2007年度 センター試験【世界史B本試】解説
第1問 聖地や霊場への巡礼
問1 【1】【キリスト教】
(1)
イスラーム教は7世紀に成立したので1世紀のキリスト教との接点はない。
→教科書p.107の21~23行目「商業に従事していた
ムハンマドは,7世紀はじめ,みずからを唯一神(アッラー)の啓示を受けた預言者(使徒)と自覚し,
イスラーム(アッラーへの服従)を説いた」。
(2) ○
→教科書p.56の10~11行目「キリスト教はしだいに独自の文化をうみだした。
『新訳聖書』のほか,教父が皇帝などに対しておこなった弁明などが書かれた」。『新訳聖書』は「福音書」や「使徒言行録」などが盛り込まれ,2世紀までにギリシア語で書かれた。
(3)
ディオクレティアヌス帝ではなくテオドシウスが国教とした。
→教科書p.55の20~21行目「4世紀はじめ,
ディオクレティアヌス帝は大迫害を行ったが成功せず,313年,
コンスタンティヌス帝は迫害を停止して宗教の自由を認め(
ミラノ勅令),キリスト教を公認した」国教としたのは
テオドシウス帝であ る」。
(4)
クレルモン教会会議(公会議)でウィクリフが異端とされた。
→教科書p.156の19行目「教皇ウルバヌス帝は,1095年に
クレルモン公会議をひらき,・・・十字軍を派遣することを提唱した」。
ウィクリフが異端とされたのは15世紀はじめの
コンスタンツ公会議であった。

キリスト教とイスラームの成立は基本事項であり、あわせて相違点を明確にしておくと良い。
問2 【2】【巡礼者・旅人】
(1)
コロンブスは,西インド諸島のサンサルバドル島に到着。終生ここをインドと認識していた。
→教科書p.179の9~11行目「ジェノヴァの人
コロン(コロンブス)は,インドへの近道として・・・大西洋を横断してサンサルバドル島に到着した」。
(2)
クックは,1770年オーストラリアを探検した。
→教科書p.300の注(3) 「
クック(Cook,1728~79)が,1770年に探検したが,オーストラリア・ニュージーランドは,すでにオランダのタスマンが到着していた」。
オーストラリアはイギリスの囚人流刑地として開拓されはじめ,19世紀には自由移民を受け入れて牧羊業が発展した。
(3) ○
→教科書p.181の16~17行目「1500年に
カブラルがその地にいたり,・・・
ポルトガルの植民地となった」。
(4)
リヴィングストンは,19世紀にアフリカ内陸部を探検した。アクスム王国は古代に繁栄した国。
→教科書p.297の14~17行目「アフリカ大陸の内陸部は,・・・
リヴィングストンや
スタンリーの探検で内陸部の状況が明らかになる」。

旅行や航海は世界史上、接触・交流の観点から頻出事項なので,関係する人名や訪問先を整理しておくと学習効果が高まる。
問3 【3】【レコンキスタ】
(1)
西ゴート王国は8世紀にイスラームの侵入で滅亡したゲルマン民族。
→教科書p.143の7~11行目「375年,アジア系遊牧民のフンが黒海北方から西に進出し,東ゴートを服属させ,
西ゴートをも圧迫した」
(2)
アラゴン王国はイベリア半島における
国土回復運動(レコンキスタ)の結果,カトリック勢力が建国した国の一つである。
→教科書p.167の17~20行目「これに対して北部のカトリック勢力はいわゆる
国土回復運動(レコンキスタ)をおこし,10~12世紀にカスティリャ・
アラゴン・ポルトガルの3王国をたてた」とある。
(3)
ムワッヒド朝がおこってムラービト朝が滅んだ。
→教科書p.116の19~20行目「12世紀,アトラス山地でイスラーム神秘主義を基礎にベルベル人の
ムワッヒド朝がおこり,
ムラービト朝は滅んだ」
(4) ○
→教科書p.26~27行目「12世紀はじめにムワッヒド朝がキリスト教徒連合軍にやぶれたのち,
グラナダのナスル朝だけが1492年まで独立を保った」
ナスル朝では,繊細な様式美の
アルハンブラ宮殿がつくられた。

イベリア半島における国土回復運動(レコンキスタ)は頻出事項。ナスル朝が滅んだ1492年は,
コロンブスの新大陸発見と同一年であることも注意させる。
問4 【4】【アンコール=ワット】
(1)
シュリーヴィジャヤ王国はスマトラ島を中心に栄えた港市国家。
→教科書p.71の7~8行目「パレンバンを中心とする
シュリーヴィジャヤ(室利仏逝)国が多数の
港市国家を従える交易帝国として栄えた」
(2) インドの
ヴァルダナ朝は7世紀初めに建国されたので,時代違いである。
→教科書p.67の7~9行目「グプタ朝が6世紀なかごろに滅んだあと,
ハルシャ=ヴァルダナが7世紀はじめにカナウジを王都として北インドを統合した(
ヴァルダナ朝)」
(3)
チャンドラグプタ2世は北インド全域を支配したグプタ朝の第3代王。
→教科書p.66の3~8行目「4世紀はじめ,マガタ地方でチャンドラグプタ1世がグプタ朝をおこし,第3代の
チャンドラグプタ2世は,北インド全域を支配し,南インドにも勢威を及ぼした」。
(4) ○アンコール=ワットは
ヒンドゥー寺院として建設された。
→教科書p.124の13~14行目「
アンコール=ワット(ワットは寺院の意)は,
ヒンドゥー教ヴィシュヌ派の寺院である」。アンコール=ワットは12世紀に
スールヤヴァルマン2世によって造営された。

東南アジアの世界遺産は頻出事項である。これ以外に大乗仏教の
ボロブドゥール寺院も同時に確認しておくこと。
問5 【5】【ガウタマ=シッダールタ】
(1)
マウリヤ朝時代の第3代
アショーカ王の時の仏教は後の
上座部仏教である。
→教科書p.64の注(2)「
アショーカ王は,各地にストゥーパ(仏塔)を建立した。彼の時代,仏教教団の浄化がはかられ,仏典結集(仏典の編集)がおこなわれ,スリランカに仏教が伝えられた」。とちーカょットヤや
(2) ○
→教科書p.97の17~19行目 「仏教では,インドに留学した僧が教理の研究をすすめた。彼らのなかには旅行記をあらわす者もあり,陸路をとった
玄奘の
『大唐西域記』と海路をとった
義浄の
『南海寄帰内法伝』が有名である。
(3)
パガン朝はビルマ(ミャンマー)に建国された王朝で,上座部仏教が広まった。
→教科書p.14~16行目 「ピューの衰退したあと,ビルマ族が11世紀なかばに
パガン朝をたて,支配下のモン族から文字と仏教を受け入れた」。
(4) 仏教が朝鮮半島に広まったのは
朝鮮(李朝)時代ではなく,新羅の時代の5世以降である。
→教科書p.99の3~7行目「(新羅)は唐の制度・文化を摂取して律令制をしき,
骨品制によって王族・官僚貴族の身分を厳格に守った。また5世紀以降広まった仏教を国教としたので,首都慶州には仏国寺・石窟庵などのすぐれた仏教建築・美術がうまれた」。

仏教は大乗仏教と上座部仏教の伝播経路を確認し、人物や関係する王朝にも注目しておく。
問6 【6】【東南アジア】
(1) ○
教科書p.228の20~22行目「スペインは16世紀後半,フィリピンを征服し,
マニラがアメリカ大陸と
銀と中国の☆生糸・絹織物・陶磁器☆などの物産の交易地として発展した」。
(2)
陳朝は13世紀に成立したヴェトナムの王朝。
→教科書p.128の14~16行目「ヴェトナム北部は,・・・13世紀には
陳朝がおこった」。
(3) マレー半島の
マラッカ王国は海上交易で繁栄していたが、1511年に滅亡した。
→教科書p.124の8~9行目「15世紀にはマレー半島の
マラッカ王国がイスラーム国家として発展した」。
(4) タイの
スコータイ王朝の繁栄は,13~15世紀半ばであった。
→教科書p.227の6~9行目「13世紀,タイ人がアンコールから自立し,・・・なかでも
スコータイ王国が有力になり,上座部仏教を受け入れ,クメール文字をもとにタイ文字をつくるなどタイ文化の基礎をきずいた」。

東南アジアの王朝変遷は近年頻出事項。教科書で要点整理し、さらに歴史地図で王朝成立場所を確認させる。
問7 【7】【イスラーム】
(1)
十二イマーム派は現在もイランを中心に信徒が広がっている。
→教科書p.110の注(1)「現在もイランを中心に信徒がひろがる
十二イマーム派は,第12代のイマームがこの世から姿をかくし,世の週末のときに救世主となって再臨すると主張する」。
(2)
ネストリウス派はキリスト教の一派である。
→教科書p.56の注(3)「(エフェソス会議で)キリストの神的性質と人間的性質を分離させることを批判された。
ネストリウス派はペルシアを経て唐代の中国に伝わり,
景教とよばれた」。
(3) ○
→教科書p.272の注(1)「
『コーラン』と預言者のスンナ(→p..110)への復帰を唱える
ワッハーブ派」。アラビア半島の豪族サウード家と協力して運動を進め、20世紀にサウジアラビア王国を建国した。
(4)
長老派は
ピューリタン革命における議会派の一つである。
→教科書p.192の13~16行目「はじめは王党派が優勢であったが,・・・そのころ議会派の内部では,妥協的な
長老派,革新的な
独立派,急進的な平等派(水平派)の3者が対立するようになった」。

それぞれの派をキリスト教とイスラームの区別し、違いや思想を明確にさせる。
問8 【8】【メッカ巡礼】
ア-
ムハンマドがヒジュラを行ったのは
メディナである。
→教科書p.107の26~108の1行目「
ムハンマドは,当時部族抗争が続いていた
メディナに調停者としてまねかれて,622年に
ムスリム(イスラーム教徒)とともに移住(ヒジュラ,聖遷)した」
イ-
ウマイヤ朝の都はダマスクスであった。
→教科書p.109の14行目「ムアーウィアは
ダマスクスで
ウマイヤ朝をひらき,カリフの権力強化と国家としての政治制度化につとめた」
正解は(4)。

巡礼に関する問いは都市の位置を問う設問が多い。普段から地図問に慣れておくことが大切である。
問9 【9】【日露戦争】
(1)
血の日曜日事件は日露戦争中の1905年1月に発生した。
→教科書p.294の15~18行目「ロシアの対外膨張は極東方面を中心におこなわれた。・・・1905年,
血の日曜日事件をきっかけに,労働者・農民による革命がはじまった(
ロシア第一革命)。
(2) 日本が
台湾・澎湖諸島を獲得したのは日清戦争の
下関条約の結果であった。
→教科書p.302の11~13行目「この戦争に勝利した日本は,李鴻章を全権代表とする清朝と
下関条約をむすび・・・朝鮮の独立(清の宗主権否定),
台湾・澎湖諸島・遼東半島の割譲,・・・2億両の賠償金などを認めさせた」。
(3)
ハワイは米西戦争中にアメリカ合衆国に併合された。
→教科書p.301の13~15行目「アメリカは
米西戦争中に
ハワイ諸島を併合し,戦後スペインからグアム島を獲得した」。
(4) ○
→教科書p.304の17~20行目「アメリカ大統領セオドア=ローズヴェルトのあっせんで
ポーツマス条約がむすばれた。この条約で日本は,朝鮮に対する優越権を認めさせ,・・・南サハリンを割譲させた」。

日露戦争は20世紀最初の帝国主義戦争。出題頻度が高い戦争なので、きちんと学習しておくこと。
第2問 家畜化された動物
問1 【10】【騎馬遊牧民】
(1)
スキタイは前7世紀頃,最初に活躍した遊牧民族なので、誤り。
→教科書p.83の11~15行目「最初に活躍した遊牧民族はイラン系の
スキタイ人である。彼らは,前7世紀ごろカスピ海地方の草原地帯から南下し,・・・
草原の道を通ってギリシア植民市と交易し栄えた」。
(2) ○
突 厥は6世紀に強大となり,中央アジアに大帝国をきずいた。
→教科書p.85の14~p.86の1行目「6世紀なかばには,高車の後身である鉄勒の一派
突厥が強大となり,柔然を滅ぼし,・・・モンゴル高原から中央アジアにいたる大帝国をきずいた」。
(3)
月 氏は前3世紀に栄えた民族。
→教科書p.84の6~8行目「前3世紀ごろには天山山脈北方に烏孫,タリム盆地東部に
月氏,シル川上流地域に
フェルガナ(大宛),さらにアム川上流には
バクトリアなどの諸民族の国家があった」。
(4)
匈 奴は前3世紀ごろからモンゴル高原で活躍した遊牧騎馬民族。
→教科書p.83の17~19行目「
スキタイ文化の影響を受け,
遊牧騎馬民族としてモンゴル高原で活躍した
匈奴は,前3世紀ごろ,単于に統率されて国家を形成した」。

内陸アジアの諸民族の興亡は頻出事項なので,時系列で勢力範囲と民族の特徴を整理しておく必要がある。
問2 【11】【漢の武帝】
(1)
洛陽が首都ではなく,長安。
→教科書p.79の7~8行目「前202年,劉邦が勝利して
長安(現在の西安市)に都をおき,漢王朝(
前漢)をたてた」。なお洛陽は後漢の都で、教科書p.81の1~2行目「漢王朝の一族の
劉秀(光武帝)は,農民反乱を鎮圧し,25年
洛陽を都に漢を復活させた(
後漢)」。
(2) ○
→教科書p.80の1行目。武帝は「
塩・鉄・酒を専売制にして商人・手工業者の利益をおさえ,
均輸・平準という物価調整法も利用して,対外戦争などで苦しくなった国家財政をたてなおそうとした」。
(3)
文字・度量衡・貨幣を統一したのは秦の始皇帝である。
→教科書p.78の6~8行目。始皇帝は「都の
咸陽には豪華な阿房宮を建設して権威を全国に示すとともに,
度量衡・文字などを全国的に統一し,貨幣も銅製の
半両銭だけを通用させた」。
(4)
三省・六部は唐の行政組織である。
→教科書p.93の26~27行目「中央に中書省など
三省がおかれ,その一つの尚書省のもとに
六部があった」。

前漢の武帝は頻出事項である。首都に関する問いは要注意なので、整理させる。
問3 【12】【モンゴル帝国】
(1)
オゴタイ=ハンは金を滅ぼし,カラコルムに都を置いた。
→教科書p.136の1~4行目「第3子
オゴタイ(太宗)が,大ハンの位につくと,1231年高麗に侵入し,1234年には金を滅ぼし,都を
カラコルムに定めた」。
(2)
授時暦はイスラーム世界からの影響でつくられた。
→教科書p.140の25~p.141の1行目「医学・数学・暦学・砲術などがイスラーム世界から伝わり,
郭守敬は,その影響を受けて
授時暦をつくった(1280年)」。
(3) ○
→教科書p.138の7~11行目「高官にはモンゴル人やこれを補佐する
色目人が重用された。1313年,元初に廃止された科挙制が復活したが,漢人(金朝支配下の住民)や南人(南宋支配下の住民)は不利に扱われている」。
(4)
大運河の補修や大都に至る新運河の建設で、陸と海のネットワークが形成された。
→教科書p.140の5~9行目「元は,
大運河や山東半島ぞいの海運を整備して,陸と海の交易路をむすびつけたため,ユーラシア大陸の内陸路による交易とインド洋を行き来する海上交易はますますさかんとなり,
杭州・明州・泉州・広州などの海港都市は空前の繁栄をほこるようになった」。

モンゴルに関する設問は最近の研究成果による出題が多くなったので、教科書を再度読み直しておく。特に陸と海のネットワークについての理解を深めておく。
問4 【13】【約9000年前の西アジア】
(1)
シュメール人の都市国家が出現したのは紀元前3000年であった。
→教科書p.31の5~6行目 「前3000年ごろ,民族系統不明の
シュメール人が下流域に
ウル・ウルク・ラガシュなどの都市国家をたてた」。
(2)
ネアンデルタール人は約20万年前に出現した。
→教科書p.26の11~13行目「約20万年前の更新世後期には,より進化した
旧人があらわれた。ヨーロッパ中東部から中央アジアにかけて住んでいた
ネアンデルタール人が代表的である」
(3)
青銅器時代は今から5000年前頃から始まった。
→教科書には記述がない。
(4) ○
→教科書p.26の化石人類の時代図。
氷河期は約1万年前に終わり,気候が温暖化した。

約3万年前の更新世最末期には新人(現生人類)が各地に広がった。
問5 【14】【毛織物生産】
(1) ア-
アントウェルペン(アントワープ)はフランドル地方の中心地で,後にスペイン領ネーデルラントとなり,世界貿易の中心となった。
→教科書p.160の1~2行目「北ヨーロッパでは
フランドル地方のブリュージュ(ブルッヘ)やガン(ヘント)などが,良質の毛織物の生産で繁栄」した。
イ-
ヨーマンはイングランドにおける独立自営農民のこと。
→教科書p.6~9行目「イングランドでは,貨幣地代が普及して,
独立自営農民(ヨーマン)の成長が著しかった」。
(2) イ-
ジェントリはイングランドにおける地主のこと。
→教科書p.162の25~27行目「諸侯や騎士の力は衰え,その多くは国王の廷臣(官僚)になったり,地方の地主(イングランドの
ジェントリなど)になったりした」。
(3) ア-
ハンブルグは北ドイツの
ハンザ同盟の都市。
→教科書p.160の3~5行目「北ドイツのリューベック・
ハンブルク・ブレーメンなどの都市も,北海・バルト海方面の海産物や木材・穀物などの生活必需品の取引で栄えた」。
正解は(2)

中世ヨーロッパにおける地中海商業圏や北海・バルト海商業圏は頻出事項。歴史地図で都市の位置を確認し,どのような物産の取引が行われたかを整理させる。
問6【15】【チンギス=ハン】
(1)
道教は道家思想がもとになって4世紀以降成立した。
→教科書p.91の1~4行目「中国では・・・神仙思想があったが,これらと道家思想がもとになって,この時代に宗教としての
道教が成立した。北魏の
寇謙之は,五斗米道を改革して新天師道をひらき,信者の組織化と教理普及の中心となった」。
(2)
キリスト教は紀元1世紀ごろに成立した。
→教科書p.54の25~教科書p.55の11行目「イエスは十字架にかけられ処刑された。しかし,彼の死後,弟子たちの間にイエスが復活したとの信仰がうまれ,彼を救世主
キリスト(メシア)と信じる原始
キリスト教が成立した」。
(3) ○
→教科書p.214の20~22行目「17世紀後半,デカン高原ではシヴァージーがマラータ王国をたてて抵抗し,パンジャーブ地方では
シク教徒が反乱をおこした」。
シク教は16世紀はじめ,ナーナクが開いたヒンドゥー教の改革派である。
(4)
仏 教は紀元前6世紀ごろに成立した宗教である。
→教科書p.63~10~13行目「仏教の創始者
ガウタマ=シッダールタ(釈迦牟尼・仏陀)は,我執(自己や私物への執着)や煩悩を捨て,正しい見解・行為などの
八正道を実践することで,生老病死の苦から解脱できると説いた」。

キリスト教,仏教,イスラームを世界の三大宗教という。それぞれの成立時期を確認させる。
問7 【16】【ヨーロッパの農業・農民】
(1)
三圃制農法は中世ヨーロッパに成立し,生産力の向上に役立った。
→教科書p.150~1~6行目「11世紀から12世紀にかけて,
三圃制農法が普及し,鉄製有輪犂などの技術改良がおこなわれて生産力が向上した」。
(2)
黒死病(ペスト)の流行は14世紀である。
→教科書p.161の23~25行目「14世紀にはヨーロッパの気候が寒冷局面にはいり,戦乱と
黒死病(ペスト)の流行によって農村の人口が激減した」。
(3) ○
→教科書p.162の12~15行目「農民はそれに反抗して大規模な一揆をおこした。フランスの
ジャクリーの乱(1358年)やイングランドの
ワット=タイラーの乱(1381年)などがその例である」。
(4)
農場領主制(グーツヘルシャフト)は
再版農奴制ともいい,東欧などでは賦役が強化された。
→教科書p.162の17~19行目「エルベ川以東のドイツや東ヨーロッパでは,15~16世紀に西ヨーロッパへの穀物輸出を推進する領主の権力が強まり,賦役が強化される
再版農奴制がひろまっていった」。

中世ヨーロッパの農業や農民について基本語句を整理させる。
問8 【17】【シパーヒーの反乱】
(1) ○
→教科書p.278の14~18行目「1857年,東インド会社のインド人傭兵(
スィパーヒーまたはセポイ)が反乱をおこし,首都デリーを占領した。・・・地主や藩王さらにはムガル王朝の王族も含む大規模な反乱に発展し(
インド大反乱),イギリスはその鎮圧に2年を要した」。
(2)
ガンディーは20世紀前半にインドにおいて非暴力・不服従運動を展開した。
→教科書p.327の1~4行目「イギリスは,大戦中に約束した戦後の自治を実行せず,1919年
ローラット法を公布し民族運動を弾圧した。国民会議派はこれに抗議し,
ガンディーの指導のもとに
非暴力・不服従運動が展開された」。
(3)
常勝軍が活躍したのは
太平天国の蜂起で,これを鎮圧するために参戦した。
→教科書p.287の注(1)「アメリカ人ウォード(Ward,1831~62)によってつくられ,イギリス人ゴードン(Gordon,1833~85)に受けつがれて強化された洋式武装の
常勝軍が参戦した」。
(4)
ヴィクトリア女王はインド帝国の皇帝も兼ねた。
→教科書p.278の22~23行目「インドは,1877年,
ヴィクトリア女王がインド皇帝を兼ねるイギリス領
インド帝国となり,完全にイギリスの植民地となった」

インド大反乱は頻出事項なので、インドの植民地化の過程を整理させる。
問9 【18】【植民地の独立】
a
イラクは第二次世界大戦前の1932年に独立した。
→教科書p.329の1~3行目「イラクにはイギリスが委任統治下でフサインの子ファイサルを王とする王国をたてたが,1932年完全に独立した」。
b
モザンビークの独立は1975年である。
→教科書p.361の地図「アフリカの独立」で確認できる。
正解は(3)。

第二次世界大戦後の植民地の独立は,歴史地図などで独立年と旧宗主国を確認させる。
第3問
問1 【19】【明】
(1) ア-
ツヴィングリはスイスで宗教改革をはじめた。
→教科書p.184の9~10行目「スイスでは,
ツヴィングリが1523年にチューリヒで贖宥状の販売を批判して宗教改革をはじめた」。
イ-
マテオ=リッチは
イエズス会に所属し,中国で布教活動を行った。
→教科書p.223の3~9行目「1582年にはイタリア人
マテオ=リッチ(利瑪竇)が中国に渡来し,布教のかたわら
徐光啓らとエウクレイデスの『幾何原本』を訳したほか,中国最初の世界地図である
「坤輿万国全図」をつくった」。
(2) イ-
ミュンツァーはドイツ農民戦争(1524~25)の指導者
→教科書p.183の16~19行目「
ルターの改革に刺激された中・南部ドイツの農民は,農奴制の廃止などを求めて,1524~25年に大規模な反乱をおこした。ルターは,こういう動きには批判的で,
ミュンツァーらの指導のもとに農民の要求が急進化すると,その鎮圧を求めるようになった」。
(3) ア-
イグナティウス=ロヨラはイエズス会を創設し,海外への布教活動をすすめた。
→教科書p.185の13~16行目「スペインの
ロヨラらの創設した
イエズス会(ジェズイット教団)が活発な布教活動をおこない,南ドイツや南欧諸国でカトリックの勢力回復を実現した。とくに,イエズス会は,スペインやポルトガルの植民活動とむすんで海外への布教につとめた」。
正解は(3)。

宗教改革と対抗宗教改革に関係する人物を整理させる。
問2 【20】【唐末・宋の王朝交代】
(1)
戦国時代は紀元前5~3世紀。
→教科書p.75の17~19行目「前8世紀はじめ,鎬京は西方の遊牧民の一部族犬戎の攻撃を受け,周は都を
洛邑(現在の洛陽市)に移した。これ以前を西周時代,以後を東周時代とよぶが,東周時代はさらに前半を
春秋時代,後半を
戦国時代とよぶ」。
(2)
五胡十六国時代は4~5世紀。
→教科書p.88の10~12行目「4世紀はじめ,華北の西・北方にいた匈奴・羯・鮮卑・羌・氏の
五胡が華北にあいついで王朝をたてたが,・・・華北も分裂状態となった(
五胡十六国時代)」
(3)
南北朝時代は5世紀~6世紀後半。
→教科書p.90の7~8行目「宋・斉・梁・陳の4王朝が興亡した。これを南朝といい,北朝と対立した(
南北朝時代)」。
(4) ○
→教科書p.127の3~5行目「後唐・後晋・後漢とトルコ系の王朝が続き,次の漢族出身の後周まで5王朝が交替した。また,華中・華南では10国が興亡をくりかえしたので,この時代を
五代十国とよぶ」。

中国が統一されている時代と分裂していた時代を区分し,時代の特徴をつかませる。
問3 【21】【20世紀前半の時代】
(1)
辛亥革命は1911年に勃発し,中華民国臨時政府を組織した。外モンゴルにモンゴル人民共和国が独立したのは1924年。
→教科書p.306の6~10行目「10月10日には革命派の呼びかけにこたえて新軍が武昌で蜂起した。影響はたちまち全国に及び,ほとんどの省が清朝から独立した(
辛亥革命)」。
(2) 五四運動の影響で中国は
ヴェルサイユ条約の調印を拒否した。
→教科書p.325の1~6行目「6月5日から実行された学生・民族資本家・労働者のゼネストは,列強に迎合的な北京軍閥政府に打撃を与え,中国代表は
ヴェルサイユ条約の調印を拒否した」。
(3)
孫文は,第一次国共産合作に成功した。
→教科書p.325の19~22行目「1924年1月広州でひらかれた国民党大会で,共産党員の国民党への加入を認め,また
孫文の提案した連ソ・容共・労農援助の3大政策を採択し,国民党と共産党の提携が実現した(
第1次国共合作)」。
(4) ○
→教科書p.220の10~12行目「東方では台湾を根拠地とし,日本との貿易を基盤に抵抗運動をおこなっていた明の遺臣
(国姓爺)一族を降伏させ,台湾を中国の領土とした」。

一族は1683年に清朝に降伏した。

時期の特定する設問では人物や重要語句を手がかりにして時代を判断するとよい。
問4 【22】【アメリカ合衆国の星条旗】
(1)
マサチューセッツは13植民地の一つ。
→教科書p.231の「独立前のアメリカ」の図が利用できる。
(2)
ニューヨークも13植民地の一つ。
→教科書p.231の「独立前のアメリカ」の図が利用できる。
(3)
ヴァージニアも13植民地の一つ。
→教科書p.231の「独立前のアメリカ」の図が利用できる。
(4) ○
→教科書p.202の25~26行目「1763年の
パリ条約で,イギリスは,フランスからカナダとミシシッピ川以東のルイジアナを,スペインから
フロリダを獲得した」。

星条旗に関する設問は多いので,この機会に理解を深めておくとよい。他の国の国旗も同様に調べることを勧める。
問5 【23】【アメリカ独立革命】
(1) ○
→教科書p.231の11~15行目「翌1775年に,レキシントンで生じた武力衝突をきっかけに独立戦争がおこると,やがて独立派(愛国派)が主導権をにぎるようになった。世論に大きな影響を与えたのが,
トマス=ペインの
『コモン=センス』であった。この小冊子は,本国から独立して共和国を樹立することを強くよびかけた」。
(2)
ジェファソンではなく,ワシントンが13植民地の軍の総司令官に任命された。
→教科書p.232の1~2行目「大陸会議は,
ワシントンを総司令官に任命し,1776年7月4日に,フィラデルフィアで,
ジェファソンらの起草した
独立宣言を発表した」。
(3)
武装中立同盟はイギリスを牽制するための同盟であった。
→教科書p.233の1~4行目「ロシア・プロイセンなども1780年にエカチェリーナ2世が提唱した
武装中立同盟をむすんでイギリスを牽制したので、イギリスは孤立して苦境にたち,
ヨークタウンの戦いで独立軍の勝利が決定的となった」。
(4)
ヨークタウンの戦いで独立軍の勝利が決定的になった。
→教科書p.233の1~4行目「ロシア・プロイセンなども1780年にエカチェリーナ2世が提唱した
武装中立同盟をむすんでイギリスを牽制したので,イギリスは孤立して苦境にたち,
ヨークタウンの戦いで独立軍の勝利が決定的となった」

アメリカの独立革命の経過を時代順に整理させる。また関係する人物についても理解させる。
問6 【24】【モンロー宣言】
ア-
アメリカ大陸と
ヨーロッパとの相互不干渉を定めたのがモンロー宣言である。
→教科書p264の12~16行目「1823年にアメリカ合衆国の大統領
モンローは、
ヨーロッパと
アメリカの相互不干渉を主張して
モンロー宣言を発した」。
正解は(2)

モンロー宣言が出された背景には、ラテンアメリカの市場をおさえようとするアメリカやイギリスの思惑があった。
問7 【25】【フランス革命】
(1) 立法議会において
オーストリアに宣戦した。
教科書p.236の22~24行目 「立法議会では,ブルジョワジーを代表するジロンド派が,妥協的なフイヤン派をおさえ,1792年春,
オーストリアに宣戦した」
(2)
ブリュメール18日のクーデタによって倒れたのは総裁政府であった。
教科書p.239の21行目 「彼は,1799年に
ブリュメール18日のクーデタをおこして総裁政府を倒し,3人の統領からなる統領政府を樹立し,みずから第一統領となり,のちには終身統領となった」
(3) 国民公会は
革命暦(共和暦)の制定などを行った。
○教科書p.238の2~4行目 「過去からの断絶と国民の愛国心の育成をはかるために,最高存在の祭典,
共和暦,メートル法,フランス語の統一などの新しい政策を実行した」
(4)
国王を処刑し,共和政を宣言した。
教科書p.237の13~14行目 「ルイ16世は国民公会での裁判の結果,1793年1月にギロチンで処刑された」

フランス革命の過程での諸議会の動きを理解し、それら施策や対応を確認させる。
問8 【26】【啓蒙思想家】
(1) ○
→教科書p.207の6~8行目「
モンテスキューは,
『法の精神』によって三権分立を説いたが,君主の専制をふせぐものとしての貴族の権利を擁護した」。
(2)
『百科全書』を編纂(へんさん)したのはディドロやダランベールである。
→教科書p.207の10~12行目「
ディドロや
ダランベールらの編集した
『百科全書』に結集した百科全書派は,合理主義にもとづく社会の改革と科学の応用による生産活動の発展を強調した」。
(3)
『第三身分とは何か』を著したのはシェイエスである。
→教科書p.234の14~17行目「
シェイエスは,
『第三身分とは何か』を発表し,貴族の特権を批判して第三身分こそが真の国民であると論じた」。
(4)
ケネーは,『経済表』を著したが,その立場は重農主義であった。
→教科書p.207の8~10行目「
ケネー(主著『経済表』)を祖としテュルゴーらに受けつがれた
重農学派は,富の源泉を農業生産に求め,重商主義を批判して経済活動の自由放任を主張」した。

17~18世紀の社会思想は頻出事項なので,教科書などで著作や思想を確認しておくことが必要である。
問9 【27】【第五共和政】
(1)
ルール地方を占領はドイツの賠償支払い不履行が理由であった。
→教科書p.321の3~5行目「共和国による賠償の支払い延期に反発したフランスが,1923年
ルール占領にふみきると,はげしいインフレが生じ,経済的混乱が深まった」。
(2)
五国同盟は四国同盟にフランスが加盟した同盟、ウィーン体制の維持が目的。
→教科書p.249の13~p.250の4行目「オーストリア・プロイセン・ロシア・イギリスは
四国同盟をむすんでウィーン体制の維持をはかり,これにはのちにフランスも加入して
五国同盟になった」。
(3) ○
→教科書p.366の8~11行目「1958年,ド=ゴールが政権について,・・・
第五共和政を発足させて政局の安定をはかった。ド=ゴールは
アルジェリアの独立を認めるいっぽう,フランスの国際的地位の強化をめざした」。
(4)
メキシコに出兵したのはナポレオン3世であった。
→教科書p.267の23~25行目「これに乗じて
ナポレオン3世は1862年に
メキシコ出兵をおこない,保守党を支援してハプスブルク家のマクシミリアンをメキシコ皇帝にすえた」。

フランスの対外政策とその時期の国内体制についてまとめて整理させる。
第4問 時代や地域に特有な同盟や結社
問1 【28】【アテネ・スパルタ】
(1)
デロス同盟はペルシアに対抗するためアテネが組織化した同盟。
→教科書p.42の12~14行目「アテネは対抗してエーゲ海の諸ポリスによびかけて,デロス島を本拠地とする同盟をむすんだ(
デロス同盟)」。
(2) ○
→教科書p.43の14~17行目「アテネの支配の強化に対して,
ペロポネソス同盟をむすんでいたスパルタやコリントは警戒心を強め,両派は前5世紀後半,ギリシアを2分する長期の戦争に突入した(
ペロポネソス戦争)」
(3)
コリントス(コリント)同盟はマケドニアが結成した同盟。
→教科書p.46の6~8行目「フィリッポスはコリントにスパルタをのぞくギリシア都市を集めてヘラス連盟(
コリント同盟)を結成して,その事実上の盟主となった」。
(4)
四国同盟はウィーン体制を維持するための同盟。
→教科書p.249の13~250の4行目「オーストリア・プロイセン・ロシア・イギリスは
四国同盟をむすんでウィーン体制の維持をはかり,これにはのちにフランスも加入して五国同盟となった」。

アテネとスパルタの関係について基本事項を整理しておき、ギリシア世界の変化をしっかり確認させる。
問2 【29】【フランク王国】
a
オットー1世は962年にローマ皇帝位を授けられ,これが神聖ローマ帝国の起源となった。
→教科書p.146の15~18行目「ザクセン朝第2代の
オットー1世は,アジア系騎馬遊牧民
マジャール人の侵入をレヒフェルトの戦いで退け,イタリアに進出して教皇を助けて,962年に教皇からローマ皇帝の冠を受けた。これが
神聖ローマ帝国の起源である」。
b
クローヴィスは,5世紀末にアタナシウス派(カトリック)に改宗した。
→教科書p.144の17~18行目「クローヴィスは5世紀末に正統のアタナシウス派に改宗したので,ローマ教会とのつながりが強まった」。
c
ピピンが王位についたのは8世紀前半であった。
→教科書p.144の22~23行目「その子
ピピンがローマ教皇の承認のもとに王位をうばい,
カロリング朝をひらいた」。
正解は(4)

フランク王国の変遷を人物とともに整理させ、ローマ教会との関係に注目させる。
問3 【30】【同盟の存在】
(1) ○
→教科書p.160の22~23行目「これらの中世都市は,北イタリアの
ロンバルディア同盟や北ドイツの
ハンザ同盟のように都市同盟」を結んだ。こうして北イタリアの諸都市はしばしば皇帝と争った。
(2)
シュマルカルデン同盟を結んで皇帝と争ったのはルター派の諸侯であった。
→教科書p.184の5~6行目「ルター派の諸侯は
シュマルカルデン同盟をむすんで皇帝派と戦闘をまじえたが,両派の争いは,1555年の
アウクスブルク宗教和議で妥協がなされた」。
(3)
大空位時代を終わらせるため,カール4世は金印勅書を発した。
→教科書p.168の15~17行目「シュタウフェン朝がたえると,実質的に皇帝のいない
大空位時代になり,その後も皇帝権はふるわなかった。1356年,ベーメン出身の皇帝カール4世は
金印勅書を発して,7人の
選帝侯が皇帝を選挙する制度を定めた」。
教科書p.189の24~26行目「北部7州は,
ユトレヒト同盟をむすんで戦いを続け,1581年にネーデルラント連邦共和国(オランダ)として独立を宣言」した。
(4)
三帝同盟とは1873年につくられた同盟である。
→教科書p.307の1~3行目「普仏戦争後,
ビスマルクはフランスの孤立化をめざして,ドイツ・ロシア・オーストリアからなる
三帝同盟をつくりあげた(1873年)」。

宗教的対立や政治的対立に関して,基本語句を手がかりに時代を特定することが重要である。
問4 【31】【19世紀の自由主義運動】
(1)
カルボナリが結成されたのはイタリアである。
→教科書p.250の11~14行目「自由主義と国民主義にもとづく運動としては,ドイツの大学生の同盟による
ブルシェンシャフト運動,イタリアの秘密結社
カルボナリ(炭焼きの意)の反乱,スペイン立憲革命,ロシアの青年士官による
デカブリスト(十二月党)の反乱などがある」。
(2)
七月革命の結果,ベルギーはオランダから独立した。
→教科書p.252の22~24行目「
七月革命の影響を受けて,ベルギー(南ネーデルラント)がオランダから独立して立憲王政の国となった」。
(3)
審査法(審査律)が廃止され,イギリスでは非国教徒が公職に就く道が開かれた。
→教科書p.250の22~25行目「宗教の面では,1828年に
審査法が廃止され,翌1829年にはアイルランド人オコンネルらの努力で
カトリック教徒解放法が成立して,非国教徒も公職につけるようになった」。
(4) ○
→教科書p.254の23~25行目「しかも11ともいわれる複数の民族をかかえる帝国内では,各地に国民主義の動きが噴出した。マジャール人のハンガリーでは
コシュートの蜂起があり,チェック人のベーメンではパラツキーがスラヴ民族会議をひらいた」。

19世紀のヨーロッパにおける自由主義運動や七月革命・二月革命(三月革命)は頻出事項なので,基本的理解につとめ,それらの影響について整理させる。
問5 【32】【立憲政治・議会制の発展】
(1) ○
→教科書p.294の20~22行目「1905年,
血の日曜日事件をきっかけに,・・・軍隊の内部でも反乱が発生した。革命の成功を恐れた皇帝
ニコライ2世は,自由主義的な政治家ウィッテの起草による十月宣言を出して,
国会(ドゥーマ)開設を約束し,情勢をようやくしずめた」。
(2) 数次の
選挙法改正の結果,選挙権が拡大された。
→教科書p.256の6~7行目「保守党ではディズレーリが活躍し,蔵相時代に第2回
選挙法改正(1867年)で都市労働者の参政権を実現」した。
(3) ドイツの
帝国議会は男子普通選挙制に基づいて設置された。
→教科書p.260の2~4行目「邦の代表による連邦参議院と男子普通選挙による
帝国議会という二院制の議会がおかれた」。
(4)
普仏戦争(プロイセン=フランス戦争)の敗北後,フランスの第三共和政が成立した。
→教科書p.257の6~9行目「1870年には
普仏戦争で大敗し捕虜となった。ナポレオン3世降伏の報に,パリで共和政が宣言された(
第三共和政)」。

19世紀のヨーロッパ諸国の国内政治に注目し,歴史の流れを確認させる。
問6 【33】【労働運動・社会主義運動】
(1)
第1インターナショナルの結成に関わったのはマルクスらであった。
→教科書p.263の18~20行目「国境をこえた労働者の連帯をつくる試みは,
マルクスらによる
第一インターナショナル(国際労働者協会)の結成にはじまる」。
(2)
第2インターナショナルは1889年のパリで設立された。
→教科書p.263の21~22行目「フランス革命百周年の1889年,パリで
第二インターナショナルが結成された」。
(3) ○
→教科書p.253の11~12行目「ドイツの
マルクスは,
エンゲルスと共同で発表した
『共産党宣言』によって,社会主義を実現するための労働者の国際的な団結を訴え」た。
(4)
ビスマルクは,社会主義運動をおさえるために社会主義者鎮圧法を制定した。
→教科書p.293の13~15行目「彼(
ビスマルク)は,1878年
社会主義者鎮圧法を制定し,急進化しつつあった社会主義運動をおさえようとした」。

19世紀から20世紀における社会主義運動について人物と内容を整理させる。
問7 【34】【中国の反乱】
(1)
赤眉の乱は18年におこった農民反乱である。
→教科書p.80の10~11行目「時代錯誤の非現実的な政策であったために混乱をもたらし,やがて
赤眉の乱などの農民反乱が各地におこって,新は23年に滅んだ」。
(2)
黄巣の乱は875年におこった農民反乱である。
→教科書p.97の1~3行目「塩の密売商人黄巣・王仙芝が農民を組織して山東で反乱をおこし,やがて全国にひろがった(黄巣の乱)。
(3)
安史の乱は755年におこった反乱である。
→教科書p.96の2~4行目「
玄宗はその末期に楊貴妃を溺愛して楊氏一族の専横をゆるし,これに反発した節度使
安禄山は,
史思明とともに755年に反乱をおこした(
安史の乱)」。
(4) ○
→教科書p.138の18~20行目「14世紀になると,元朝は内紛と放漫財政を続け,交鈔を乱発したため物価は高騰し,社会不安は増大し,白蓮教徒を中心とする
紅巾の乱がおこり,その支配は崩壊した」。

中国における農民反乱は頻出事項なので,人物や時代背景をていねいに調べさせる。
問8 【35】【乾隆帝】
(1) ○
→教科書p.220の15~221の2行目「
乾隆帝(高宗)は,父祖の残したゆたかな財力を使って周辺民族を平定し,
ジュンガル・東トルキスタンを領土に加え,清代最大の領域を確保した」。
(2)
総理各国事務衙門(総理衙門)は1861年に新設され,同年に同治帝が即位した。
→教科書p.287の11~12行目「外国公使の北京駐在に対処するため,1861年には外交担当官庁として
総理衙門が新設された」。
(3)
キャフタ条約をロシアと締結した時の皇帝は雍正帝である。
→教科書p.220の14~15行目「
雍正帝(世宗)は,1727年ロシアと
キャフタ条約をむすんで国境を定め」た。
(4)
ホラズム朝(ホラズム=シャー朝)を滅ぼしたのはモンゴル帝国のチンギス=ハン。
→教科書p.135の6~9行目「彼(
チンギス=ハン)は,部族・氏族を解体して,支配下の全遊牧民を千戸制のもとに再組織して,帝国の軍事・政治的基礎を固めると,征服戦争を開始した。西方では,トルコ系のナイマン部やホラズム=シャー朝を滅」ぼした。

清の3代の皇帝(康煕・雍正・乾隆帝)については頻出事項なので,基本事項をきちんと確認させる。
問9 【36】【義和団事件】
(1)
義和団事件が勃発したのは山東省である。
→教科書p.303の22~23行目「一方民衆は,専制政治への不満とともに列強への反感を強め,華中・華南を中心にキリスト教排斥の運動(仇教運動)を展開していたが,華北の
山東省にもキリスト教に反対する
義和団が登場した」。
(2) ○
→教科書p.303の23~304の2行目「1898年,
扶清滅洋のスローガンをかかげた義和団は,1900年北京に進出し,列強の公使館にせまった」。
(3)
8か国連合軍にポルトガル軍は参加していない。
→教科書p.304の注(1)「日本・ロシア以外は,ドイツ・アメリカ・イギリス・フランス・オーストリア・イタリアである」。
(4)
北京議定書の結果,北京に外国軍隊の駐留が認められた。
→教科書p.304の4~6行目「1901年,清朝は列強と
北京議定書(辛丑和約)をむすび,多額の賠償金と外国軍の北京駐留などを認め,国内における排外運動の禁止や取り締まりを約束した」。

義和団事件をとりまく国際関係や中国国内での動向に注目させる。