2009年度 センター試験【世界史A本試】解説
第1問
問1【古代ローマを代表する建築】(語句選択) 正答は(2) 1
→正解(3)のコロッセウムは教科書p.31に図版が掲載されている。

(1)のピサ大聖堂はヨーロッパ中世のロマネスク様式の建造物。
(3)は古代インドの仏塔。
(4)はチベットのラサ郊外に17世紀に建てられた建造物で,歴代のダライ=ラマの宮殿となった。
問2【パルテノン神殿】(二文正誤) 正答は(2) 2
a正文。
→写真解説に「アテネの
アクロポリス ポリスの守護神アテネの神殿(パルテノン)がある。」(教科書p.28)
b誤文。
→「アケメネス朝は,前4世紀後半,マケドニアのアレクサンドロス大王の遠征によって滅び,大王の死後,セレウコス朝が西アジアの大半を支配した。遠征以降東方に移住して各地に植民市をたてたギリシア人によって,ギリシア文化が普及し,オリエント文化と混合して
ヘレニズムがうまれた。」(教科書p.24)

パルテノン神殿の建設は,アレクサンドロス大王の東征以降のヘレニズム文化より前の時代。
問3【オスマン帝国】(四文選択) 正答は(1) 3
(1)正文。
→「そしてセリムの子
スレイマン1世のもとで全盛期をむかえた。」(教科書p.62)
(2)誤文。
→「
シーア派を国教としたサファヴィー朝では,16世紀末にアッバース1世がイスファハーンを都とした。」(教科書p.61)とあり,サファヴィー朝の内容。
(3)誤文。
→「13世紀末小アジアに移住したトルコ人はオスマン朝を建国したが,ティムール帝国にやぶれ(アンカラの戦い),いちじ衰えた。しかし,まもなく復興し,1453年メフメト2世はビザンツ帝国を滅ぼした。」(教科書p.62)から小アジア→バルカン半島という拡大のようすが判断できる。
(4)誤文。
→「
ベルリン会議後のバルカン半島」(教科書p.96注)にある表に「
ボスニア・ヘルツェゴビナ→オーストリアが管理。」とあり,オーストリアの内容。

スレイマン1世がオスマン帝国にかかわる人物であることを理解していること。
問4【ギリシアの歴史】(誤文・四文選択) 正答は(4) 4
(1)正文。
→「前8世紀ころ,
ポリス社会が成立し,ギリシア独自の発展がはじまる。」(教科書p.28)
(2)正文。
→「ポリスは,それぞれが独自の小都市国家で,土地を割り当てられた成人男性のみが市民とされ,重装歩兵としてポリスの防衛に当たった。前5世紀前半の
ペルシア戦争を中心となってたたかったアテネでは,…。」(教科書p.28)
(3)正文。
→「…,ポリス社会は衰えて,ギリシアは北方の
マケドニア王国に征服された。」(教科書p.29)
(4)誤文。
→教科書p29の「ローマ帝国の領域拡大」の地図に「ローマ帝国分裂の境界線」があり,ギリシアが西ではなく東に入っていることが判断できる。

ギリシアは,西ローマ帝国ではなく東ローマ帝国(ビザンツ帝国)の領域に位置する。
問5【ドイツ帝国の政治】(二文正誤) 正答は(4) 5
aは誤文。
→ビスマルクの失脚前に社会主義者鎮圧法が制定されていた。「彼は,官僚や高級軍人を独占する土地貴族層(ユンカー)と新興の産業資本家層の利害を調整しつつ工業の発展につとめた。また,不満をいだく旧教徒の弾圧をはかり(文化闘争),社会主義運動の急進化を恐れて
社会主義者鎮圧法(1878年)を制定するなど,批判勢力とはげしく争った。」(教科書p.95)
bは誤文。
→スパルタクス団の結成は,第一次世界大戦前ではなく,大戦中である。「これに対して,大戦中から戦争に強く反対していたリープクネヒトやルクセンブルクがひきいる最左翼の共産党が,1919年1月に社会主義革命をめざして,ベルリンで蜂起した。」(教科書p.140)

二文正誤の問題は,正文と誤文の組合せが従来から多かった。しかし,最近はどちらも正文あるいは誤文となる形でも出題してきているので要注意。この設問は,ビスマルク失脚や第一次世界大戦という大きな出来事を軸に,法律や事件の時期を問うている。ただ,その時期を覚えていなくても,その人物が行った政治や戦争の様子から推理して正誤を判断することもできる。
問6【1920年代に起こった出来事】(四文選択)正答は(2) 6
(1)誤文。
→ドーズ案によりドイツ経済が回復しはじめる。「また
ドーズ案によりアメリカから資金が流入したため,1920年代後半には,経済は鉄鋼・化学・電気産業などを中心に回復しはじめた。」(教科書p.140)
(2)正文。
→「
シュトレーゼマン内閣は新紙幣(レンテンマルク)を発行してインフレーションをおさめた。」(教科書p.140)
(3)誤文。
→
不戦条約は,スターリンではなく,アメリカのケロッグとフランスのブリアンの交渉で成立した。「(4)アメリカのケロッグとフランスのブリアンの交渉で成立し,はじめ15か国が調印し(1928年),のち63か国となった。これによって戦争に対する非難に法的根拠が与えられた。」(教科書p.137注(4))
(4)誤文。
→1920年代ではなく,1935年のこと。「そして,1935年に
再軍備を宣言し,翌年3月,非武装地帯のラインラントに軍隊を進駐させた。」(教科書p.143)

内容誤りが(1)・(3)で,時期誤りが(4)となっている。センター試験の四文選択には,内容誤り・時期誤りなど混在しているものがあるので注意。
問7【ヒトラーの共産党弾圧】(語句組合せ) 正答は(3) 7
→「党首
ヒトラーは,…,…,…。1932年7月には第一党となり,
共産党などの勢力増大を恐れる軍部や大資本の支持も受けて,1933年1月に首相となった。就任後,国会議事堂
放火事件を口実に共産党を弾圧し,…。」
(教科書p.143)

ヒトラーはナチスの党首である。その党首が自らの党を弾圧することは考えられない。また,社会民主党のエーベルトは,ドイツ帝国最後の首相であり,その後のヴァイマル共和国の初代大統領となる。
問8【ベルリンの壁建設と崩壊の時期に起こった出来事】(四文選択)正答は(2) 8
(1)誤り。
→1947年の出来事で,壁建設前。「しかしソ連は,…,…,…,…。さらに1947年10月には
コミンフォルム(共産党情報局)を結成し,…」(教科書p.161)
(2)正しい。
→西ドイツ首相であるブラントの「東方外交」と称されるもので,1972年に東西ドイツ基本条約を結んだ。年表に「1972 東
西ドイツ基本条約調印」とある。(教科書p.208)
(3)誤り。
→1949年の出来事で,壁建設前。「1949年4月に
北大西洋条約機構(NATO)が結成された。」(教科書p.162)
(4)誤り。
→1951年の出来事で,壁建設前。「1951年,
サンフランシスコ講和会議で,日本は48か国と平和条約をむすび,翌年,独立を回復した。」(教科書p.165)

ベルリンの壁建設は1961年で,その崩壊が1989年。ただ,この設問は,その年代をしらずとも,西ドイツの表現がある(2)が正答に近いと推理できる。もちろん,ドイツの分裂は1949年のことであり,西ドイツだけで決め手にすることはできない。
問9【第一次世界大戦中の外交】(二文正誤) 正答は(4) 9
a誤り。
→ ドイツではなく,イギリス外相のバルフォア。
b誤り。
→ フランスではなく,イギリスのエジプト高等弁務官。
ともに教科書p.145の側注の「パレスティナをめぐる条約」の表に「
バルフォア宣言(1917) 英・ユダヤ人」,「
フサイン=マクマホン協定 (1915) 英・アラブ人」とある。

パレスティナをめぐる条約については,フサイン=マクマホン協定(1915),サイクス=ピコ協定(1916),バルフォア宣言(1917)の3つの異なった約束を把握しておきたい。
問10【1930年代に起こった出来事】(四文選択)正答は(3) 10
(1)誤り。
→シベリア鉄道は,1905年に完成した。「(4)…,…,…。ロシアではモスクワから太平洋に達する
シベリア鉄道が1891年に着工され,1905年に完成した。」(教科書p.125注(4))
(2)誤り。
→モンゴル人民共和国は,1924年に樹立された。「…,チョイバルサンはモンゴル人民革命党を結成して,1924年,アジアで最初の社会主義国
モンゴル人民共和国をたてた。」(教科書p.121)
(3)正しい。
→「…,1932年にはカナダのオタワで
イギリス連邦経済会議をひらき,連邦内の貿易決済をポンドでおこない,連邦内の商品は無税か低関税を,外国商品には高関税をかけることを決め,スターリング(英国のポンド通貨)=ブロックが形成された。」(教科書p.142)
(4)誤り。
→キューバ危機は,1962年に起こった。「…,ケネディ政権は1962年10月,隣国キューバにソ連の核ミサイル基地が建設中であることを知ると,ソ連に中止を要求し,応じなければ核戦争をも辞さないと通告した(
キューバ危機 )。」(教科書p.168)

正確な年代をすべて覚えている必要はない。世界恐慌,ナチスの台頭,日中戦争,第二次世界大戦の勃発といった1930年代の特徴を把握していることで,選択肢がそれ以前・以後の出来事かどうか判断すればよい。
問11【第二次世界大戦後のアジア・アフリカの国々の成立過程や経験】(波線部付き四文選択)正答は(2) 11
(1)誤文。
→1970年ではなく1960年。「このことから1960年は
「アフリカの年」といわれた。」(教科書p.167)
(2)正文。
→「翌
1980年,イラクの侵入を発端としてイラン=イラク戦争がはじまり,…」 (教科書p.175)
(3)誤文。
→光州事件は中国ではなく,韓国で起こった事件。
(4)誤文。
→教科書p.174地図のインドネシアの領域にある東ティモールに「2002
東ティモール民主共和国が発足」とある。

波線部付きの正誤問題は,波線部がないと難度が高いことからポイントを絞って易化させる意味がある。選択肢の文の他の箇所にキーとなる用語(年代を含む)があるので注意したい。
第2問
問1【16世紀から18世紀に起こった出来事】(四文選択) 正答は(2) 12
(1)誤文。
→ヴィクトリア女王ではなくエリザベス1世。「16世紀前半にヘンリ8世が
イギリス国教会をつくり,イギリスの教会は,教皇から独立した。16世紀後半のエリザベス1世の時代はイギリス絶対主義の全盛期で,…。」(教科書p.70)
(2)正文。
→「1613年に成立したロマノフ朝の4代目のツァーリである
ピョートル1世は西欧文化を積極的にとりいれて近代化をはかり,北方戦争でスウェーデンをやぶってバルト海に進出した。」 (教科書p.72)
(3)誤文。
→保護主義ではなく重商主義。「彼は王権神授説をとり,財務総監の
コルベールが徹底した重商主義政策をすすめた。」(教科書p.71)
(4)誤文。
→関税同盟は19世紀の出来事。「1834 ドイツ
関税同盟 」(教科書p.206 年表)

内容誤りが(1)・(3)で,時期誤りが(4)となっている。
問2【アフリカ大陸で起こった出来事】(時代順・六択) 正答は(5) 13
aは15世紀末。
→「1498年,
ヴァスコ=ダ=ガマがインドのカリカットに到達してインド航路をひらいた。」(教科書p.56)
bは19世紀中頃。
→「また,アフリカ南部において,ケープ植民地の北方にブール人がたてたトランスヴァール共和国(1855~1902)・
オレンジ自由国(1854~1902)に侵入し,南アフリカ(ブール)戦争をおこした。」(教科書p.112)
cは13世紀。
→「隊商路を通じてイスラームが伝えられ,13世紀にはムスリムを支配階級とする
マリ王国 が成立し,その都トンブクトゥは…。」(教科書p.44)

この設問は,時期が大きく離しているので,確実に古いものか,新しいものを定めて時代順に並べると良い。
問3【南北戦争前のアメリカ合衆国における奴隷制】(二文正誤) 正答は(1) 14
a正文。
→「南部では,黒人奴隷を使って綿花やタバコを栽培する大農園(
プランテーション)が普及したが,…。」(教科書p.99)
b正文。
→「南部は奴隷を認める奴隷州,北部は奴隷制を禁止する自由州を形成し,
西部の人口が増えて新州が誕生すると,これを自分の側につけようと争った。」(教科書p.99)

この二文正誤の設問は,ともに正文の組合せとなっている。この組合せは,解答として選択しにくいのだが,問題点が見つからなければ自信をもって選択しよう。
問4【差別や人権をめぐる動き】(四文選択) 正答は(3) 15
(1)誤文。
→ 人権宣言の採択より前に,バスティーユ牢獄襲撃があった。「…ルイ16世は,武力で議会をおさえようとした。そのため,7月14日パリ民衆は決起し,専制の象徴とみなされていた
バスティーユ牢獄を襲撃した。…,…。…,封建的特権を廃止したのち,
人権宣言を発して,…。」(教科書p.84)
(2)誤文。
→ 世界人権宣言は,国際連盟ではなく国際連合の総会で採択された。
(3)正文。
→ 「ジョンソン政権は,国内では「偉大な社会」をスローガンに,失業・貧困など社会問題の解決をはかり,黒人差別を禁止する
公民権法を制定した。」(教科書p.169)
(4)誤文。
→ 人種隔離政策はマンデラ大統領の就任前の出来事である。「…南ア政府は差別を緩和する政策をとるようになり,1991年には法律上はアパルトヘイトが廃止された。1994年4月,全人種選挙が実施され,…,指導者で黒人のネルソン=
マンデラ(任1994~99)が大統領に就任した。」(教科書p.188コラム)

時期の正誤を問うている。日常の学習でも,因果関係や,出来事のつながりを重視してほしい。
問5【清朝の時代に起こった出来事】(四文選択) 正答は(4) 16
(1)正文。
→ 「…,民族の危機にめざめた康有為・梁啓超らの知識人と若手官僚らは,清朝専制を立憲君主制に改革するようにと主張した(
変法派)。彼らは1898年西太后ら保守派に対し,光緒帝を擁立して,明治維新を模範とする政治改革を断行した。」(教科書p.119)
(2)正文。
→ 「キリスト教の影響を受けて上帝会を組織した洪秀全は,広西省で清朝打倒(滅満興漢)をめざして挙兵し,1851年,
太平天国の建国を宣言した。」(教科書p.115)
(3)正文。
→ 「清朝は徹底抗戦できずに敗北し,1842年,南京条約をむすんだ(
アヘン戦争)。これにより,香港島の割譲,広州・厦門・福州・寧波・上海の
5港の開港,公行の廃止などが決まった。」(教科書p.114)
(4)誤文。
→ 上海などの5港開港は日清戦争ではなく,アヘン戦争による。上記教科書p.114参照。

アヘン戦争の南京条約,アロー戦争の天津条約・北京条約,義和団の北京議定書について,その内容の比較をしておこう。また,洋務運動と変法運動についてもその時期や内容について比較しておきたい。
問6【中国同盟会に代表される革命派】(四文選択) 正答は(1) 17
(1)正文。
→ 「…,1905年,東京で革命結社の大同団結をめざして,
中国同盟会が結成された。」(教科書p.120)
(2)誤文。
→ 中国共産党ではなく,国民党。「…,…,国民党に改組した孫文らの革命派を弾圧した。」(教科書p.121)
(3)誤文。
→ 東遊(ドンズー)運動は,中国ではなくヴェトナムの革命派。教科書p.109側注部のファン=ボイ=チャウの解説「…。日清戦争を契機にヴェトナム青年を日本に留学させる
東遊(ドンズー)運動などをはじめた。」
(4)誤文。
→ 宣統帝(溥儀)を退位させたのは,孫文ではなく袁世凱。「清朝は華北の軍閥袁世凱に出馬を求めた。彼は全権の委譲をとりつけ,列強の支持を背景に,武力と謀略で革命側と交渉し,
宣統帝(溥儀)の退位(清朝滅亡)とひきかえに袁自身に大総統をゆずることを認めさせた。」(教科書p.121)

中国同盟会が東京で組織されたことや,ヴェトナムの東遊(ドンズー)運動は,選択枝における頻出事項。
問7【中華民国】(四文選択) 正答は(3) 18
(1)誤文。
→ イギリスから香港が返還されたのは中華人民共和国。教科書p.209の年表に「1997
香港,中国に返還」とあり,この中国は中華人民共和国。
(2)誤文。
→ 日本の支援された父張作霖を殺害された張学良は,抗日であった。「共産党への攻撃を命じられた
張学良は,1936年12月,攻撃の督促にきた

を西安で幽閉し,内戦の停止と即時抗日をせまった(西安事件)。」(教科書p.149)
(3)正文。
→ 「…,国民党政府は国民革命軍を組織し,反帝国主義・反軍閥をかかげ
北伐を開始し(1926年),武力による中国の再統一をめざした。」(教科書p.148)
(4)誤文。
→ 第一次五ヵ年計画を実施したのは中華人民共和国。「1949年12月,毛沢東は…,翌1950年2月,中ソ友好同盟相互援助条約をむすんだ。…。農業の集団化と工業基盤の整備をめざす
第1次五か年計画は成果をあげたが,…」(教科書p.165)

中華民国と中華人民共和国など対立関係にある諸国について整理をしておこう。
問8【シンガポール】(語句組合せ) 正答は(4) 19
アイギリスの植民地であったシンガポールは,第二次世界大戦中,教科書p.156の地図「アジア・太平洋における戦争」にあるように日本の勢力下におかれた。
イその後,1957年にマラヤ連邦,そして1963年にマレーシアに属したが,1965年にマレーシアから独立した。参考になるのは教科書p.164の地図「アジア諸国の独立」。

常に教科書掲載の地図を見る習慣をつけよう。
問9【ユダヤ人をめぐる出来事】(二文正誤) 正答は(1) 20
aは正文。
→ 「19世紀末のフランスでは,ユダヤ系の軍人ドレフュス大尉がスパイ容疑で裁判にかけられ,大きな問題になった(
ドレフュス事件)。」(教科書p.102)
b正文。
→ 「このため戦後,シオニズムにもとづいてパレスティナに移住してきたユダヤ人と,先住のアラブ人との間に深刻な対立が生じた(パレスティナ問題)。」(教科書p.145),「
シオニズム 19世紀末以後活発化した,ユダヤ人の建国運動。シオンとはソロモン神殿があった丘の名でイェルサレムをさす。」(教科書p.145注)

パレスティナ問題は頻出。イギリスは,パレスティナをユダヤ人・アラブ人双方に与え,かつ中東をフランス・ロシアとともに分割する条約を結んだこと(教科書p.145側注のパレスティナをめぐる条約),4回の中東戦争,スエズ国有化,PLO,OPEC,APEC,オイルショック,パレスティナ暫定協定など整理しておきたい。
問10【20世紀前半の出来事】(四文選択) 正答は(3) 21
(1)誤文。
→ 血の日曜日事件は,モスクワではなく(サンクト=)ペテルブルクで起こった。「日露戦争中の1905年1月,皇帝に請願書を提出しようとした首都ペテルブルク市民に軍隊が発砲して,多くの死傷者を出す事件がおこった(
血の日曜日事件)。」(教科書p.131)
(2)誤文。
→ 第二次世界大戦ではなく,第一次世界大戦。「…
レーニンはこの議会を解散し,ボリシェヴィキ独裁への道をひらいた。一方,「平和に関する布告」による交戦国への講和のよびかけは無視されたので,ソヴィエト政府は1917年末からドイツと単独講和交渉をおこなった。」(教科書p.135)
(3)正文。
→ 「この三月革命の結果,…,…,…。臨時政府が戦争を継続しようとしたために,…。…,…,…,…。
7月には社会革命党の
ケレンスキーが首相となった。」(教科書p.134)
(4)誤文。
→ 社会革命党ではなく,ボリシャヴィキ。「レーニンはこの議会を解散し,ボリシェヴィキ
独裁への道をひらいた。」(教科書p.135)

ロシア革命に関係する事項だけなので,内容誤りの設問であることがわかる。そうなると,注意点は,(1)ではモスクワか血の日曜日事件,(2)ではレーニンか第二次世界大戦,(3)では二月(三月)革命かケレンスキー,(4)では社会革命党か一党独裁となる。
問11【ソヴィエト連邦崩壊後に起こった出来事】(四文選択) 正答は(2) 22
(1)誤文。
→ ソヴィエト連邦崩壊前の出来事。「1956年,ソ連共産党第20回大会でフルシチョフはスターリンの独裁を批判し(スターリン批判),
平和共存政策をうちだした。」(教科書p.163)
(2)正文。
→ 「1999年末エリツィン大統領が辞任し,代行となった
プーチンは,翌2000年3月の大統領選挙で過半数を得票し,5月に大統領に就任した。」(教科書p.180)
(3)誤文。
→ ソヴィエト連邦崩壊前の出来事。「原子力発電は,…,…,スリーマイル島(1979年,アメリカ)での燃料棒溶融事故や
チェルノブイリ(1986年,ソ連)での大爆発事故など,…。」(教科書p.193)
(4)誤文。
→ ソヴィエト連邦崩壊前の出来事。「ソ連のブレジネフ政権は,…,…。1979年,
アフガニスタンでイスラーム原理主義者が反乱をおこすと,10万人以上の軍隊を派遣し,反乱勢力と戦争を続けた。」(教科書p.170)

ソ連邦の崩壊,つまりソ連邦の解体は1991年の出来事。ある出来事の前か,後かの問題は,細かい事項の年号などの定着をはかる必要はなく,基準になる出来事を軸にした流れを学習することで足りる。
第3問
問1【イスラーム】(誤文・四文選択) 正答は(3) 23
(1)正文。
→ 教科書p.24の写真「ムスリムの礼拝」の解説に,「…,断食(年1回一月間,日中の飲食をたつ),…をあわせて,ムスリムがおこなうべきこととされている(
五行)。」とある。
(2)正文。
→ ユダヤ教・キリスト教,とりわけイスラームでは,偶像崇拝が禁じられている。
(3)誤文。
→ メッカではなく,メディナ。「神のまえの平等を説き,富の独占を批判する教えは,メッカの有力者からの迫害をまねき,622年,
ムハンマドは信徒たちとともにメディナに聖遷(ヒジュラ)した。」(教科書p.24)
(4)正文。
→ 教科書p.62や教科書p.63コラムにモスクの語があるが,それは,イスラームにおける礼拝所を示している。

イスラームの六信五行の内容は頻出。とりわけ,紙の前の平等から聖職者の存在が認められていないこと,偶像崇拝の禁止,メッカの方角に向かって原則として1日5回行う礼拝などに注意したい。
問2【イスラーム世界の文化】(四文選択) 正答は(4) 24
(1)誤文。
→ アラベスクは,人物画ではなく,図案化した植物の茎や葉を幾何学的に連続して並べた装飾文様。
(2)誤文。
→ ミニアチュールは,音楽の様式ではなく,書物の装飾や挿絵などに使われた細密画。
(3)誤文。
→ 『千夜一夜物語』は,史書ではなく,説話を集大成した物語。
「美術・工芸では,寺院(モスク)建築・細密画・
アラベスク文様などに特徴があり,説話を集大成した『
千夜一夜物語 (アラビアン=ナイト)』は,イスラーム文学を代表する作品である。」(教科書p.27)
(4)正文。
→ 「アッバース朝のもとで,
ギリシア語文献のアラビア語訳が組織的におこなわれるようになると,…。」(教科書p.27)

イスラームの美術・工芸では,アラベスクとミニアチュールが頻出事項であるので,整理しておきたい。また,ギリシア語文献がアラビア語に翻訳され,後にラテン語に翻訳されたことで,アリストテレスの哲学などギリシア古典がヨーロッパで時代を超えて伝播したことに注意したい。
問3【イスラーム世界の改革運動や政治運動】(四文選択) 正答は(2) 25
(1)誤文。
→ ドイツではなくイギリス。「イギリスはエジプトのアラービー=パシャの反乱を鎮圧したが,同時期にスーダンでおきた
マフディーの反乱をおさえるのには10年以上を費やさなければならなかった。」(教科書p.112)
(2)正文。
→ 「アラビア半島中部において,18世紀のなかごろからイスラームの純化をめざす改革運動がおこり,アラブ人の民族意識とむすびついた
ワッハーブ運動となった。」(教科書p.105)
(3)誤文。
→ タバコ=ボイコット運動は,パフレヴィー朝ではなく,カージャール朝でおきた。「イランでは18世紀末にトルコ系のカージャール朝が成立したが,19世紀前半,ロシアとイギリスの侵略を受け,治外法権や領土割譲を認める不平等条約をむすばされ,利権をうばわれた。」(教科書p.105)「1921年2月,レザー=ハーンはクーデタで政権をにぎり,1925年にはカージャール朝を廃し,
パフレヴィー朝をひらいた。」(教科書p.145)
(4)誤文。
→ 青年トルコ革命は,トルコ共和国ではなく,オスマン帝国で起きた。「…,専制を廃し憲法と議会を復活させる運動は,1908年の
青年トルコ革命によって結実した。」(教科書p.104)

イスラームの欧米列強に対する抵抗運動として,エジプトのアラービー=パシャの反乱,スーダンのマフディーの乱,カージャール朝のタバコ=ボイコット運動は頻出事項なので注意した。
問4【イスラーム世界にかかわる武力衝突】(二文正誤) 正答は(2) 26
a正文。
→ 「イラクは,1990年8月,クウェートに侵攻し,これを併合する政策をとったため,国連は撤退要求を決議したが,イラクはこれを無視し,フランスなどの調停も拒否した。これに対してアメリカは,国連決議を背景に
多国籍軍を組織し,1991年1月,
湾岸戦争を開始した。」(教科書p.175)
b誤文。
→ 同時多発テロは,パレスティナ暫定自治協定が結ばれた後に起こった。「2001年9月11日朝,ニューヨークの世界貿易センタービルに旅客機が激突してビルを崩壊させ,別の旅客機が国防総省に突入した。ハイジャックした旅客機を使ったテロリストの自爆テロであった(
同時多発テロまたは9.11事件)。」(教科書p.178)「1991年1月,PLO・イスラエル両首脳の直接対話がはじまり,交渉のすえ1993年9月には「
暫定自治に関する原則宣言」に調印した。」(教科書p.201)

イラクの関わる戦争については,イラン=イラク戦争→湾岸戦争→イラク戦争の順であることと,戦争それぞれの原因と内容について把握しておきたい。
問5【インドの宗教】(語句選択) 正答は(4) 27
アは,インド土着の宗教とあることから,ヒンドゥー教。
イは,13世紀以降インドにひろまっていることと,アと相容れない関係である宗教とあることからイスラーム教となる。
→ 「インドでは,イギリスとの独立交渉のなかで,統一インドをめざす国民会議派と,パキスタンの分離を主張する全インド=ムスリム連盟の対立が激化した。このため,1947年に
ヒンドゥー教徒の多いインド連邦とムスリムの多い
パキスタンに分離独立した。その後も両教徒の対立が続き,インドとパキスタンの衝突がくりかえされた。」(教科書p.164)

この設問は,インドに生まれたヒンドゥー教,その後インドに入ってきたイスラームについて問うている。その後の両宗教に対立が,インド・パキスタンの分離につながっていくことを理解したい。
問6【ヨーロッパ人のアジアでの活動】(時代順・六択) 正答は(1) 28
aは16世紀の出来事。
→ 「…,イエズス会の
フランシスコ=ザビエル(シャヴィエル)が鹿児島にきてカトリックを伝えた(1549年)。」(教科書p.57)
bは17世紀の出来事。
→ 「17世紀の前半になると,それまで世界各地に進出していたポルトガルとスペインにかわって,オランダが世界貿易にのりだした。オランダは,アジアへの重要中継点をポルトガルからうばい,ジャワ島のバタヴィアに商館をひらいて活発なアジア貿易をおこなった。」(教科書p.74)また,教科書p.207に「1623
アンボイナ事件」とある。
cは19世紀の出来事。
→ 「1858年には,イギリスはムガル皇帝を廃位させ,東インド会社を解散して,インドの
直接統治を開始した。」(教科書p.107)

この設問も,大きなスパンで時期をとっている。スペイン→オランダ→イギリスという覇権国家の順でとらえても正解に導ける。
問7【南アジアの宗教】(誤文・四文選択) 正答は(1) 29
(1)誤文。
→ バラモン教とヴァルナ制度とは密接に関連している。「バラモン教と密接に関連して,バラモン,クシャトリヤ(王侯や戦士),ヴァイシャ(農民や商人などの庶民),シュードラ(隷属民)という四つの身分を区別する
ヴァルナ(種姓)制度が形成された。」(教科書p.17)
(2)正文。
→ 「彼らは,万人を悟りの世界に運ぶ大きな乗り物という意味で,自分たちの新しい仏教を大乗(
大乗仏教)とよんだ。これに対して,以前からの仏教を
上座部仏教とよぶ。」(教科書p.18)
(3)正文。
→ 「仏教も
ジャイナ教も,ともにバラモン教の権威主義・形式主義を批判し,ヴァルナ制度の身分差別に反対した。」(教科書p.17)
(4)正文。
→ 「現在のシク教徒
シク教はイスラームの教えをとりいれてヒンドゥー教を改革した一神教の宗教として,…。」(教科書p.106側注写真解説)

インドでは宗教は頻出する。バラモン教,仏教(上座部・大乗仏教),ヒンドゥー教,イスラーム(インド=イスラーム文化),シク教に注意したい。
問8【インド・パキスタンの歴史】(誤文・四文選択) 正答は(2) 30
(1)正文。
→ 「イギリスがインドへの支配を強めるに従って…,…,…,…。…,デリー郊外の東インド会社軍隊駐屯地で,シパーヒー(セポイ)とよばれるインド人傭兵が蜂起し,
大反乱がはじまった。」(教科書p.107)
(2)誤文。
→ インド国民会議派は,ベンガル分割令に反対した。「…,…,国民会議派はしだいに反英・反帝国主義の立場を明確にしていき,1905年に出された
ベンガル分割令への反対運動が高まると,翌年にカルカッタで大会をひらき,英貨排斥・スワデーシー(インド製品愛用)・スワラージー(自治・独立)・民族教育の4綱領を採択した。」(教科書p.108)
(3)正文。
→ 第一次世界大戦の時点では,インドは,インド帝国として大英帝国に組み込まれている。
(4)正文。
→ イ教科書p.198・199の
カシミール紛争にカシミール年表がある。そこに3次にわたるカシミール戦争についての記載がある。

インド(南アジア)は,独立運動の過程で宗教上の対立が大きな要因となり,第二次世界大戦後,インド・パキスタン(東パキスタン・西パキスタン)に分離する。その後,カシミール問題や東パキスタンの独立などから3次にわたる戦争が行われ,現在でもインド・パキスタン両国の対立は続いている。
問9【1923年より前に起こった出来事】(四文選択) 正答は(2) 31
(1)誤文。
→ 1997年の出来事。「
クローン羊のドリー …。1997年,イギリスでクローン羊ドリーがうみだされたのが世界最初の成功例である。」(教科書p.193側注写真解説)
(2)正文。
→ デパートは,都市に誕生した新しい生活文化の一つである。「19世紀末から20世紀はじめにかけて,技術の進歩を背景として,電気製品やマスメディア,さまざまなレジャーなどが,都市に住む新中間層に受け入れられていった。当時生活水準が向上してきた労働者,さらに有産者も,程度の差こそあれ,新しい生活文化を受容した。」(教科書p.128)
(3)誤文。
→ 1929年の出来事。「1929年,ニューヨーク株式取引所でおこった株価の大暴落をきっかけに
恐慌が発生した。」(教科書p.140)
(4)誤文。
→ ロシアは,汎ゲルマン主義ではなく,汎スラヴ主義。「良港をもたないロシアは,黒海から地中海へ進出しようとする
南下政策を追い求め,この方面を領有するオスマン帝国としばしば衝突した。」「1877年,ロシアはオスマン帝国に対するスラヴ系民族の独立運動を支援して露土戦争をおこし,オスマン帝国をやぶってバルカン地方を勢力下においた。」(教科書p.96)「…,オーストリアは汎ゲルマン主義を唱えるドイツに支持されて,…。…,ロシアは汎スラヴ主義の立場からバルカン同盟を結成させた(1912年)。」(教科書p.132)

本設問は,趣旨として年代に着目しているが,選択肢が年代誤りと内容誤りとの混合になっていて,正解は内容誤りである。そのような場合,年代誤りだけに注意していると正解を見過ごす場合があるので注意したい。
問10【ヨーロッパ共同体(EC)が発足した時期】(記号選択) 正答は(3) 32
EEC→EC→EUの流れや,マーストリヒト条約をへてECがEUになったことを理解していれば,空欄の位置関係から解答できる。
→ 「冷戦体制が弱まるにつれて,米ソからの自立性を高め,地域協力をすすめて独自の共同体をつくろうとする国々があらわれた。西ヨーロッパ諸国を中心とする
ヨーロッパ共同体(EC) はその最初の事例であり,これを契機に,世界は米ソ中心の二極構造から,多極的な構造へとかわっていくのである。西ヨーロッパでは1967年,経済協力をおもな目的として6か国によりヨーロッパ共同体がつくられ,以後,加盟国も増えて,北欧から南欧に及ぶ広大な経済協力圏がうまれた。1993年には,通貨統合・政治統合をめざすヨーロッパ連合(EU)が発足し,…。」(教科書p.173)

EUについては,本問のようにどのような流れで成立したかを問うたり,その加盟国の拡大及びユーロ導入にからむ事項を問う場合がある。例えば,イギリスがEUに加盟しているものの,ユーロを導入していないことなどが問われる。
問11【ヨーロッパ主権国家体制】(語句組み合わせ) 正答は(1) 33
アが三十年戦争の講和条約名。イが,アにより領内の諸領邦の主権が確認されるに至った帝国名。
→ 「…,ドイツを舞台に1618年にはじまった
三十年戦争であった。この戦争はドイツの新旧両派の戦争にとどまらず,デンマーク・スウェーデンが新教側にたって参戦する国際戦争となった。…。多くの国が参加して最初の国際会議といわれるウェストファリア会議を経て,1648年の
ウェストファリア条約で戦争は終わり,その後のヨーロッパの国際秩序が方向づけられた。ヨーロッパの主権国家体制が成立してきたのはこのころである。」(教科書p.72)
また,同頁の地図解説に「15世紀末の
神聖ローマ帝国 神聖ローマ皇帝は,…。15世紀なかば以降はオーストリアのハプスブルク家が皇帝を世襲し,ドイツという地域は神聖ローマ帝国の支配下とされた。しかし実際には七選帝侯など多くの諸侯がそれぞれの
を支配していた。」とある。

三十年戦争と,その講和条約であるウェストファリア条約に関する出題は頻出。三十年戦争では,この戦争の経過や,旧教国のフランスがドイツの新教徒を支援したことが重要であり,ウェストファリア条約では,スイスとオランダの独立が正式に承認されたこと,ドイツ内のカルヴァン派の信仰が認められたこと,ドイツ内の領邦国家の主権が
領邦確認されたことなどが重要事項となるので注意したい。