2010年度 センター試験【世界史A本試】解説
第1問
問1【イスラーム諸王朝の支配者】(四文選択)【1】 正答は(4)
(1)誤文。後ウマイヤ朝はファーティマ朝に滅ぼされていない。なお,後ウマイヤ朝は11世紀に内紛で衰退して滅んだ。「…,イベリア半島の後ウマイヤ朝とカイロを首都とする
ファーティマ朝の支配者も,
カリフの称号を用いるようになった。」(教科書p.26)
(2)誤文。スルタンの称号を与えたのはウマイヤ朝のカリフではなく,アッバース朝のカリフ。「
セルジューク朝の支配者は,
アッバース朝カリフから,イスラーム世界の世俗君主である
スルタンの称号を与えられた。」(教科書p.26注(1))
(3)誤文。アイユーブ朝を滅ぼしたのではなく,建てた。「…クルド人
サラディンがファーティマ朝を倒してアイユーブ朝を
たて,…」(教科書p.26)
(4)正文。「…
ティムールは,
サマルカンドを都としてマムルーク朝やオスマン帝国と争い,中央アジアからイランに及ぶ大帝国をたてた。」(教科書p.60)

イスラームのカリフやスルタンの称号とそれに関する歴史的出来事には注意しておきたい。また,主要なイスラーム王朝の創始者の名は確実に把握しておこう。
問2【17〜19世紀のオスマン帝国のヨーロッパとの関係】(時代順・六択)【2】 正答は(5)
aは17世紀末。「1699
カルロヴィッツ条約」(教科書p.206年表)と「1683年のウィーン包囲(第2次)に失敗,その後,
ヨーロッパの領土のほとんどを失った。」(教科書p.62)による記述から判断する。
bは19世紀中頃。「…,
ギリシアもロシア・イギリス・フランスの支援を受け,
独立戦争に勝利した。」(教科書p.104)
cは1683年。「1683年の
ウィーン包囲 (第2次)に失敗,その後,
ヨーロッパの領土のほとんどを失った。」(教科書p.62)

第2次ウィーン包囲の失敗→ヨーロッパの領土のほとんどを失う→ギリシアの独立というオスマン帝国衰退の歴史の流れを把握していればよい。必ずしもカルロヴィッツ条約を知らなくても判断できる。
問3【セリム3世と同時期の出来事】(四文選択)【3】 正答は(4)
(1)誤文。「…,10世紀には,そのうちの東フランクに
神聖ローマ帝国,西フランクにカペー朝が成立し,…。」(教科書p.32)とあり,設問の時代とかけはなれていることを判断する。
(2)誤文。「ナポレオンは,海上では
トラファルガーの海戦でネルソンのイギリス艦隊に
やぶれ,…,…,…。」(教科書p.86)とあり,設問の時代とあっているが,勝利していない。
(3)誤文。教科書p.57の地図に「一四九四 植民地分界線」の記載があり,そこから設問の時代とかけ離れていることを判断する。
(4)正文。「なかでも急速に頭角をあらわしたのは
ナポレオンであった。彼は,イタリアに進撃してオーストリア軍をやぶり,ついで,イギリスとインドとの連絡をたつため,
エジプトに遠征した。」(教科書p.86)

セリム3世の治世は本文中に「(在位1789〜1807)」とあり,これを参考にして判断する。設問だけ見て難問だとすぐに決めつけないこと。
問4【19世紀にイスラーム世界で起こった出来事】(誤文・四文選択)【4】 正答は(1)
(1)誤文。20世紀の出来事。「1921年2月,レザー=ハーンはクーデタで政権をにぎり,1925年にはカージャール朝を廃し,
パフレヴィー朝をひらいた。」(教科書p.145)
(2)正文。「…,19世紀前半,ロシアとイギリスの侵略を受け,
治外法権や領土割譲を認める不平等条約をむすばされ,利権をうばわれた。」(教科書p.105)とトルコマンチャーイ条約の内容が記載されている。
(3)正文。「…,1848年には
バーブ教徒が蜂起したが,政府により弾圧された。」(教科書p.105)
(4)正文。教科書p206の年表中に「1873
ヒヴァ=ハン国 ロシアの保護国になる」とある。

トルコマンチャーイ条約はトルコには関係なく,ロシアとカージャール朝の不平等条約である。
問5【19世紀後半の出来事】(四文選択)【5】 正答は(4)
(1)誤文。18世紀の出来事。「1757年の
プラッシーの戦い以後,イギリスはしだいにインドからフランス勢力を追いだし,…,…。」(教科書p.75)
(2)誤文。19世紀前半の出来事。「…,…,イギリスの海上封鎖策と衝突し,
米英戦争(1812〜14年)がおこった。」(教科書p.98注(1))
(3)誤文。アヘン戦争は19世紀前半の出来事であるとともに,朝鮮ではなく中国でおこった出来事である。朝鮮がからむ対立から引き起こされた戦争は,アヘン戦争ではなく,日清戦争,日露戦争である。「…イギリスは,1840年,宣戦を布告し,遠征軍を送った。清朝は徹底抗戦できずに敗北し,1842年,南京条約をむすんだ(
アヘン戦争)。」(教科書p.114)
(4)正文。「1860年,…リンカンが大統領に当選すると,翌年…。…,…,…
南北戦争がおこった。…。…,…,1865年南部の首都リッチモンドをおとしいれて南軍を降伏させた。」(教科書p.99)

時期を特定する設問である。「19世紀後半」を求められたら,19世紀前半の事項を入れた選択肢があることを想定しておいた方が良い。また,時には内容の誤った選択肢も存在することにも注意したい。
問6【メキシコに対するアメリカの政策】(語句組合せ)【6】 正答は(1)
ア・イ 「…,1932年の大統領選挙では民主党の
フランクリン=ローズヴェルトが,ニューディール(新規きまきなおし)をスローガンに当選し,…。…。…。さらに貿易を拡大するため,中南米諸国との関係を改善し(
善隣外交),…。」(教科書p.141)とあり,「フランクリン=ローズヴェルト」と「善隣外交」とが結びついて正解となる。逆に「ウィルソン」と「民族自決」は,「1918年にアメリカ大統領
ウィルソンが発表した,秘密外交の廃止,海洋の自由,
民族自決,国際的な平和機構の設立などの理想主義的な14か条が会議の基礎とされた。」(教科書p.136) とあるように結びつくとともに,時代も1938年以前の出来事であり誤答となる。

この設問は時期を問う要素の語句組合せ問題となっている。まず,セットになるものを見つけ,その後に時期を推理すると良い。語句組合せの設問は,このようにセットになるような形式だけではなく,さまざまな形式がある。
問7【労働者にかかわる法や制度,労働者の運動】(四文選択)【7】 正答は(4)
(1)誤文。反乱をおこしたのは工場労働者ではなく,青年将校。「ナポレオン戦争で西ヨーロッパの風潮に接した青年将校たちが,1825年,憲法制定をめざして決起した
デカブリスト(十二月党)の蜂起も鎮圧された。」(教科書p.96注(1))
(2)誤文。児童労働を奨励していない。「…,次々に
工場法を定めて労働時間や雇用年齢を制限した。」(教科書p.93)と「1833年,1844年,1847年の三度にわたって,それまで過酷な労働条件におかれていた
児童や女性の工場労働が制限された。」(教科書p.93注(5))
(3)誤文。スペインではなく,イギリスの出来事。「…,イギリスでは
チャーティストが最後の大請願をおこなった。」(教科書p.89)
(4)正文。「…,実権は帝国宰相
ビスマルクがにぎった。…,…。…,…,社会主義運動の急進化を恐れて社会主義者鎮圧法(1878年)を制定するなど,批判勢力とはげしく争った。その一方,疾病保険・災害保険などの社会政策により
労働者の待遇改善をはかった。」(教科書p.95)

ヨーロッパ各国では,数を拡大する労働者がしだいに参政権を求める。このような労働者の動きと政府の施策,あるいはロシアの自由を求める動きについて,年代・事項・政府の施策という形でまとめておこう。
問8【世界史上の革命】(誤文・四文選択)【8】 正答は(4)
(1)正文。「…,この内戦は
ピューリタン(清教徒)革命とよばれている。内戦は議会派の勝利に終わり,1649年
チャールズ1世は処刑され,…」(教科書p.70)
(2)正文。「しかし,1776年,トマス=ペインが
『コモン=センス』をあらわし,真の自由は独立によってしか達成し得ない,と説いたことが大きな刺激になって独立への動きが強まり,…,…。」(教科書p.82)
(3)正文。「サパタ(1879〜1919) …,ディアス独裁政権が倒されると,
サパタは「土地と自由」をスローガンに農民軍を組織した。革命の結果,民主的な憲法が制定された。」(教科書p.110図版解説)
(4)誤文。ロシア革命で倒れたのはロマノフ朝。「…,…,…,…臨時政府を樹立した。ニコライ2世は退位して,約300年続いたロマノフ朝の支配は終わった。この
三月革命の結果,…,…,…。」(教科書p.134)と「…,
ブルボン朝をひらいたアンリ4世が…,…。」(教科書p.71)

「革命」というテーマ性のある設問。センター試験では,時代や地域をこえて共通した用語やテーマをもった出題がなされる場合が多い。日常の学習においても,このような用語やテーマについて整理しておくと良い。
問9【クリミア戦争に参加した国】(誤り・語句選択)【9】 正答は(4)
「1853年,ロシアは
オスマン帝国に対しクリミア戦争をおこしたが,
イギリス・
フランスがオスマン帝国側についてたたかったため,敗北した。」(教科書p.96)とあり,(1)(2)(3)が参加国であることがわかる。
また,「…,1823年には,大統領モンローが,南北
アメリカとヨーロッパの相互不干渉を骨子とするモンロー宣言を発し,孤立主義は以後の合衆国外交の基本方針になった。」(教科書p.98)とあり,(4)のアメリカ合衆国が孤立主義をとったことがわかる。

クリミア戦争に関する正確な知識がなくても,アメリカのモンロー宣言などを把握していれば正答を導くことができる。角度を変えて考察してみることも大事である。
問10【アレクサンドル2世の「大改革」に関する演説】(語句選択)【10】 正答は(1)
(1)正しい。「ロシアは,クリミア戦争によって,社会の後進性を痛感させられた。そのため,1861年,アレクサンドル2世は,近代化をはかって
農奴解放令を発するなどの大改革をおこない,…。」(教科書p.96)
(2)誤り。ニコライ2世の行ったこと。「日露戦争中の1905年1月,…。このため革命運動が全国にひろがり,政府は十月宣言で憲法発布と
国会開設を公約して,これを鎮静化させた。」(教科書p.131)
(3)誤り。エカチェリーナ2世の行ったこと。「18世紀後半のエカチェリーナ2世は3回の
ポーランド分割に加わり,…。」(教科書p.72)
(4)誤り。1891年着工以前にアレクサンドル2世は暗殺されている。「ロシアではモスクワから太平洋に達する
シベリア鉄道が1891年に着工され,1905年に完成した。」(教科書p.125注(4)) と「アレクサンドル2世 1881年,テロリストに暗殺された。」(教科書p.96絵解説)

正確な年代をすべて覚える必要はないが,国王・皇帝名とその業績は結びつけて知識を定着させておきたい。イギリス・フランスばかりでなく,ロシア・ドイツ(プロイセンを含む)・オーストリアには要注意。
問11【世界各国の指導者の活動やその結果】(時代順・六択)【11】 正答は(2)
aは1950年代の出来事。「1954年4月,…,…。同年6月には,
インドのネルー首相と
中国の周恩来首相が会談し,
平和五原則(領土・主権の相互尊重,相互不可侵,内政不干渉,平等互恵,平和共存)を発表した。」(教科書p.167)
bは2000年の出来事。「韓国と北朝鮮の首脳会談(2000年)
韓国の金大中(任1998〜2003)大統領(左)と北朝鮮の金正日総書記(右)が,平壌で…南北首脳会談をおこない,…。」(教科書p.185写真解説)
cは1970年代の出来事。「1979 東京サミット(第5回主要
先進国首脳会議)」(教科書p.209年表)とあり,最初のサミットが1970年代中ごろだと判断できる。

この設問は,現代史であるが,時期が大きく離れている。正確な年代でなくてもおおよその年代把握をしておきたい。
第2問
問1 【マルクスの事績】(四文選択)【12】 正答は(4)
(1)誤文。作者はダーウィン。「…ダーウィンは
『種の起源』(1859年)で,…,…進化論を提唱し,生物学という境界をこえて,人々の世界観・人生観に深刻な影響を与えた。」(教科書p.127)
(2)誤文。マルクスとは関連がない。「イタリアには,…。秘密結社
カルボナリ(炭焼党)は,オーストリアからの独立とイタリアの統一を求めて,19世紀はじめからたびたび運動をおこしたが,…。」 (教科書p.94)
(3)誤文。『社会契約論』の背景とマルクスとは時代が異なる。「フランスでは,ヴォルテール・モンテスキュー・ルソーらによる啓蒙思想が,絶対主義や宗教の非合理的な面を批判する下からの変革の思想となった。」(教科書p.73)
(4)正文。「「万国の労働者よ,団結せよ」とよびかけたマルクスとエンゲルスの
『共産党宣言』が発表されたのも,この年であった。」(教科書p.89注(3))

社会を揺り動かす思想を提唱した人物,及びその著作物についてまとめておこう。
問2【19世紀後半に設立された国際組織】(語句選択)【13】 正答は(3)
(1)誤り。20世紀後半に成立した国際連合の一機関。「国連教育科学文化機関
UNESCO」(教科書p.160図中)
(2)誤り。20世紀後半に成立した国際連合の一機関。「
世界保健機関WHO」(教科書p.160図中)
(3)正しい。「19世紀には,…,相互の協力や連帯を強化するいくつかの国際的組織が結成された。敵味方の区別なく傷病兵を看護するための
国際赤十字社(1864年)をはじめ,…,…。」(教科書p.97)
(4)誤り。20世紀前半に成立した平和組織。「講和会議では,国際秩序の維持と世界平和の実現のため,ウィルソンの提案にもとづき
国際連盟 が設立された。」(教科書p.137)

おもな国際組織の成立時期や,国際連合に含まれる組織について整理しておきたい。
問3【パリ=コミューン】(二文正誤)【14】 正答は(4)
a誤文。イギリスではなく,ドイツとの講和条約への反発。
b誤文。第二帝政ではなく,第三共和政による第三共和国憲法が成立した。
「…,1870年,普仏戦争をおこしてやぶれ,
プロイセン軍の捕虜になった。帝政は倒れ,パリでは共和政(
第三共和政)が宣言された。翌年,不利な
講和を不満とする民衆は反乱をおこし,パリ=コミューンとよばれる社会主義的な自治政府を樹立したが,まもなく
鎮圧され,1875年,第三共和国憲法が成立した。」(教科書p.93)とある。

この二文正誤の設問は,ともに誤文の組合せとなっている。ともに正文となることを含め,解答にしにくいこれらの組合せでも,問題点が見つからなければ自信をもって選択できるようにしよう。
問4【太平天国】(誤文・四文選択)【15】 正答は(1)
(1)誤文。扶清滅洋を唱えたのは義和団。「とくに山東省を中心にひろまっていた義和団は,「
扶清滅洋」を唱えて排外運動をおこし,…,…。」(教科書p.120)
(2)正文。「列強は最初,中立的態度をとったが,…,干渉政策に転じた。こうして,
イギリスのゴードンらの組織した外人義勇軍(常勝軍)が干渉し,…」(教科書p.115)。
(3)正文。「1851年,太平天国の建国を宣言した。…,…,…,1853年には
南京を占領し,
首都とした。」(教科書p.115)
(4)正文。「太平天国の鎮圧過程で実力を発揮した李鴻章らの有力な漢人
官僚は,…,先進国の技術を導入し,清朝専制体制の維持をはかった。…,…。これを
洋務運動 といい,…,…。」(教科書p.116)

太平天国にかかわる事項のみの設問。太平天国がめざしたのは滅満興漢。太平天国にかかわる男女平等,纏足・辮髪の禁止,天朝田畝制などについても整理しておこう。
問5【中国で行われた政策】(二文正誤)【16】 正答は(4)
aは誤文。天朝田畝制度は太平天国の主張。「彼らは,…,…,…,…,
天朝田畝制などをかかげて,いちじは清朝を圧倒する勢いであった。」(教科書p.115)
bは誤文。人民公社は,大躍進政策の一環として組織されたもの。「…1992年,ケ小平の主導で中国共産党が
改革開放政策を全面的に推進するむねを公表すると,…,…。」(教科書p.172) , 「農業の集団化と工業基盤の整備をめざす第1次五か年計画は成果をあげたが,1950年代末から,農村の
人民公社化などをめざす大躍進政策が実施され,経済が混乱した。」(教科書p.165)

中華人民共和国の政策の変化についておおまかな流れを把握しておこう。現代中国の経済発展はケ小平の主導による改革開放政策によってその基礎がつくられた。
問6【1864年より後に起こった出来事】(四文選択)【17】 正答は(3)
(1)誤文。1844年の出来事。「…,…,1844年には,フランス・アメリカとも同様の条約をむすんだ。」(教科書p.114),「フランスとは
黄埔条約,アメリカとは望厦条約をむすんだ。」(教科書p.114注(3))
(2)誤文。1816年に派遣された。「イギリスは,制限貿易を打開するために使節を派遣したが,成功しなかった。」(教科書p.114),「1793年のマカートニー,1816年の
アマーストなど。」(教科書p.114注(1))
(3)正文。清仏戦争(1884〜85)の講和条約であり正しい。「…,…フランスがトンキン地方に侵攻してヴェトナムを保護国とすると,清は反発し
清仏戦争をおこしたものの敗北した。こうして1887年,フランスはアジアの植民地としてインドシナ連邦を成立させた。」(教科書p.109)
(4)誤文。1853年の出来事。「1853年,
ペリー来航で鎖国がやぶられた日本は,…,…,…。」(教科書p.116)

正確な年代は覚える必要はないが,1840年代,1880年代など10年単位ではイメージできるようにしたい。また,主要な事件より前か後ろの出来事かを判断するようにしたい。
問7【義和団事件】(語句組合せ)【18】 正答は(2)
ア・イ 「事件が終結しても,
ロシアは兵力を中国東北から撤退させず,さらに朝鮮や華北への進出をはかった。
イギリスは,ロシアの勢力がアジアに浸透するのを恐れて,新興国の
日本に接近し,1902年,「光栄ある孤立」を捨てて,
日英同盟を締結した。」(教科書p.120)とあり,ロシアの脅威に対するイギリスと日本との同盟という図式が連想できれば正解となる。なお,英露協商は日露戦争後の1907年に結ばれた。「三国同盟と三国協商 1907 英露協商」(教科書p.130側注図)

中学校社会で学んだものは,世界史においても基本となることを認識しておきたい。日本史にかかわる世界史出題は今後増大することはあっても,出題がなくなることは考えられない。その意味でも,中学校の歴史教科書を再度読み返しておくことをすすめる。
問8【ソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)】(四文選択)【19】 正答は(3)
(1)誤文。ポーツマス条約はロシアと日本とが結んだ。「日露戦争の講和(
ポーツマス条約)アメリカ大統領のあっせんでむすばれた。…,…,…。」(教科書p.130地図解説)
(2)誤文。対立する自由主義陣営の出来事。「1958
EEC発足」(教科書p.208年表)
(3)正文。「これに反対するソ連は占領地域内で通貨改革をおこなうとともに,ソ連占領地域内に孤立する西側3か国の占領地,西
ベルリンを封鎖した。」(教科書p.162)
(4)誤文。対立するアメリカ陣営の政策。「こうしてソ連の勢力拡大を阻止する「封じこめ政策」が発動された。この政策を経済面から実施したのが,1947年6月に発表された
マーシャル=プランである。」(教科書p.161)

2つの対立組織や陣営については,そのどちらにかかわる出来事なのか,正確に把握しておきたい。また,帝政ロシアとソ連時代,さらには現代のロシアの出来事をきちんと区別できるようにしておきたい。
問9【独ソ不可侵条約が結ばれた時期】(記号選択)【20】 正答は(3)
独ソ不可侵条約の締結は1939年8月であり,第二次世界大戦勃発直前の出来事。「孤立感を深めたソ連は,むしろドイツとむすんでその侵略をさけようとし,
1939年8月に
独ソ不可侵条約を締結して世界をおどろかせた。」(教科書p.152)また,
スターリン憲法については「スターリン憲法(1936年)を祝うポスター」(教科書p.142図版解説)とある。

1934年以前と,1934年から1941年の間で3つ、あわせて4つの時期区分をして独ソ不可侵条約の締結時期を問うのは,かなり細かい年代問題となっている。しかし,独ソ不可侵条約を結んで第二次世界大戦に突入したというヒトラーの政策を把握しておけば正答を導くことができる。細かい年号を正確に覚えるのではなく,展開の流れを把握することでこのような設問にも対処できる。
問10【ワルシャワ条約機構加盟国】(語句選択)【21】 正答は(1)
教科書p.161の「第二次世界大戦後のヨーロッパ」の「
ワルシャワ条約加盟国」をみると(1)の「
ドイツ民主共和国」がはいっている。(2)スイス,(3)フィンランド,(4)オーストリアは「ワルシャワ条約加盟国」と「北大西洋条約加盟国」の双方に入っていない。

教科書の地図などで,組織や機関などに参加している国を把握するのは当然であるが,参加していない国についても留意し,その理由などにも注意しておきたい。
問11【冷たい戦争(冷戦)の時代に起こった出来事】(誤文・四文選択)【22】 正答は(4)
(1)正文。「翌1972年には,
ニクソンが訪中し,米中関係の正常化に道をひらいた。」(教科書p.172)
(2)正文。「…,…,…,1987年,ソ連との
中距離核戦力(INF)全廃条約に調印した。」(教科書p.170)
(3)正文。ソヴィエト連邦崩壊前の出来事。「…,そのため
ケネディは米国民の強い支持を得たが,1963年11月22日,ダラスで
暗殺された。」(教科書p.168)
(4)誤文。チェルノブイリ原発事故はアメリカ合衆国ではなく,ソ連の事故。「…,…,…,スリーマイル島(1979年,アメリカ)での燃料棒溶融事故や
チェルノブイリ(1986年,ソ連)での大爆発事故など,問題も少なくないことを示したのである。」(教科書p.193)

時期を特定する設問ではなく,内容誤りの設問になっている。<スリーマイル島=1979年,アメリカ>→<チェルノブイリ=1986年,ソ連>はしっかりと理解しておきたい。
第3問
問1【インドの歴史】(四文選択)【23】 正答は(2)
(1)誤文。ヒンドゥー教は,ユダヤ教との関連はなく,バラモン教などとの関連が強い。「…
ヒンドゥー教は,形式主義・伝統主義におちいっていたバラモン教自体を革新して,グプタ朝時代に成立した。」(教科書p.19)
(2)正文。「17世紀後半,第6代の
アウラングゼーブ帝が…。しかし,たび重なる外征は財政を悪化させ,熱心なムスリムのアウラングゼーブ帝が
ジズヤを復活させた…,…。」(教科書p.60)
(3)誤文。カルカッタ(コルカタ)はイギリスの植民地。「…,マドラス(チェンナイ)・ボンベイ(ムンバイ)・
カルカッタ(コルカタ)に商館を設置していたイギリス東インド会社は,インドの分裂状況を利用して勢力をのばすようになった。」(教科書p.106)
(4)誤文。ローラット法は第二次世界大戦後ではなく,第二次世界大戦後に施行。「イギリスは第一次世界大戦中に約束した自治を認めず,1919年,
ローラット法を施行し,反英運動を弾圧した。」(教科書p.146)

一つの地域について時代をこえて見通す設問で,内容の正誤を探す設問。各選択肢には大きなポイントがあり,それらを判断することになる。
問2【道具や技術】(誤文・四文選択)【24】 正答は(1)
(1)誤文。楔形文字は,ギリシアではなくメソポタミアで発明された。「…,…,日干しれんが建築・
楔形文字・法・太陰暦・六十進法・神話など
メソポタミア文明の基礎をつくった。」(教科書p.22)
(2)正文。「
殷の
青銅器殷の青銅器は主として祭器であった。…。」(教科書p.9写真解説)
(3)正文。「…,…,
インダス文明とよばれる都市文明が栄えた。…。モエンジョ=ダーロとハラッパーの2大遺跡は,…。これらの都市は周到な計画のもとに建設され,
排水溝をそなえた道路…,…。」(教科書p.16)
(4)正文。「…,…,
ティグリス・ユーフラテス両河下流域に最初に出現した
灌漑農耕である。」(教科書p.7)

「四大文明」と称される文明について,その特色をそれぞれ整理しておきたい。
問3【インドとイギリスの関係】(語句組合せ)【25】 正答は(4)
教科書p.106の「インド
綿布とランカシャー綿布」のグラフから,設問の説明文の理解ができる。
流れとしてはインドの綿布のイギリスへの輸出→それがイギリスでの流行とイギリスでの生産→イギリス産業革命で綿布生産拡大→インドからの原料の綿花輸入。
「17〜18世紀に,イギリスでは
インド産綿製品が新種の衣料として好まれただけでなく,…,需要が高まった。イギリスでは,17世紀に木綿工業がおこっていた。しかし,上質で安価なインド産綿製品に対抗し,生産力を向上させるため技術革新が求められていた。この要望にこたえて,1760年代から1770年代に3種類の紡績機が発明されて糸の生産量が増えると,次に,織布部門での能率化が必要になって,1780年代に力織機が発明された。発明された機械は,新しい動力を利用したこともあって,工場に多数設置され,大量生産がはかられた。」(教科書p.78),「…,イギリス本国で産業革命がすすむと,自由貿易政策のもとに大量の綿製品がインドにもちこまれたため,とくにベンガル地方の綿織物業は大きな打撃を受けた。さらに農村では藍・
綿花・ケシ・黄麻など輸出用作物のモノカルチャー(単一栽培)化がすすみ,…,…。」(教科書p.106)

産業革命をイギリスとインドとの関係からみた設問。市場,原料,製品,価格という経済的な面をしっかりと理解するとともに,今後,このような社会経済的な出題には注意してほしい。
問4【18世紀の発明】(語句選択)【26】 正答は(1)
(1)正しい。「1733 ジョン=ケイ,
飛び梭を発明」(教科書p.79)
(2)誤り。
(3)誤り。(2)(3)ともに13世紀までに発明されている。「…,…,宋代に発明された
火薬や
羅針盤は,ムスリム商人を通してヨーロッパへ伝えられた。」(教科書p.43)
(4)誤り。20世紀の発明。「1903年にライト兄弟が初飛行に成功した
飛行機は,…。」(教科書p.127)

飛び梭(飛び杼)が産業革命のはじまりとなった発明品であることを把握しているかどうかが問われているが,消去法で火薬や羅針盤が中国での発明,飛行機が20世紀初頭の発明であることから判断することもできる。
問5【軍事技術や兵器の歴史】(四文選択)【27】 正答は(3)
(1)誤文。この作戦はイギリスではなくドイツがとった。「大戦中アメリカは中立を保ちながら,交戦国,とくに協商国側に軍需品や食料を輸出していたが,ドイツの
無制限潜水艦作戦の開始を理由に,1917年4月に参戦し,…。」(教科書p.133)
(2)誤文。機関銃は第一次世界大戦ですでに使用された。「第一次世界大戦まえのヨーロッパでは,…,…。しかしこの大戦では,戦闘が長期化したうえ,
機関銃などの使用で弾薬の消費量が激増し,…,…,…。」(教科書p.133)
(3)正文。「ヴェトナム戦争」の小見出しで,「…,…,大量の
枯れ葉剤をまいて森林を破壊した。」(教科書p.169)
(4)誤文。封建諸侯と同様に騎士階級も没落した。「封建諸侯の力は弱まり,…。」(教科書p.34)とあり,その注(2)に「原因として,
火器の使用による戦術の変化,傭兵制度の普及,十字軍遠征の経費負担などが考えられる。」(教科書p.34注(2))とある。

テーマ史として戦争にからんだ技術や変化については頻出事項である。よく整理しておきたい。
問6【フランスの19・20世紀における対外関係】(四文選択)【28】 正答は(2)
(1)誤文。18世紀の出来事。「
アメリカ独立戦争」の小見出しで,「独立軍は苦戦しながらも司令官ワシントンのもとに抵抗を続けた。その間に,フランスとスペインが独立側について参戦し,…,…,…。」(教科書p.83)とある。
(2)正文。「そして
英仏協商 (1904年),英露協商(1907年)の成立によって,…,…。」(教科書p.132)
(3)誤文。フランスが勝利し,清が敗北した。「その後,第三共和政のフランスがトンキン地方に侵攻してヴェトナムを保護国とすると,清は反発し
清仏戦争をおこしたものの敗北した。」(教科書p.109)
(4)誤文。3C政策は,フランスではなく,イギリスの政策。「イギリスは「インドへの道」を確保するため,スエズ運河の株を買収してこの地方の支配権をにぎり,インド洋までの地域を勢力圏にしようとする
3C政策をすすめた。」(教科書p.103)

この設問では,選択肢に時期誤りとフランスにかかわる事項として誤っている内容誤りのものが混在している。誤りの選択肢として,戦争などの勝敗を逆にして表現することが多いので注意したい。
問7【アメリカ合衆国における技術の発展や普及】(時代順・六択)【29】 正答は(4)
aの電気冷蔵庫は1920年代に普及した。「
電気冷蔵庫の広告 …。1929年には全米の家庭の70%に電気がひかれ,冷蔵庫・洗濯機・掃除機・アイロンやラジオが普及していった。」(教科書p.128図版解説)
bのフルトンによる蒸気船の実用化は19世紀初頭。「1807
フルトン (米),
蒸気船を実用化」(教科書p.79年表)
cのベルによる電話の発明は19世紀後半。「さらに1876年にアメリカの
ベルが
電話を,…を発明した。」(教科書p.126)

この設問には二つの要素があり,一つは技術の発展や普及についてそれぞれの時代を把握しているかどうかであり,もう一つは世界史Aでおさえるべき重要事項となっている大衆文化や大量消費社会の形成を理解しているかということである。とくに後者についての学習を整理しておきたい。
問8【核開発や宇宙開発】(誤文・四文選択)【30】 正答は(4)
(1)正文。記述なし。
(2)正文。「
アポロ11号の
月面着陸(1969年)」(教科書p.193写真)
(3)正文。「第五福竜丸 1954年,
ビキニ島東方で日本の漁船「第五福竜丸」がアメリカの
水爆実験による…,…。」(教科書p.189写真解説)
(4)誤文。フランスの核実験は冷戦後ではなく,1960年代の冷戦中に行われた。「ムルロワ環礁
1966年からフランスが核実験,1996年に終了。」(教科書p.189地図中)

核開発,核軍縮や核実験の停止についてはセンター試験の頻出事項であり,よく整理しておきたい。
問9【イランの歴史】(二文正誤)【31】 正答は(2)
aは正文。「…,
ササン朝では,ヘレニズム・インドの文化要素を加えた国際色ゆたかな文化がうまれ,
工芸品やそのデザインなどは,ビザンツ帝国や唐・日本にも伝わった。」(教科書p.24)と「日本(東大寺正倉院)にもたらされたササン朝のガラス水瓶」(教科書p.24写真)
bは誤文。スンナ派ではなくシーア派。「
シーア派を
国教とした
サファヴィー朝では,…。」(教科書p.61)

日本に伝来したササン朝の工芸品として,水瓶や皿などに注目しておきたい。
問10【第1次石油危機(第1次オイル=ショック)が発生した時期】(記号選択)【32】 正答は(3)
第1次石油危機は1973年の出来事で,それは第4次中東戦争におけるOAPECの石油戦略の発動にともなっておこった。「1973年
第4次中東戦争OAPEC諸国,石油戦略発動→
第1次石油危機」(教科書p.182流れ図)

4回にわたる中東戦争,イラン革命,イラン=イラク戦争,湾岸戦争,イラク戦争はセンター試験における頻出事項であり,よく整理しておきたい。
問11【エジプトで20世紀に起こった事件】(四文選択)【33】 正答は(2)
(1)誤文。フランスではなくイギリスからの独立を主張した。「イギリスの保護国であったエジプトは,戦後
ワフド党が中心となり,反英運動を展開した。
イギリスは,…,…,…,名目だけの独立に,民衆の不満は募り,ワフド党はこれを背景に政権をにぎり,完全独立をめざす運動を続けた。」(教科書p.145)
(2)正文。「敗戦の衝撃から,アラブ側の中心であったエジプトでは,王政への不満が爆発し,1952年に
エジプト革命がおこり,翌年に共和国が成立した。」(教科書p.166)
(3)誤文。サダトではなくナセル。「1954年に政権をにぎった
ナセルは,民族主義政策を推進し,1956年,
スエズ運河国有化を宣言した。」(教科書p.166)
(4)誤文。第1次中東戦争では,シナイ半島をエジプトが保持している。シナイ半島をイスラエルが占領したのは第3次中東戦争においてである。「第1次中東戦争後のパレスティナ」(教科書p.166地図)及び「
第3次中東戦争とパレスティナ暫定自治」(教科書p.182地図)

エジプト史やパレスティナ史については,前近代・中世・近現代をあわせ,地図も含めて整理しておこう。