2005年度 センター試験【世界史A本試】解説
第1問
問1
 年代を問う設問。1890年代初めのシカゴ万博が、ある出来事の400年記念ということから、1490年代初めの出来事を選択すればよいことが分かる。選択肢の出来事はそれぞれ年代的に大きく離れているので、比較的容易に解答できる。
(1)コロンブス
→教科書p.51 15行「コロンブス(コロン)は、1492年に……」

この年は是非覚えておきたい。1492=「イヨ!クニが見えた!!」の語呂合わせ。
(2)北アメリカで最初の植民地
→教科書p.76 1行「イギリスは、17世紀はじめ以来、北アメリカに……」(3)

北米最初のイギリス植民地=ヴァージニア=エリザベス1世に因む(ローリーが16世紀末に建設したヴァージニアは失敗。17世紀初めに別な場所に同名の植民地を建設)。
(3)独立を宣言
→教科書p.76 21行「1776年、フィラデルフィアで独立宣言が……」

この年は頻出。独立戦争開戦の翌年であることに注意。
(4)合衆国憲法が制定
→教科書p.77 10行「1787年ようやく合衆国憲法が制定……」

パリ条約で合衆国が独立したのが1783年。教科書にもあるように、独立後の合衆国では連邦主義と州権主義が対立し、憲法制定が遅れたことに注意。
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問2
19世紀末の文化・社会を選択する設問。世界史Aでは、文化史の詳細な知識を求められることは少ないが、生活史などを絡めた出題があるので注意したい。
(1)ラジオ放送やジャズなどの大衆文化
→教科書p.118 23行「(19)20年代末に…普及したラジオが…ジャズなどの大衆文化の発達を……」

19世紀末~1920年代における大衆文化の発達は頻出事項。
(2)蒸気船
→教科書p.73 20行「また、蒸気船も考案され……」

蒸気機関は産業革命期に普及。19世紀末からは電気と石油に注目。
(3)フランスのディドロとダランベール
→教科書p.67 10行「啓蒙思想がフランスを中心にひろまった。」

啓蒙思想がフランス革命に多大な影響を与えたことは、→教科書P78側注部にも書かれており、ディドロとダンランベールが啓蒙思想家であることに気付けば時期が違うことを判断できる。
(4)ダーウィン
→教科書p.117 17行「ダーウィンは『種の起源』(1859年)で……」

進化論、細菌学、X線、電信、電話、無線などの自然科学・技術の発明・発見が続いたのは、19世紀末のこと。
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問3
19世紀末におけるアメリカの帝国主義政策に関する設問。世界史Bとの共通問題ということもあり、やや詳細な知識が要求されている。
(1)セオドア=ローズヴェルト……グアム
→教科書p.101 7行「(米西戦争)の結果、アメリカはフィリピン・グアム……」

米西戦争の時のアメリカ大統領はマッキンリー。セオドア=ローズヴェルは日露戦争の講和条約であるポーツマス条約とセットで覚えておきたい。
(2)セシル=ローズ
→教科書p.93 側注部にセシル=ローズのイラスト、キャプションがある。

セシル=ローズは、19世紀末にケープ植民地首相を務め、帝国主義政策を推進したイギリスの政治家。
(3)パン=アメリカ会議

1889年に第1回会議がワシントンで開催されて以来、アメリカの中南米政策推進に利用されてきた国際会議。1948年に米州機構(OAS)となる。
(4)フランスからキューバを
→教科書p.101 9行「キューバはスペインから独立したものの、アメリカの事実上の植民地……」

アメリカが行った典型的な帝国主義戦争である、米西戦争は頻出事項。
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問4
西アジアの戦後史に関する設問。地図と年表で、イラクとクェートの国名と位置の組み合わせを選択させる、六択の問題。
→教科書p.166 11行「翌1980年、イラクの侵入を発端としてイラン=イラク戦争……」
→教科書p.166 15行「イラクは、1990年8月、クェートに侵攻し……」

単に事項を覚えるだけでなく、地図を使った学習が不可欠である。特に時事問題とも絡む西アジアは要注意。
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問5
シーア派という基本事項を問う設問であるが、シーア派の内容に踏み込んだ知識が判断材料として利用されている。
(1)スンナ派 (4)シーア派
→教科書p.23 側注部にスンナ派とシーア派のまとめがある。

リード文では、フサインの殺害を正義に反する弾圧と意識した人々が何派か、という流れになっている。しかしリード文をよく読むと、フサインがアリーの子供であることが記されている。これに気付けば、正解を導くのは容易である。
(2)ワッハーブ派
→教科書p.95 2行「イスラームの純化をめざす……ワッハーブ運動」

イスラームの宗派では、スンナ派、シーア派とともに、18世紀中頃以降に形成されたワッハーブ派を押さえておきたい。
(3)ネストリウス派

エフェソス公会議(431)で異端とされたキリスト教の一派。唐代の中国で景教と呼ばれていたことに注意。
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問6
各時代のイスラーム王朝に関する設問。時代と地域が大きく広がっているが、難易は標準的である。
(1)アウラングゼーブ
→教科書p.55 1行「17世紀後半になると、アウラングゼーブ帝が……」

ムガル帝国の皇帝としては、第一に、「ジズヤを廃止した」アクバル帝と「ジズヤを復活した」アウラングゼーブ帝、第二に、「建国者」バーブル「タージ=マハルの建設者」シャー=ジャハーンを押さえておきたい。
(2)ソンガイ王国に替わってマリ王国

ニジェール川上流でサハラ縦断交易によって栄えた、西アフリカの国はガーナ王国(~11世紀)、マリ王国(イスラーム王朝・13世紀~15世紀)、ソンガイ王国(イスラーム王朝・15世紀~16世紀)の順。
(3)オスマン朝
→教科書p.55 13行「13世紀末…オスマン朝を建国……」

16世紀はオスマン朝の最盛期。スレイマン1世(位1520~66)がハンガリー征服ウィーン包囲(1529)、プレヴェザの海戦(1538)などでヨーロッパを圧倒した。
(4)ホメイニ
→教科書p.166 10行「……ホメイニを指導者とするイラン=イスラーム共和国が成立した。」

1979年のイラン革命に続いて、イラン=イラク戦争、湾岸戦争そしてアメリカのイラク侵攻と重要な出来事が連鎖的に起きることに注意しよう。
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問7
各地の歴史的建造物・遺跡に関する設問。このようなテーマについては、教科書の図版などにも注意しながら学習することで、理解を深めることができる。
(1)モヘンジョ=ダロ
→教科書p.15 17行「モヘンジョ=ダロとハラッパー……住居・穀物倉庫・大沐浴場などが……」同ページ側注部に、モヘンジョ=ダロの大沐浴場の写真あり。

インダス文明の遺跡からは、強い王権を示す陵墓や宮殿は発見されていないことに注意。
(2)ペルセポリスの宮殿
→教科書p.21 側注部にペルセポリスの写真あり。キャプションに「アケメネス朝の王宮の一つ」

古代ギリシアの遺跡ではない。ペルセポリスを破壊したのは、マケドニアのアレクサンドロス。
(3)シャルトル大聖堂

フランスのゴシック建築を代表する建造物。12世紀末~13世紀初に建てられた。個人の内面の信仰を重視する宗教改革と、豪華な大聖堂とは(イギリス国教会を例外として)結びつかない。
(4)聖ソフィア(ハギア=ソフィア)聖堂

コンスタンティノープルにあるビザンツ様式を代表する建造物。選択肢には、「ウィーンにあって、後にモスクに改修された」とあるが、ウィーンは1529年と1683年にオスマン朝に包囲されたが占領されず、大聖堂がモスクに改修されたという記述が矛盾していることは、類推できる。
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問8
凱旋門をテーマにしているが、4世紀のローマ皇帝と、オーストリア継承戦争を戦ったプロイセン王の組み合わせを選ばせる設問。
→教科書p.27 22行「コンスタンティヌス帝は、キリスト教公認や……」

4世紀、ローマ皇帝とくれば、コンスタンティヌス帝が頭に浮かぶようにしておきたい。キリスト教を公認したミラノ勅令発布が313年、ニケーア公会議が325年とセットにして覚えておくとよい。なお、ユスティニアヌス帝は6世紀の東ローマ(ビザンツ)帝国皇帝(→教科書p.32 3行)
→教科書p.67 3行「フリードリヒ2世……オーストリアをオーストリア継承戦争と七年戦争でやぶって……」

ヴィルヘルム2世は、第一次世界大戦当時のドイツ皇帝(→教科書p.123 側注部に写真とキャプションあり)
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問9
先史時代に関する設問。学習指導要領解説でも「あくまで近現代史を中心に扱う」とされている世界史Aの試験で、先史時代を問うのは如何なものであろうか。世界史Bとの共通問題ではあるが、世界史Aのみの履修者に対する配慮が求められよう。
→教科書p.6にラスコー洞窟の壁画、教科書p.52にマチュ=ピチュ遺跡の写真がある。
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第2問
問1
グラフ読解の要素を取り入れた設問。人の移動、なかでも移民についての出題は多いので注意したい。
→教科書p.128 9行「(1920年代のアメリカ)黒人やアジア系・東欧系・南欧系移民に対する迫害……」

新しく大量に増加したアジア系や東欧・南欧系移民が迫害されたことに注意。この設問は、【イ】が解答できると正解にたどり着ける。
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問2
アメリカ大陸における黒人・黒人奴隷に関する設問。消去法で解答できる。
(1)奴隷貿易を支配
→教科書p.69 16行「…砂糖貿易でも奴隷貿易でもトップにたっていたイギリス……」

世界貿易の支配者が、16世紀のポルトガル・スペイン、17世紀前半のオランダ、そしてオランダとフランスを破って、18世紀にイギリスと変遷してきたことから、誤りであることを判別できる。
(2)奴隷制度の即時廃止
→教科書p.77 23行「…自由・平等や基本的人権……黒人奴隷には無縁であった。」

合衆国建国の理念が白人にしか及ばなかったことは、アメリカ合衆国史の基本であり、誤りと判断できる。
(3)トゥサン=ルヴェルチュール

世界史Aにしては、やや詳細な知識に属する事項。ただしこの設問は、トゥサン=ルヴェルチュールを知らなくても、消去法で容易に解答できる。
(4)メスティーソ
→教科書p.89 5行「植民地人は、地主層のクリオーリョ(現地生まれの白人)を中心に……」

ラテンアメリカ独立の指導者として名高いシモン=ボリバル(→教科書p.89側注部に肖像画あり)もクリオーリョである。従ってこの選択肢が誤りであると判断できる。
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問3
キューバ危機に関する基本的な設問。キューバ危機は戦後史の大きな転換点の一つである。背景となったキューバ革命、事件の経過、影響などをしっかりつかんでおきたい。
→教科書p.167 12行「ケネディ大統領は、ソ連に撤去を要求……」

ケネディ大統領とともに、ソ連の指導者であったフルシチョフも押さえておきたい。
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問4
19世紀後半の朝鮮の政治・対外関係についての設問。日本との関係が焦点となるこのテーマは、世界史Aの目標である「近現代史を中心とする世界の歴史を、我が国の歴史と関連付けながら理解させ……」と合致していることもあり、頻出分野の一つとなっている。
(1)日朝修好条規
→教科書p.107 8行「…日朝修好条規……釜山などを開港させ……」

この条約締結の口実に日本が利用した江華島事件とともに、是非覚えておきたい。
(2)甲申政変(事変)
→教科書p.107 17行「日本の援助で独立党がクーデタをおこしたが、清軍の攻撃で失敗し(甲申事変)……」

クーデタ失敗後、独立党の指導者金玉均は日本に亡命した。
(3)甲午農民戦争
→教科書p.108 4行「(甲午農民戦争の)鎮圧に苦しんだ(李朝)政府は……清・日両軍の出兵となった。」

この時出兵した日清両軍が、朝鮮半島で衝突して日清戦争が始まった。
(4)日韓協約
→教科書p.121 1行「日本は、……1904年、1905年、1907年の3次にわたる日韓協約により」

1904年の第1次日韓協約では、韓国の財政・外交に日本が推薦する顧問を置くこと、1905年の第2次日韓協約では、韓国は外交権を失って日本の保護国となること、1907年の第3次日韓協約では、韓国軍が解散されること、が決められた。第1次日韓協約が結ばれたのが、日露戦争開戦後であり、設問の時期とずれている。
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問5
中国東北地方で1920年代30年代に起こった出来事の正誤を判定する設問。いずれの選択肢も、基本事項を問うものである。問4同様に日本が関係する頻出分野である。
(1)張作霖が爆殺
→教科書p.138側注部に、爆破された列車の写真とキャプションあり。

1928年に関東軍により行われた謀略。北伐が成功して?介石による中国統一が実現しようとするなかで、日本は中国東北地方を直接支配しようとした。しかし、この企ては失敗した。
(2)南満州鉄道が爆破
→教科書p.139 2行「関東軍は柳条湖で南満州鉄道を爆破し、……」

柳条湖事件のことである。
(3)長征
→教科書p.139 10行「共産党は……やがて延安を根拠地とした(大西遷・長征)」

奉天が誤り。
(4)リットン調査団
→教科書p.139 6行「……リットン調査団を派遣した国際連盟は……」

リットン調査団の調査をもとに、国際連盟が満州(中国東北地方)からの日本軍撤退などを決議したことに反発して、日本は国際連盟を脱退した(1933)。
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問6
ソ連の独裁的な指導者を問う設問。リード文にある1930年代という時期からも、容易に解答を選択できる。  →教科書p.132 18行「1924年のレーニンの死後……しだいにスターリンが独裁体制を きずいていった。」

ソ連の指導者としては、建国時から1924年=レーニン → (スターリンとトロツキーの勢力争い) → 1930年代から1953年=スターリンの独裁 → 1953年から64年=フルシチョフ → 1964年から82年=ブレジネフ → 1985年から91年=ゴルバチョフ を押さえておきたい。
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問7
ユダヤ人の歴史についての設問だが、正誤の判断を波線部に限定してくれているので、ユダヤ人の歴史をよく知らなくても、解答が可能である。
(1)アケメネス朝
→教科書p.27 4行「(アレクサンドロス)大王の死後、……やがて東進してきたローマに征服された。」

ヘレニズム諸国を征服したのはローマである。
(2)イベリア半島
→教科書p.31 21行「イベリア半島でも、……国土回復運動(レコンキスタ)を推進… …」

イスラーム勢力との戦いの中でカトリック信仰が強調されたこともあり、イベリア半島ではムスリムやユダヤ教徒が追放されたり、改宗させられたりした。
(3)アレクサンドル1世
→教科書p.82 側注部 「神聖同盟」→「ロシア皇帝アレクサンドル1世が提唱し……」
→教科書p.87 側注部 アレクサンドル2世肖像画キャプション「1881年、テロリストに暗殺された」

その暗殺がユダヤ人迫害(ポグロム)の契機となったのは、アレクサンドル2世
(4)ヨーロッパ共同体(EC)
→教科書p.156 5行「国連がパレスティナを両民族の国家に分割することを決議し… …」

パレスティナ分割を決議し、イスラエル建国と第1次中東戦争(パレスティナ戦争)のきっかけを作ったのは、ECではなく国際連合である。
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問8
イスラエルの位置を、世界地図中から選ぶ設問である。国名・地名が出てきたら、地図で位置を確認する習慣を身につけたい。
→教科書p.156の地図、教科書p.180の地図
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問9
第一次世界大戦中のイギリス外交に関する設問。教科書p.123 10行「また交戦国は、それぞれの植民地・従属国の民衆を動員し、戦争への協力とひきかえに戦後の自治権付与や独立などを約束した」の具体例に関する問題である。
(1)エジプト王国の独立
→教科書p.135 9行「イギリスの保護国であったエジプトは……完全独立をめざす運動を続けた。」

大戦中にエジプトの独立を認めていないことが分かる。
(2)フサイン=マクマホン協定
→教科書p.135 パレスティナをめぐり、イギリスが大戦中に約束した矛盾する条約の解説(地図付き)

ユダヤ人国家の建設を認めたのはバルフォア宣言フサイン=マクマホン協定は、アラブ人の独立国家建設を認めたもの。
(3)フランス及びアメリカ合衆国との間で
→教科書p.135 パレスティナをめぐり、イギリスが大戦中に約束した矛盾する条約の解説(地図付き)

オスマン帝国領の分割を定めた、サイクス=ピコ協定はイギリスがフランス・ロシアと結んだもの。
(4)インドに戦後の自治
→教科書p.136 1行「イギリスは大戦中に約束した自治を認めず……」

反英運動を弾圧するため制定したローラット法に反対して、ガンディーが非暴力・不服従運動を展開した。
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第3問
問1
フランス革命中のジャコバン派独裁に関する設問。頻出のテーマである。
(1)物価の統制
→教科書p.79 6行「…ロベスピエールの指導下に……物価や賃金の最高額を定めて… …」

ジャコバン派独裁期の政策については、この他に封建地代の無償廃止ジャコバン憲法の制定・革命暦メートル法などを押さえておきたい。
(2)公安委員会を廃止
→教科書p.79 側注(4)「公安委員会や保安委員会が設けられて……」

公安委員会は国民公会の中に設けられ、独裁機関として機能した委員会。テルミドールの反動後に廃止された。
(3)テルミドールの反動
→教科書p.79 11行「…クーデタ(テルミドール9日)によってロベスピエールは逮捕・処刑され……」

ミラボーは、革命初期に国民議会の中心として活躍した貴族出身の政治家。1791年に病死。
(4)統領政府
→教科書p.80 9行「…ナポレオンは……執政政府(統領政府)を樹立し……」

ロベスピエールは、ジャコバン派の指導者。
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問2
フランス革命・ナポレオン時代の国際関係に関する設問。(2)の内容は世界史Aにしてはやや詳細な知識を要求している。
(1)ワーテルローの戦い
→教科書p.81 11行「イギリスのウェリントンらがワーテルローの戦いでナポレオン をやぶって……」

ワーテルローの戦いは、ナポレオンが最終的に敗北した戦い。
(2)第1回対仏大同盟
→教科書p.79 年表

ルイ16世の処刑を口実にして、イギリスのピットが提唱した。その後も教科書p.80、18行「フランスの強大化を恐れた諸国は、ピットを指導者に、対仏大同盟を更新して対抗し……」ということになる。
(3)トラファルガーの海戦
→教科書p.80 21行「ナポレオンは、海上ではトラファルガーの海戦でネルソンのイギリス艦隊にやぶれ……」

この敗戦で、イギリスへの上陸作戦が不可能となった。
(4)大陸封鎖令
→教科書p.81 1行「……イギリスだけは抵抗を続けたため、ナポレオンは大陸封鎖令を発して……」

この段階(1806)でナポレオンはすでに皇帝となっている。
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問3
フランス革命・ナポレオン時代における女性に関する設問。やや難易度が高い問題だが、波線部で判断ポイントを限定している。
(1)ヴェルサイユ
→教科書p.79年表にある、ヴェルサイユ行進のこと。

食糧不足に苦しんだパリの女性達が、ヴェルサイユ宮殿に押し寄せ、国王一家と国民議会をパリに移した。
(2)国民議会
→教科書p.78 14行「1789年……三部会は、議決方法をめぐって紛糾したすえに廃止され、かわって国民議会が……」

国民議会は間違い。国民公会が正しい。
(3)エカチェリーナ2世
→教科書p.66 にロシア皇帝として肖像画とともに紹介されている。

エカチェリーナ2世は間違い。『女性と女性市民の権利宣言』を書いたのは、フランス革命期のオランプ=ドゥ=グージュ。この女性は教科書にほとんど載っていない。しかし、ロシア皇帝がこのようなタイトルの本を書くとは、常識的に考えられない。
(4)マリア=テレジア
→教科書p.67 にオーストリアの支配者として紹介されている。

マリア=テレジアは間違い。ジョゼフィーヌが正しいが、この人名も教科書で取り上げられることは少ない。マリア=テレジアがオーストリアの支配者であったという知識で判断する。
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問4
辛亥革命の勃発した都市と、中華民国の成立が宣言された都市の組み合わせを問う、六択の設問。
→教科書p.111 4行「……新軍が武昌で蜂起すると……南京で中華民国が成立し……」

基礎的な頻出事項。この設問では地図が使われていないが、だいたいの位置は把握しておきたい。
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問5
日清戦争以後の、中国における改革と外交に関する設問。
(1)変法自強運動
→教科書p.109 1行、タイトル「変法運動」「日清戦争の敗北で、民族の危機にめざめた康有為・梁啓超らは……」

変法運動が試みられた1898年前後に、中国各地に列強が租借権を設定していったことを、教科p.109の地図で確認しておこう。
(2)中国同盟会
→教科書p.110 19行「……中国同盟会が結成された。孫文は総理となり……」

康有為は変法運動の指導者。
(3)憲法大綱
→教科書p.110 注(3)「清朝政府は、1908年、憲法大綱を発表し……」

選択肢の主語である「中華民国」は、清朝の誤り。また、「連ソ・容共・扶助工農」は、中国国民党一全大会で採択された方針。これに基づいて第一次国共合作が成立した。このように一文に複数の誤りがあるのは、見映えがよくない。
(4)五・四運動
→教科書p.137 21行「……パリ講和会議に出席した中国代表団は……北京で学生を中心とする抗議運動が組織され、講和条約調印拒否……を求める政治行動となった(五・四運動)」

ワシントン会議に抗議、が間違い。パリ講和会議で、二十一か条要求の取り消しが認められなかったことに抗議して起こった。
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問6
近世末から近代にかけての、中国と欧米諸国の関係に関する設問。基本事項を問う問題。
(1)モンロー宣言
→教科書p.89 21行「……南北アメリカとヨーロッパの相互不干渉を骨子とするモンロ ー宣言……」

モンロー宣言は誤り。ジョン=ヘイ門戸開放宣言が正しい→教科書p.109。
(2)威海衛
→教科書p.109 地図

日清戦争後、19世紀末に行われた欧米諸国による中国分割は、各国の租借地の名称と位置、各国の勢力範囲をよく把握しておきたい。
(3)マカートニー
→教科書p.104 6行「イギリスは、制限貿易を打開するために使節を派遣した……」
同ページ 注(1)「1793年のマカートニー……」

フランスが誤り、イギリスが正しい。
(4)ドイツ・オーストリアとともに
→教科書p.109 10行「ロシア・フランス・ドイツ3国は……(三国干渉)……」

オーストリアが誤り、フランスが正しい。
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問7
1905年にロシアで起こった出来事の正誤を判定する設問。この年から、日露戦争終結やロシア第一革命が連想できるようにしておきたい。
(1)デカブリストの反乱
→教科書p.87 注(2)「……1825年、憲法制定をめざして決起したデカブリスト(十二月党)の蜂起……」

1905年という年から、ロシア第一革命に関連する出来事を選択すればよいことが分かる。
(2)「血の日曜日」事件
→教科書p.121 11行「日露戦争中の1905年1月……多くの死傷者を出す事件が起こった(血の日曜日事件)」

ロシア第一革命に関連する基本的な頻出事項。
(3)日露戦争
→教科書p.120

日露戦争が1904年に始まり、1905年に終結したことは基本事項。また、文中にある「日本が革命に干渉した」という説明に着目すれば、この文が説明している出来事は1918年以降に起こった対ソ干渉戦争のことを述べていると判断できる(→教科書p.130 9行)。
(4)臨時政府
→教科書p.125 タイトル「ロシア十一月革命」8行「……臨時政府は……さらに7月には社会革命党のケレンスキーが首相……」

ケレンスキー、臨時政府という語句から、三月革命と十一月革命の間の出来事と判断できる。
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問8
第二次世界大戦後に、世界各地で起こった革命や政権交代についての設問。1980年代、90年代初頭の出来事も出題されており、やや解答しづらい。
(1)カストロ
→教科書p.167 6行「キューバでは、……独裁政権が、カストロらにより打倒された。」

キューバ革命は基本事項。その後発生したキューバ危機も、頻出事項であり、注意したい。
(2)マルコス
→教科書p.165 9行「フィリピンでは……コラソン=アキノがマルコスをやぶり……」

アキノ政権が非核憲法を制定したことにも注意。
(3)エリツィン
→教科書p.160 17行「ゴルバチョフは……1991年8月、ソ連共産党が解体を余儀なくされた。」

エリツィンは、ソ連解体後のロシア大統領。
(4)チャウシェスク
→教科書p.161 年表「東欧社会主義圏の崩壊」

発生から十数年が経過していることもあり、やや詳細な知識のレベルになっている。
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問9 ボリシェヴィキについての正誤を判断する設問。基本事項を問う標準的な難易の問題。
(1)コミンテルン
→教科書p.130 14行「……コミンテルンを結成して各国の革命勢力を指導した。」

1918年にロシア共産党と改名したボリシェヴィキが、コミンテルンを結成した。
(2)農業の集団化
→教科書p.132 21行「スターリンの指導のもとで……農業集団化を強行し……」

農業集団化は、政権獲得と同時に実施したのではない。教科書p.125にある「土地に関する布告」と混同しないよう注意。
(3)ドイツと単独講和
→教科書p.130 4行「……ドイツと単独講和交渉をおこなった。……ブレスト=リトフスク条約を結んで……」

条約名も基本的な頻出事項。
(4)国際連盟
→教科書p.127 6行「国際連盟は……ソヴィエト政権やドイツが排除され……」

ソ連が国際連盟に加盟したのは、日本とドイツが脱退した後1934年のこと。
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第4問
問1
各国の重商主義政策についての設問。問2の内容とも関連している重要事項。
(1)東インド会社
→教科書p.63 19行「オランダは、17世紀前半にさかんに海外に進出して栄え……」

オランダ東インド会社の設立は1602年初の本格的株式会社と言われる。イギリス東インド会社の設立は1600年、フランスでは1604年に設立され間もなく廃止、ルイ14世の治世、1664年に再建された。いずれも17世紀、またはその直前であることに注意。
(2)航海法廃止
→教科書p.84 9行「……保護主義的な航海法も廃止された。」注(3)「とくに1651年の法はオランダを刺激し、第一次英蘭戦争を……」

英蘭戦争の契機は、航海法の制定であることに注意。
(3)コルベール
→教科書p.65 17行「……ルイ14世は……財務総監のコルベールが徹底した重商主義政策をすすめた。」

コルベールはプロイセンではなく、フランスでルイ14世に仕えて、重商主義政策を推進した。
(4)茶法
→教科書p.76 12行「……北アメリカへの茶の輸出の権利を東インド会社に独占させる茶法……」

茶法に反対して起こされたボストン茶会事件が、独立戦争につながっていったことに注目。
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問2
重商主義政策に対する批判、自由貿易主義に関する設問。ヨーロッパにおける近世・近代の経済政策については、しっかりまとめておきたい。
(1)アダム=スミス
→教科書p.75 肖像画のキャプション「……『諸国民の富』で……」

資本論』はマルクスの著作。両書とも基本的事項。
(2)ベンサム

「最大多数の最大幸福」で知られる功利主義を唱えたイギリスの哲学・経済学者。
(3)穀物法
→教科書p.84 10行「地主の利益のために……穀物法も……1846年廃止された。」

教科書同ページ「イギリスの自由主義改革」にある、東インド会社インド貿易独占権廃止や航海法廃止なども一緒に、前後関係などに注意しながら、押さえておきたい。
(4)ドイツ関税同盟
→教科書p.198 年表

1834年に成立してドイツの経済的統一を進めた重要な同盟。保護貿易を主張する歴史学派経済学を代表する、ドイツの経済学者リストの影響を受けた同盟であることも覚えておきたい。
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問3
19世紀アジアにおける、イギリスの政策に関する設問。基本事項中心で解答しやすい。
(1)東インド会社を解散
→教科書p.97 13行「イギリスは……東インド会社を解散して、インドの直接統治… …」

頻出事項であるインド大反乱(セポイの乱)の結果・影響の一つである。
(2)アロー戦争
→教科書p.105 13行「……イギリス・フランスはアロー号事件を口実に出兵し(アロー戦争)……天津条約……北京条約をむすんだ(1860年)。」

南京条約アヘン戦争の講和条約。頻出事項。
(3)ペリー
→教科書p.106 14行「1853年、ペリー来航で……日米和親条約をむすび……」

ペリーを派遣したのはアメリカ合衆国。基本事項。
(4)サイゴン条約
→教科書p.99 3行「……ナポレオン3世は……コーチシナ東部を割譲させ……」

サイゴン条約はやや細かい知識に属する。しかし、サイゴン→ヴェトナムの地名→ヴェトナムはフランスの植民地となる、という連想で解答を導ける。
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問4
世界恐慌に対する、欧米諸国の対策に関する設問。基本的な頻出事項。
(1)金本位制を停止 (2)オタワ会議
→教科書p.132 4行「イギリスは……金本位制の停止……カナダのオタワでイギリス連邦経済会議をひらき……」

オタワ会議により形成されたスターリング=ブロック、ブロック経済圏も併せて押さえておきたい。
(3)ニューディール政策
→教科書p.131 15行「……ニューディールの中心となったのは、……農産物の作付けを制限する農業調整法(AAA)であった。……」

ニューディールを推進したフランクリン=ローズヴェルトは必須事項。またAAAの他に全国産業復興法(NIRA)、テネシー川流域開発公社(TVA)、善隣外交などをきちんと整理しておきたい。
(4)公共事業や軍需生産
→教科書p.133 13行「ヒトラーは土木工事や軍需産業に力を入れ……失業者を減らした。」

ヒトラーがドイツ国民の多くから支持された理由の一つである。
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問5 1930年代のヨーロッパ諸国=ファシズムとそれに対する抵抗に関する設問。やや詳細な事項が出題されている。
(1)コミンフォルム (4)人民戦線内閣
→教科書p.141 6行「……1935年7月のコミンテルン大会は、反ファシズム統一戦線(人 民戦線)の形成を……スペインとフランスで……人民戦線内閣が成立……」

コミンフォルム(共産党情報局)は冷戦の中で1947年に結成された組織(1956年解散、教科書p.151)。コミンテルンと混同しやすいので注意。スペイン人民戦線内閣(首班アサーニャ)はスペイン内戦で崩壊した。頻出事項。フランス人民戦線内閣も首班ブルムとともに覚えておきたい。
(2)ロイド=ジョージ

ロイド=ジョージが挙国一内閣を結成したのは、第一次世界大戦の時。ロイド=ジョージはパリ講和会議にも出席。なお1930年代のイギリス首相としては、挙国一致内閣を結成して世界恐慌対策を推進した、労働党出身のマクドナルド(任1924、1929~31、31~35)、ヒトラーに対する宥和政策をとった保守党のネヴィル=チェンバレン(任1937~40)を押さえておきたい。
(3)ミュンヘン一揆
→教科書p.133 6行「党首ヒトラーは、1923年のミュンヘン一揆の失敗後は……」

ミュンヘン一揆の失敗後、国政選挙に力を注いだヒトラーは、1933年に首相となった。
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問6
戦間期の欧米諸国の経済政策に関する設問。基本事項。
(1)ルール地方占領
→教科書p.128 18行「フランスは……ルール鉱工業地帯を占領した。しかし、……」

頻出事項。フランスとベルギーの占領に対して、ドイツは生産停止で対抗した。このことが、ドイツのインフレーション激化の契機となった。
(2)フーヴァー=モラトリアム
→教科書p.131 4行「世界恐慌がはじまると……フーヴァー=モラトリアムを宣言したが……」

世界恐慌発生によってアメリカの資本がドイツから引き揚げられたため、混乱に陥ったドイツを救済しようと、賠償金の支払いを一年間停止した。
(3)ドーズ案
→教科書p.128 注(1)「賠償金に悩むドイツに対して、ドーズ案やヤング案で……」

ドイツの賠償問題の流れ。賠償支払いの遅れを理由に、フランスなどがルール占領(1923~25) → ドーズ案(1924 アメリカ資本の貸与、支払い方法と期限緩和) → ヤング案(1929 賠償金減額) → フーヴァー=モラトリアム(1931 支払い一年間停止) → ローザンヌ会議(1932 賠償金さらに減額) → ヒトラーが破棄(1933)
(4)ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)

1960年にヨーロッパ経済共同体(EEC)に対抗して、イギリスを中心として結成された。1984年から徐々に、ヨーロッパ共同体(EC)との統合が進んでいる。ヨーロッパの統合問題には注目しておいた方がよい。
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問7 ヴェトナム戦争に関する設問。いずれも重要事項である。
(1)パリ和平協定
→教科書p.158 26行「……パリ和平協定によりヴェトナムからの撤兵を余儀なくされた。」

当時のアメリカ大統領ニクソンも覚えておきたい。
(2)ヴェトナム民主共和国
→教科書p.158 17行「北ヴェトナム(ヴェトナム民主共和国)と南の解放勢力は、中ソを初め多くの国家の支援……」

合衆国内外で、ヴェトナム反戦運動が盛り上がった。
(3)バンドン会議
→教科書p.157 7行「……翌年(1955)4月……アジア=アフリカ会議(バンドン会議)がひらかれ……」

ヴェトナム戦争が始まったのは1965年、バンドン会議の10年後のことである。
(4)トンキン湾事件
→教科書p.158 14行「……トンキン湾事件を契機に……北ヴェトナムへの爆撃(北爆) を開始し……」

当時のアメリカ大統領ジョンソンも覚えておきたい。
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問8
ASEANの原加盟国を選択させる設問。正答以外の選択肢3ヵ国も、現在はASEANに加盟している。政治経済あるいは現代社会的な要素の強い設問である。
→教科書p.166 1行「……インドネシア・フィリピン・シンガポール・タイ・マレーシアの5ヵ国は、東南アジア諸国連合(ASEAN)を結成して……」
また教科書p.171には、ASEAN加盟国を加盟時期が分かるように示した地図がある。

原加盟国5ヵ国に、ブルネイ・ヴェトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマーの5ヵ国が加わり、現在の加盟国は10ヵ国。本問は単に国名を問うだけであるが、地図を絡めた出題も十分予想できる。加盟国の位置を教科書p.171の地図などで確認しておこう。
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問9
1980年代に世界各国が推進した、経済政策に関する設問。センター試験の世界史Aでは、一昨年、そして本年と戦後史の出題が多かった。
(1)ゴルバチョフ
→教科書p.160 12行「……ゴルバチョフは……市場経済の導入……」

一連の改革をペレストロイカと呼ぶ。
(2)アラブ石油輸出国機構(OAPEC)

1968年にアラブ産油国が結成した国際機関。1973年に起こった第4次中東戦争の際、石油戦略を発動してオイルショックを引き起こした。
(3)ワルシャワ条約
→教科書p.152 16行「……1955年には……東欧7ヵ国と東欧友好相互援助条約をむすんだ(ワルシャワ条約機構)。」

ECが通貨統合などを目指して、1992年に締結したのはマーストリヒト条約。教科書p.162に、欧州統一通貨ユーロ紙幣の図版がある。
(4)大躍進政策
→教科書p.155 5行「……1950年代末から、農村の人民公社化などをめざす大躍進政策が実施され……」

1976年に毛沢東が死亡して四人組が失脚すると、鄧小平の指導下で経済の改革開放政策が推進された。
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