の国・地域の歴史」(4文選択)【25】 正解は1
(1) →教科書P.340の2〜4行目「ソ連はさらに,1940年,隣接するバルト3国(リトアニア・ラトヴィア・
エストニア)を併合するなど,領土を拡大していった。」
(2) →教科書P.200の7〜8行目「ロシアの農奴たちは,17〜18世紀に,
ステンカ=ラージンの乱や
プガチョフの乱などの反乱をおこしたが鎮圧され、」
(3) →教科書P.198の25〜26行目「その子
ヨーゼフ2世も,宗教寛容政策や農奴解放などをおこなった。彼は
啓蒙専制君主の1人とされる」
(4) →教科書P.147の10〜13行目「ノルマンの一派のデーン人の王子
カヌート(クヌート)がブリテン島に侵入してイングランドを征服し(1016年)、」時代違い。

17世紀後半
ピョートル1世の即位前に
ステンカ=ラージンの乱が鎮圧され、18世紀後半
エカチェリーナ2世の代に
プガチョフの乱 が鎮圧された。
問8 「航海・貿易」(4文選択)【26】 正解は3
(1) →教科書P.206の15〜17行目「オランダの
グロティウスは,自然法思想を国際関係にあてはめて,☆『戦争と平和の法』や『海洋自由論』☆をあらわし,
「国際法の父」「自然法の父」とよばれた。」
(2) →教科書P.192の19〜22行目「
クロムウェルは,王党派打倒を口実にカトリックの多い
アイルランドを征服して〜(略)〜重商主義政策をとり,1651年に
航海法を発し,これがもとで生じたオランダとの
イギリス=オランダ戦争を優勢のうちにすすめた。」
(3) →教科書P.349の6〜7行目「自由貿易促進のための多国間のとりきめとして,
「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」もむすばれた。」
(4) →教科書P.332の16〜19行目「イギリスは,イギリス通貨のポンド(スターリング)を用いることによって金融面でむすびついた
スターリング=ブロックをつくりあげた。これをきっかけに世界には
フラン=ブロックやドル=ブロックなどの
ブロック経済圏がうまれ、」

戦後
「関税と貿易に関する一般協定(GATT)」 が自由貿易促進のために設けられ、1995年には
世界貿易機関(WTO)が発足した。
問9 「七年戦争」(4文選択)【27】 正解は2
(1) →教科書P.202の25〜26行目「1763年の☆パリ条約☆で,イギリスは,フランスから
カナダとミシシッピ川以東のルイジアナを,スペインからフロリダを獲得した。」
(2) →教科書P.198の24〜25行目「
七年戦争をはじめるに当たって,彼女は長年敵対していた
フランスとむすぶ手腕を示した(
外交革命)。」
(3) →教科書P.197の20〜22行目「1648年に
ウェストファリア条約がむすばれ,その結果,フランスはアルザスなどを取得し,
スイスとオランダの独立が正式に承認され、」
(4) →教科書P.240の17〜19行目「軍を大陸に転じたナポレオンは,
アウステルリッツの三帝会戦でオーストリア・ロシア連合軍をやぶって
対仏大同盟を崩壊させ、」
七年戦争はイギリスを飛躍させることになった戦争。
フランスが宿敵オーストリアと
外交革命を実現した戦争でもあった。
第4問 (配点 25)
問1 「ヨーロッパの各地の抗争・反乱」(4文選択)【28】 正解は2
(1) →教科書P.165の1〜4行目「ジョンの子ヘンリ3世はこの大憲章を無視したので,貴族の指導者
シモン=ド=モンフォールは,兵をひきいて王をとらえ,〜(略)〜代表する騎士と都市を代表する市民とを出席させた(1265年)。」
(2) →教科書P.163の25〜27行目「
フス派を中心とするプラハ市民は,その後,長く反乱を続けた(フス戦争)。」
(3) →教科書P.162の12〜15行目「農民はそれに反抗して大規模な一揆をおこした。フランスの
ジャクリーの乱(1358年)やイングランドの
ワット=タイラーの乱(1381年)などがその例である。」
(4) →教科書P.162のワット=タイラーの最期の図中解説「その思想的指導者
ジョン=ボールは、「アダムが耕しイヴが紡いだとき、だれが領主であったか」と説いた。」

中世ヨーロッパの一揆や紛争は頻出事項。フランスの
ジャクリーの乱(1358年)やイングランドの
ワット=タイラーの乱(1381年)、
百年戦争は特に重要事項なので、取り違えないこと。
問2 「15世紀の教会の動き」 (4文選択)【29】 正解は3
(1) →教科書P.152の12〜15行目「
グレゴリウス7世は,教皇権の強化をはかり,〜(略)〜神聖ローマ皇帝
ハインリヒ4世との間に
叙任権闘争をひきおこした。」
(2) →教科書P.163の7〜8行目「1309年に
フィリップ4世は教皇庁を南フランスの
アヴィニョンに移し,約70年にわたって教皇はフランス王の支配下におかれた。」
(3) →教科書P.163の17〜23行目「神聖ローマ皇帝の提唱でひらかれた
コンスタンツ公会議は,ウィクリフの説を異端とし,フスを処刑し,教会大分裂を収拾して体制の立て直しをはかった」
(4) →教科書P.163の17行目「イングランドの
ウィクリフやベーメンのフスは,聖書にもとづいて教会の制度や教義を批判し,のちの宗教改革の先駆者となった。」

中世のキリスト教会をめぐる動きは時代を確認しつつ学習しておきたい。12世紀の
叙任権闘争、
十字軍の遠征、14世紀の教皇権の衰微(
教会大分裂)など重要事項なので、復習してほしい。
問3 「ドイツ農民戦争」 (2文正誤)【30】 正解は4
(a) →教科書P.184の9〜10行目「スイスでは,
ツヴィングリが1523年にチューリヒで贖宥状の販売を批判して宗教改革をはじめた。」
(b) →教科書P.184の5〜7行目「ルター派の諸侯は
シュマルカルデン同盟をむすんで皇帝派と戦闘をまじえたが,両派の争いは,1555年の
アウクスブルク宗教和議で妥協がなされた。」

ドイツ農民戦争は
ルターの宗教改革に刺激を受け、ドイツの農民がおこしたもの。ルターは当初は農民に同情的であったが、途中から諸侯を支持して鎮圧に賛成した。ここのところ宗教改革の出題は多くない。
問4 「1956年のハンガリー」(語句選択)【31】 正解は2
(1) →教科書P.314の18〜20行目「(1917年)11月7日(ロシア暦10月25日)の蜂起の結果,臨時政府打倒に成功した。これを
十一月革命(ロシア暦では十月革命)という。」
(2) →教科書P.351の19〜20行目「ソ連は,10月,各国共産党の間の連絡・調整機関として
コミンフォルムを設立した。」
(3) →教科書P.367の10〜11行目「彼(
フルシチョフ)は共産党の機構改革と農業政策に失敗し,1964年に突然解任された。」
(4) →教科書P.375の16〜18行目「1989年10月には,反政府デモが活発化するなかで,〜(略)〜11月,ヨーロッパにおける東西対立の象徴となっていた
ベルリンの壁がくずされた。」

ポーランドでの反政府反ソ暴動に続き、ハンガリーでも1956年10月首都ブダペストで反ソ暴動がおこって改革派のナジが新首相になった。ソ連軍の介入で鎮圧された。問題のリード文を読むと時代は特定できる。
問5 「ポーランドの歴史」 (4文選択)【32】 正解は1
(1) →教科書P.155の13〜15行目「ポーランドはカジミエシュ3世のとき統一され,14世紀にリトアニア人とむすんで
ヤゲウォ朝をたて,神聖ローマ帝国と対抗して発展した。」
(2) →教科書P.321の18〜22行目「ドイツ・オーストリア=ハンガリー・ロシアの3帝国が解体したことにより,戦後の東ヨーロッパには,ユーゴスラヴィア(1929年まではセルブ=クロアート=スロヴェーン王国)・ハンガリー・チェコスロヴァキア・
ポーランド・リトアニア・ラトヴィア・エストニア・フィンランドが,新しい独立国として誕生した。」
(3) →教科書P.339の11〜19行目「8月23日に
独ソ不可侵条約をむすび,ソ連との間でポーランド分割を約束した
ドイツは,9月1日,ポーランドに侵入した。〜(略)〜9月3日にドイツへの宣戦布告をおこない,第二次世界大戦がはじまった。」
(4) →教科書P.200の17〜19行目「ポーランドの愛国者
コシチューシコは,義勇軍をひきいてロシアとたたかったがやぶれ,ついに1795年の第3回分割(第1回と同じ3国による)でポーランドは滅亡した。」

ポーランドの歴史は、
ヤゲウォ朝の盛衰、ポーランドの分割と滅亡、第一次世界大戦後の独立、ドイツのポーランド侵攻などが頻出事項である。
問6 「1848年の出来事」 (4文選択)【33】 正解は1
(1) →教科書P.261の18〜22行目「西欧の思想に接した知識人(インテリゲンツィア)のなかから,
ナロードニキ運動がおこった。彼らは,「人民のなかへ」(
ヴ=ナロード )という標語をかかげて農村にはいり,ミールを基盤として,平等な新社会を建設しようとした。」
(2) →教科書P.254の21〜22行目「オーストリア帝国では,1848年にウィーンで
三月革命がおこり,民衆が市内にバリケードをきずき,
メッテルニヒはイギリスに亡命した。」
(3) →教科書P.255の2〜8行目「ドイツ各地の自由主義者は「統一と自由」をかかげて
フランクフルト国民議会をひらき,ドイツ統一の方法を議論した。」
(4) →教科書P.253の19〜23行目「パリで
二月革命がおこった。
ルイ=フィリップは退位し,ラマルティーヌらを中心に臨時政府が設立され,共和政が宣言された(
第二共和政)。」
ナロードニキ運動は
クリミア戦争後の
アレクサンドル2世の時代に広がった。1848年はしばしば問われる重要年である。
問7 「中国の反乱」(4文選択)【34】 正解は3
(1) →教科書P.79の3〜4行目「
始皇帝の死後まもなく,辺境防備にかりだされた陳勝が呉広とともに農民を組織して蜂起した(
陳勝・呉広の乱)。」
(2) →教科書P.81の6〜9行目「このころ農村では,張角・張陵をそれぞれ教祖として
道家思想の流れをくむ太平道・五斗米道(天師道)などの民間宗教がひろまっていたが,184年張角は農民を組織して
黄巾の乱をおこした。」
(3) →教科書P.97の1〜3行目「9世紀末,塩の密売商人
黄巣・王仙芝が農民を組織して山東で反乱をおこし,やがて全国にひろがった(黄巣の乱)。」
(4) →教科書P.219の17〜19行目「
李自成のひきいる農民軍は,十余年間の戦いののち,1644年北京をおとしいれ,崇禎帝(毅宗)を自殺に追いこみ明朝を滅亡させた。」

唐末、民衆にも人気があった塩の密売商人
黄巣が反乱をおこした。
反乱は全国に広がり、各地に独立政権が生まれ、唐は
朱全忠に滅ぼされた。
問8 「宗教」(2文選択)【35】 正解は4
(a) →教科書P.91の3〜4行目「北魏の
寇謙之は,五斗米道を改革して新天師道をひらき,信者の組織化と教理普及の中心となった。」
(b) →教科書P.134の5〜6行目「金支配下の華北では,
王重陽が儒教・仏教・道教3教を調和させた
全真教をおこし,道教の革新を唱え、」
寇謙之は北魏の時代に道教教団を組織した。
全真教は金支配下の華北で
王重陽がおこした。時代違いの問題は問題文をよく読むこと。
問9 「中華人民共和国」(4文選択)【36】 正解は4
(1) →教科書P.354の6〜7行目「1950年には
中ソ友好同盟相互援助条約(中国が1979年に廃棄通告)をむすび,ソ連の援助を得て工業生産の基礎をつくった。」
(2) →教科書P.368の11〜13行目「1966年から
プロレタリア文化大革命をおこした。〜(略)〜全国的な動乱を通じて
劉少奇らは失脚し,
毛沢東らの実権が確立した。」
(3) →教科書P.371の8〜10行目「1972年9月,
田中首相と周恩来首相らが日中共同声明に調印して戦争状態の終結を宣言し,中国との国交を正常化した(
日中国交正常化)。」
(4) →教科書P.381の5〜7行目「経済体制の改革がすすむなかで高まった学生・市民らによる民主化要求の運動に対しては,1989年,きびしい弾圧がおこなわれた(
天安門事件)」

1989年中国共産党政府は、天安門における自由化を求める民衆の大規模なデモを、軍隊を使って弾圧した。
天安門事件を鎮圧した江沢民が国家主席に就任した。