2010年度 センター試験【日本史B】解説と分析
■全体的な出題内容の特徴

大問数6題,全解答数36問は昨年と変わらなかった。設問は4項目中からの択一というパターンが大半を占めたものの,6項目中からの択一というパターンも若干(4/36問)あった。出題形式は,正しいもの・誤っているものの選択,正しいもの・正誤の組合せ,古い順に年代配列ができているか否かを択一で答えさせるものであった。 問題は,原始の小国の分立から戦後史に至るまで満遍なく出題され,今年は第1問に『歴史の考察』における「歴史の追究」として,「武士の歴史」に関係した設問(古代~近世・近代)が採り上げられた。それ以外の大問5題では,古代の政治や文化,中世の文化・政治・社会,近世の政治・社会,明治前期の産業・経済,渋沢栄一・敬三(栄一の孫)の生きた時代背景(08年度は尾崎行雄,09年度は幣原喜重郎)や戦後の動向に関する問題などが出題された。全般的に政治・経済史が主流を占めたが,社会・文化史や地図・図像資料を読み取る能力を試す設問も若干見られた。。

■大問の分析
第1問(問1~6 配点12)

既述のように,本年度は『歴史の考察』における「歴史の追究」では,「武士の歴史」が採用された。
Aの問1では源氏の東国における勢力拡大の過程が, 問2では鎌倉幕府における御恩と奉公の内容そのものが,問3では戦国大名の武士への統制強化策の内容などが問われた。 またBの問4では鎌倉時代の武家社会の生活実態が取り上げられ,問5では江戸時代の武士の道徳性に関連した思想・教育が,そして問6では明治時代の思想界の動向が問われた。『歴史の考察』で取り扱う項目別の学習内容は各社様々であるが,図像資料・史料などを手掛かりにして歴史を読み解いていく記述が多いので,日頃から興味関心をもってその分野を一通り丁寧に読んでおくことが肝心である。問題それ自体はそれほど難しくもなく,問題文を読みながら各時代別の関連知識を生かせれば,十分正解にたどり着くことができるであろう。

第2問(問7~12 配点18)

古代の政治や文化に関する問題。Aでは史料として,『日本書紀』の文章の一部が採り上げられた。問1では,史料内容として,蘇我馬子とある皇子,つまり廐戸皇子(聖徳太子)が政敵物部守屋を討伐するにあたり,それぞれが寺院(前者は法興寺=飛鳥寺,後者は四天王寺)の建立を祈願したという伝承が記されている,ということが理解できれば問題はない。問2では廐戸皇子の執政としてどのような項目が挙げられるかを想起すればよい。問3では大連・奴・田荘といったキーワードの意味が問われている。Bの平安宮(大内裏)に関連した問4では,律令官制そのものや律令体制下の仏教の特色が問われた。問5では絵画資料としての「伴大納言絵巻」と応天門の変の関係や絵画資料からその時代の特色を見つけ出す能力が試された。また問6では9~11世紀にかけての政治構造の変遷(蔵人所→摂関政治→院政)が理解されているか否かが問われた。これらに対応するためには,日頃から史料をしっかり読む習慣を身につけ,折角覚えた知識が十分に生かせるよう,政治・経済・社会的動向とも関連づけながら丁寧に整理しておくことが要求される。 併せて,図表を見る際にキャプションまでしっかり読むことをおすすめしたい。

第3問(問13~18  配点18)

中世の文化・政治・社会に関する問題。Aの平安末期から鎌倉時代の時代傾向では,問1で日蓮の布教の特色と禅宗絵画の特色が,問2で法然が活躍した時期の政治状況が問われた。続いて問3で重源が南都の寺院再建に採用した様式(天竺様)がどの写真に該当するのかを見つけ出す能力が試された。これも第2問と同様に,常日頃から図録や教科書の写真・キャプションをしっかり見る習慣を身につけておくおくことが求められている。Bの南北朝~室町・戦国時代の政治動向では,問4で後醍醐天皇と北畠親房の政治方針が,問5で室町時代の戦乱の変遷が問われたが,双方とも極めて基本的な問題である。問6は平安時代から交易が行われていた港町・自治都市博多と越前朝倉氏の居館があった一乗谷をそれぞれ地図上で見つけ出すもので,これもミスは許されない。全問ともいずれもその時代を象徴する歴史的事項を採り上げた基本的な問題で,教科書の内容がしっかり理解できていさえすれば容易に正解にたどり着くことができる。

第4問(問19~24  配点17)

近世の政治・社会に関する問題。Aの文治政治下の政治・経済では,問1で4代家綱の代に行われた異様な風体で徒党を組み,秩序に収まらないかぶき(傾奇・歌舞伎)者の取り締まりと5代綱吉の代に行われ庶民を苦しめた生類憐み令を選び出すのは容易である。問2は6代家宣・7代家継の代に行われた正徳の治(新井白石の改革)の施策内容を想起すればよい。問3の甲は元禄文化を代表する絵画作品で尾形光琳の「燕子(杜若)図屏風」,乙は竹本義太夫が大坂道頓堀に創設した人形浄瑠璃の竹本座の公演風景を示している。Bは天保の改革以降の国内外の政治動向を概説したものである。問4でアヘン戦争による清国の敗北を導き出すのは容易であり,幕府の外国への対応措置として長崎に海軍伝習所,江戸に講武所を設置して実技を中心とした軍事教育を推進したことを選び出すのも容易いことと思われる。問5の西洋の情報の摂取の年代順も,それ程無理な問題ではないであろう。問6の坂下門外の変(1862年)以降の幕府の政治改革では,幕府の独裁体制が崩壊したことを念頭に置けば,自然と解答は見えてくるであろう。

第5問(問25~28 配点12)

明治前期の産業・経済に関する問題。問1では西南戦争の際に戦費を補うために発行された紙幣と,その結果として生じた経済状況が,問2では内務省そのものの歴史的役割が問われた。また問3では政府の殖産興業政策に伴う国産品奨励や製造技術の改良の結果として発生した産業構造の具体的な発展例が取り上げられた。さらに問4では官営事業の払下げを受けた政商が財閥として発展して行く経緯を確認させる問題が出題された。本年度は明治政府の殖産興業政策に基づく近代産業の保護育成の進展,昨年度は自由民権運動と薩長藩閥政府の対応などが取り上げられるなど,テーマ史に基づいた学習の必要性が求められている。

第6問(問29~36 配点23)

近代の経済界で活躍した渋沢栄一・敬三(栄一の孫)を介して,日本の近代以降の政治・経済・文化史の歩みを概観する問題(一昨年は尾崎行雄,昨年度は幣原喜重郎であった)。Aの明治~大正期の渋沢栄一に関しては,問1で栄一が国立銀行設立と大阪紡績会社(現東洋紡の前身)設立などに関係し,近代日本の産業の発達に尽力した人物であることが,問2では第一次大隈重信内閣の施策内容の確認が問われた。また問3では日本の運輸(鉄道敷設-日本鉄道会社)と通信(郵便制度-前島密)の近代化の事実関係が,さらに問4では明治時代の議会制度の成立過程(1877年~1889年)が問われた。Bの栄一の晩年(大正~昭和初期)とその孫である敬三(戦前~戦後)に関しては,問5で第一次世界大戦期における日本の政治・外交の内容確認が問われ,問6で1929年~1934年にかけての日本経済の特徴を「日本経済の諸指数の推移」(統計表,基準は満州事変〈1931年〉と昭和恐慌〈1930年〉)から読み取る能力が試された。次に問7では戦後復興期から高度経済成長期の社会の推移(1953年~1972年)の事実関係を確認する作業が問われ,最後に問8で戦後における日本の文化・教育・学術などに関係した文化史が出題された。戦後史は毎年2問程度出題され,その上限は沖縄返還(1972年)あたりである。出題傾向としては,極めて常識的な重要事項を問うものが大半を占める。

■問題正解と配点

問題1
【1】
【2】
【3】
【4】
【5】
【6】
小計
正答
2
4
3
4
1
1
配点
2
2
2
2
2
2
(12)
問題2
【7】
【8】
【9】
【10】
【11】
【12】
小計
正答
4
1
4
3
4
5
配点
3
3
3
3
3
3
(18)
問題3
【13】
【14】
【15】
【16】
【17】
【18】
小計
正答
3
2
2
4
4
1
配点
3
3
3
3
3
3
(18)
問題4
【19】
【20】
【21】
【22】
【23】
【24】
小計
正答
1
3
4
4
2
1
配点
2
3
3
3
3
3
(17)
問題5
【25】
【26】
【27】
【28】
    小計
正答
4
3
1
5
   
配点
3
3
3
3
   
(12)