2004年度 センター試験【世界史A】解説
■設問別の分析と解説
第1問
問1【ヨーロッパのナショナリズム運動】
(1)ブルシェンシャフトは農民政党ではない。
(2)フランクフルト国民議会
「さらに,フランクフルト国民議会がひらかれて,ドイツの統一が論議され,統一憲法が制定された。しかし,このときの統一運動は,路線の対立によってけっきょく挫折した。」(教p86)及び「大ドイツ主義と小ドイツ主義の対立があったが,編戦争に勝ったプロイセンが,オーストリアを除外する小ドイツ主義によって統一をすすめた。」(教p86地図解説)とある。したがって、オーストリア中心のドイツ統一で終始一致していない。
(3)フランスではなく、ロシアの支配からの独立を目指した。
「七月革命の影響により,ベルギーはオランダから独立した。また,ポーランド・ドイツ・イタリアなどでも反乱がおこった。反乱はいずれも鎮圧されたが,ウィーン体制を大きく動揺させた。」(教p83補説)とあるが、「ポーランド王国として復活したが,王はロシア皇帝が兼ね,事実上はロシアの属国。」(教p82)とあり、ロシアの支配からの脱却とわかる。
(4)マッツィーニ
「注(1)1849年,いちじローマ共和国をたてたマッツィーニは,はやくから「青年イタリア」を組織して統一運動をすすめていた。」(教p86)
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問2【「ネーション・ステート」の建設】
(1)ベルギー
 「七月革命の影響により,ベルギーはオランダから独立した。」(教p83補説)とあり正しい。
(2)アイルランド
 「アイルランドは,1649年クロムウェルによって征服され,1801年イギリスに統合された。イギリス人地主に小麦をおさめて,みずからはジャガイモを主食とする暮らしのなかで,旧教徒の多いアイルランド人は,審査法などのせいで国会議員を選出できなかった。しかし,イギリスの制度改革によって議会に代表を送れるようになり,イギリスからの独立を求める運動が強まった。」(教p84地図解説)とあり、この当時は独立していないので、誤り。
(3)ラトヴィアは、教科書p126の2枚の地図から、オスマン帝国からではなく、ロシアから独立したことがわかる。
(4)フィンランドは、教p126の地図と教p130の地図から、フィンランドがソ連の解体によって独立したのでないことがわかる。
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問3【国民国家の歴史とシンボル】
ライプツィヒの戦いは、教p80の地図にあるライプツィヒがドイツ内にあることと、「ついで,1812年,大陸封鎖令にそむいたロシアに対する制裁として,ナポレオンはモスクワ遠征を敢行したが,みじめな失敗に終わった。これを機に諸国はナポレオン打倒にたちあがり,1814年パリを占領した。」(教p81)とから判断できる。
第三共和政については、「1870年,普仏戦争をおこしてやぶれ,プロイセン軍の捕虜になった。帝政は倒れ,パリでは共和政(第三共和政)が宣言されたされたが,翌年,不利な講和を不満とする民衆は反乱をおこし,パリ=コミューンとよばれる社会主義的な自治政府を樹立した。しかし,まもなく鎮圧され,1875年,第三共和国憲法が成立した。」(教p85)とあり、問題本文の1875年に制定された憲法とはこれを指している。
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問4【アジア・アフリカ諸地域の抵抗運動・民族運動】
五・三〇事件1925年3月,孫文は病死したが,同年上海でおこった五・三〇事件をきっかけに各地で反帝国主義運動が活発化した。」(教p138)、この事件が「日本人が経営する紡績工場でおこった,待遇改善を求めるストが流血事件をひきおこし,大衆運動に発展した。」(教p138注(2))とあり、満州事変に抗議したものでないことがわかる。
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問5【日本統治下の朝鮮】
日本史とからめた問題で、日本及び日本の支配が及ぶ朝鮮のことも視野に入れた学習をしておきたい。
初代総督は寺内正毅で、伊藤博文は初代韓国統監である。
日本が明治維新以降初めて獲得した海外領土は、日清戦争で獲得した台湾である。
創始改名第二次世界大戦がはじまった1939年に「朝鮮では,民族意識を抹殺するために学校においては朝鮮語が禁止され,姓名を日本風にする「創氏改名」が強要された。」(教p145)ので、日本による韓国併合の年(下の年表から1910年とわかる)ではない。
強制連行第二次世界大戦中に日本の支配下にあった朝鮮では、「日本国内での労働力不足を補うため,多くの朝鮮人が強制連行されて炭鉱などで過酷な労働に従事させられた。」(教p145)とあり、これが正解となる。
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問6【三・一運動】
文字史料中の三月一日に注目すれば三・一運動であることがわかる。この運動について、「1919年3月1日,ソウル(京城)で知識人による独立宣言が発表された。これがたちまち全国各地に「独立万歳」をさけぶ示威運動をまきおこした。日本の官憲は武力で徹底的に弾圧し,多数の死傷者と検束者を出した(三・一独立運動)。このため日本は,武断政治から文化政治へと変更し,一定の懐柔策をとらざるをえなかった。」(教p137)とある。
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問7【第二次世界大戦後の国家の分断・分離や統一】
中国ではなく、ソ連。「戦後,朝鮮は北緯38度線を境として米ソに分割占領され,」(教p155)とある。
南北ヴェトナムが統一されたのは、「1975年4月,南ヴェトナムのサイゴン政府が南ヴェトナム臨時革命政府軍とヴェトナム民主共和国軍に降伏し」(教p164)たからである。
1970年代ではなく、「西ドイツのコール政権は,1990年10月,東ドイツを吸収して統一ドイツを形成し」(教p162)た。
バングラデシュが独立したのは、1971年で正しい。教p154地図中に掲載されている。
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問8【イスラム世界における憲法の歴史】
フランスではなく、ロシア。「19世紀前半,ロシアとイギリスの侵略を受け,治外法権や領土割譲を認める不平等条約をむすばされ,利権をうばわれた。」(教p95)とあり、誤り。
ミドハト憲法が発布されたのは1876年(教p94)。19世紀後半であり、正しい。
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問9【20世紀前半のイスラム世界の出来事】
(1)スルタン制を廃止したのは、ケマル=パシャ。
ケマル=パシャは1920年4月,アンカラに新政府をたて,侵入してきたギリシア軍を撃退した。1922年にはスルタン制を廃止し,」(教p134)とある。
(2)ワフド党「イギリスの保護国であったエジプトは,戦後ワフド党が中心となり,反英運動を展開した。」(教p135)とあり、第一次世界大戦後で正しい。
(3)サウジアラビアが建国されたのは、1932年であり第二次世界大戦後ではない。
「アラビア半島では,ワッハーブ派とむすんだイブン=サウードが統一を推進し,1924年にはメッカの支配者ハーシム家がたてたヒジャーズ王国を滅ぼし統一を完成し,1932年にサウジアラビア王国とした。」(教p135)
(4)シリアは、イギリスではなくフランスの委任統治。
「大戦後,オスマン帝国の領土であったシリア・レバノンはフランスの,パレスティナ・ヨルダン・イラクはイギリスの委任統治領とされた。」(教p135)
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問10【古代オリエントの歴史】
(1)ウルは、シュメールの都市国家で正解。
教p7にあるウルのジッグラトの絵と、「前3000年ころ成立したメソポタミア文明のにない手は,城壁で囲まれ,中心に壮大な神殿をもち,神の代理として権力を集中する王をいただき,それぞれが一つの国家(都市国家)をなす都市の連合体である」(教p7)から判断できる。
(2)ファラオは、エジプトの王であり、ヒッタイトの王を示すものではない。
(3)オリエントを初めて統一したのは、アッシリア。
「前7世紀,セム系のアッシリアがエジプトを含めたオリエントの大半を一時的に征服し,最初の大帝国をつくった」(教p21)
(4)ダマスクスを中心に,主に内陸交易で活躍したのは、フェニキア人ではなくアラム人。「内陸の隊商交易に活躍したアラム人」(教p21)
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第2問
問1【18・19世紀における技術革新】
(2)クロンプトンは、ミュール紡績機を発明した。水力紡績機はアークライト。
教p72表。
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問2【リヴァプールとマンチェスターの間の鉄道の位置】
リヴァプールとマンチェスターの間の鉄道の位置は、地図中の(2)。(1)はエディンバラとグラスゴー間
(3)はブリストルとバーミンガム間、(4)はロンドンとブライトン間である。
教p72地図。
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問3【第1回万国博覧会】
トーマス=クックは、「1851年のロンドン万博のさい,各種団体旅行を提供した。」(p118絵解説)
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問4【ヨーロッパの建築】
(1)ピサ大聖堂は、ロマネスク様式の建築である。教p32
(2)ヴェルサイユ宮殿は,ロマネスク様式の建築ではなく、バロック式宮殿である。教p65
(3)シャルトル大聖堂は,バロック様式ではなく、ゴシック様式の建築である。
(4)ノートルダム大聖堂も,バロック様式ではなく、ゴシック様式の建築である。
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問5【鉄道と領域】
(1)ソヴィエト連邦ではなく、カナダ。
(2)オーストリアの植民地ではなく、イギリスの植民地のあった領域。
(3)ポルトガルではなく、イギリスからケニアは独立した。
(4)ベルギー領コンゴで、正解となる。教p156地図。
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問6【19世紀後半の国際的な資本の動き】
(1)独占的に資本投下を日清戦争後の中国において、日本はできなかった。
(3)ヨーロッパに大規模な投資を19世紀後半にアメリカは行っていない。
(4)工業製品ではなく、食肉など原料を輸出した。
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問7【歴史に名を残した船】
(1)メイフラワー号は、ピューリタンたちがこれにのってアメリカに渡り、プリマス植民地を建設した。
「1620年,メイフラワー号にのってアメリカに渡り,プリマス植民地を建設したピューリタンたち」(教p76注(1))
(2)ニュートンではなく、ダーウィンの探検の際にビーグル号が使用された。
(3)ドイツ軍ではなく、ロシアの水兵がポチョムキン号で反乱を起こした。
(4)ルタニア号の撃沈は、アメリカ合衆国の第二次世界大戦参戦ではなく、第一次世界大戦参戦の一因となった。
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問8【大陸横断鉄道開通以前のアメリカ】
(4)ハワイがアメリカ合衆国に併合されたのは、1898年であり、1869年に完成した大陸横断鉄道が完成した後のことである。
アメリカ合衆国の海外進出の地図中にハワイと併合の年号がある(教p101)
「1869年には,大陸横断鉄道が完成して東西間の距離が縮まった」(教p91)
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問9【自動車や車両の歴史】
(1)ダイムラーは、フランス人ではなくドイツ人。ちなみにダイムラー自動車会社はのちにベンツ社と合併した。
(2)ガソリンを使った機関が発明されたのは、1883年であり、19世紀なかばではない。
(3)フォードが自動車の大量生産を実現したのは、20世紀初めである。
「20世紀の重要な交通手段となる自動車は,19世紀に開発されて,20世紀に実用化され,フォードが大量生産方式を成功させたアメリカを中心に普及していった。」(教p117)
(4)正しい。「第一次世界大戦では,…飛行機をはじめ,戦車・毒ガスなどの多くの新兵器が使用された。」(教p123コラム)
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問10【20世紀の航空・宇宙開発】
(1)正しい。ライト兄弟が飛行機を開発し初飛行に成功したのは1903年で、20世紀初頭となる。
「1903年にライト兄弟が,エンジンつき飛行機フライヤー1号の飛行に成功した。」(教p117)
(2)飛行機が兵器として利用されたのは、第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦である。
「第一次世界大戦では,…飛行機をはじめ,戦車・毒ガスなどの多くの新兵器が使用された。」(教p123コラム)
(3)スプートニクは、アメリカ合衆国ではなく、ソ連が打ち上げた。
(4)人類初の月面着陸は1967年に行われた。アポロ計画を始めたケネディの大統領は、1963年に暗殺されている。
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第3問
問1【後漢の歴史】
(1)杜甫や李白は、後漢ではなく唐の詩人。
「人生の悲哀や快楽をよんだ杜甫や李白はともに安史の乱の前後を生きた大詩人であった。」(教p13)
(2)後漢は五胡十六国の前にあった王朝。
魏晋南北朝の変遷参照(教p12)
(3)正しい。班超は、後漢の時代に西域都護となった。
(4)突厥と争ったのは後漢ではなく、隋・唐。
唐の領域の地図参照(教p13) 
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問2【長安の都市生活】
a 正しい。ネストリウス派のキリスト教が、長安で大流行したことが「大秦景教流行中国碑」に記されている。
b 正しい。ソグド人は、西方の宗教やさまざまな文物を長安にもたらし、唐文化の国際性を豊かなものとした。
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問3【中国を南北に分ける淮水】
中国の気候・植生は,この川の南北で大きく異なるという時のこの川は淮水である。
(2)が正しい。(1)は黄河、(3)は長江 (4)は
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問4【アメリカの古代文明】
テノチティトランは,アステカ帝国の都である。この帝国を1521年に征服したのは、コルテスであり、⑥が正解となる。なお、インカ帝国は、1533年にピサロが征服した。
コルテスは1521年にメキシコ高原のアステカ帝国を,ピサロは1533年にペルーのインカ帝国を滅ぼした。」(教p52)
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問5【南アジア進出したヨーロッパ勢力が,16世紀以降領有した都市の名とその位置】
やや細かい位置を問う問題のようであるが、フランスの拠点であるポンディシェリーがインドの東側にあり、ポルトガル、のちにイギリスの拠点となったゴアがインドの西側にあることが判断できれば良い。
18世紀後半のインド(教p96地図)
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問6【ラテンアメリカの先住民の生活の変化】
(1)誤り。トウモロコシの栽培は、ジャガイモ、タバコ、サツマイモなどとともに新大陸からヨーロッパにもたらされた。
(2)のヨーロッパからもたらされた疫病の流行や、(4)のヨーロッパ人に強制された鉱山労働がインディオ人口の減少になった。また、ヨーロッパ人が持ち込むまで新大陸には(3)のや牛などの大型家畜がいなかった。
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問7【ラテンアメリカ諸国の独立】
(1)ブラジルはスペインではなくポルトガルの植民地であったが、1822年に帝国として独立した。
「ブラジルもポルトガルから独立した。」(教p89)
(2)先住民は、独立によってその地位には変化がなかった。支配者が本国人から植民地のクリオーリョにかわっただけであった。
「植民地人は,地主層のクリオーリョ(現地うまれの白人)を中心に本国の支配に反抗し,決起した」(教p89)
「そのうえ,クリオーリョの優位と大土地所有はかわらず,経済的にはイギリス,ついでアメリカに支配されて,自国産業の健全な発展はみられなかった。」
(3)サン=マルティンは、アルゼンチン・チリ・ペルーの独立運動を指導した。
(4)正しい。ウィーン体制の維持をはかるメッテルニヒは、ラテンアメリカの独立を阻止しようとしたが、イギリスやアメリカの反対にあい失敗した。
「メッテルニヒは独立運動に干渉を試みたが,アメリカ合衆国はモンロー宣言を発してこれを牽制し,イギリスは南アメリカ市場を確保する意図から反対した」(教p89)
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問8【サン=シモン】
サン=シモン(1760~1825)は、ネーデルランドではなく、フランスの空想的社会主義者の一人((4))で、(1)の第一インターナショナル(1889~1914)や(3)のクリミア戦争(1853~56)には参加していない。
「イギリスのロバート=オーウェン,フランスのサン=シモン,フーリエらは,営利追求の資本主義を批判し,貧困のない平等な理想社会を模索した。」(教p88)
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問9【産業革命の起こった国の順】
産業革命はイギリスに始まり、ベルギーやフランス、ドイツ、アメリカ、そしてそれに遅れてロシア・日本が続いた。(2)が正解となる。
「イギリス以外の国々は,保護貿易政策によってイギリス商品の侵入をふせぎながら,自国産業の育成をはかった。これら後発資本主義国のうち,フランス・ベルギー・ドイツ・アメリカなどは19世紀なかばすぎまでに,ロシアや日本もこれにややおくれて,資本主義を確立した。」(教p75)
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問10 【フランスにおける女性の家庭外労働の変化】
初見資料から判断させるグラフ問題。女性の家庭外労働の変化を問うているが、一般的な労働の職種を時代のなかで考えてみると良い。20世紀前半から現代に至るまでcが伸び、aが逆に減少していることから、cが第三次産業、aが第一次産業にあたると判断できる。その結果aが正解となる。
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第4問
問1【フランク王国の分裂】
フランク王国が、ヴェルダン条約、その後のメルセン条約により分割された結果、現在のイタリア・フランス・ドイツの原型ができあがった。(2)が正解となる。
「フランク王国の分割とイングランド」の地図(教p29)参照
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問2【中世ヨーロッパの都市】
(1)ポリスと呼ばれる都市国家は、中世ヨーロッパではなく、古代ギリシアで発達した。
「前8世紀ころ,ポリス社会が成立し,ギリシア独自の発展がはじまる。ポリスは,それぞれが独自の小都市国家で」(教p26)
(2)教皇庁が置かれたのは、コンスタンティノープルではなく、ローマ(一時期アヴィニヨン)。
「西ヨーロッパ世界で重要な地位を占めたのは,ローマ教会であった。ローマ教皇は,教会の首位権をめぐってコンスタンティノープルと争った」(教p30)
(3)アムステルダムが,北西ヨーロッパの商業と金融の中心になったのは、13世紀ではなく、17世紀。
「オランダは,17世紀前半にさかんに海外に進出して栄え,首都アムステルダムは世界の商業・金融の中心となった」(教p63)
(4)正しい。ハンザ同盟は、ドイツ北部やバルト海沿岸部の諸都市を中心に組織された。
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問3【15世紀以前のイギリスやフランスの国王】
(1)「朕は国家なり」と述べたのは,17~18世紀のフランスを統治したルイ14世である。
「ルイ14世」の肖像解説参照(教pP65)
(2)人民憲章を発布したのは、イギリス国王ではなく、チャーチストである。
「チャーティスト運動」の解説参照(教p85)
(3)神聖ローマ皇帝を兼ねたフランス国王はいない。
(4)正しい。13世紀にイギリスのジョン王は,大憲章(マグナ=カルタ)を認めた。
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問4【中国の歴代王朝が施行した諸制度】
(1)正しい。統一を達成した秦は,全国に郡県制を施行した。
「始皇帝は全国を数十の郡に区画し,1郡をさらに数個の県にわけ,人民はかならずどこかの郡と県に戸籍をもつこととした(郡県制)。」(教p10)
(2)行政法である律と刑法である令は誤りで、刑法である律と行政法である令。
(刑法)・(行政法)などの法律が整備された。」(教p13)
(3)三省六部を創設したのは、明ではなく、唐。
(4)科挙制度は,清の滅亡以前に廃止された。
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問5【明の王朝の首都】
(3)が正解。(5)の王朝の首都は、建国時の南京から永楽帝のとき北京に移された。
朱元璋(太祖,洪武帝)が,……,現在の南京を都として漢民族の明王朝をたてた。……。明朝第3代の永楽帝(成祖)は,都を北京に移し,……」
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問6【儒学・儒教の歴史】
(1)孔子は,春秋時代末期の人物で、秦の焚書坑儒が行われた前3世紀以前の人物。
「社会が大きく変動した春秋・戦国期にはさまざまな学問・思想がうまれた(諸子百家)。孔子を始祖とする儒家」(教p11)
(2)朱子学は、宋の朱熹が主張したもので、漢ではなく、明で官学とされた。
「注(1) 南宋の朱子によって集大成された儒学。」(教p47)
(3)王陽明(王守仁)は,知行合一の学説を否定したのではなく、提唱した。
「注(2) 王陽明がはじめた儒学で,「知行合一」を説いて,実践を重視した。」(教p47)
(4)陳独秀は,雑誌『青年雑誌』を創刊し、翌年『新青年』と改名した。そのなかで、旧体制や儒教道徳を批判した。
陳独秀は「民主」と「科学」をかかげ,1915年に上海で『新青年』を発行した。この雑誌を中心に,儒教が専制主義の基礎であると批判する論文……の発表や」(教p137)
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問7【中国における軍事や軍制の歴史】
(1)千戸制と呼ばれる軍事組織を創始したのは、宋ではなく、モンゴルである。
(2)八旗は、明の軍事組織にはない。
(3)正しい。義勇軍(郷勇)を組織したのは、曾国藩である。
曾国藩の湘軍や李鴻章の淮軍が反撃をはじめ,」
「注(5) 湘は湖南省,淮は安徽省の別称。地方の有力者を中心に地縁,血縁でむすばれた義勇兵(郷勇)で私兵的性格が強い。」(教p105)
(4)紅軍を組織したのは、中国国民党ではなく、中国共産党。
「共産党は,毛沢東らを中心に紅軍を組織して」(教p138)
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問8【クロムウェル】
クロムウェルは、鉄騎隊(軍)((2))を率いて、内戦(ピューリタン革命)をおこし、アイルランドを征服((3))し、共和政をうち立てた。その後、彼は護国卿((1))となった。従って、彼は、(4)の立憲君主制を確立していない。
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問9【名誉革命の結果出された文書や法令の名】
名誉革命の結果出されたのは、(1)の権利の章典で、1689年に権利の宣言を法文化したもの。(2)の権利の請願は、1628年に議会が王に提出した要求。
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問10【19世紀後半にイギリスでおこったできごと】
(1)第一回選挙法改正は,1832年で19世紀前半。
(2)ラッダイト運動は、1811年~17年におこった機械打ちこわし運動。19世紀前半のできごと。
(3)正しい。自由党と保守党が交互に政権を担当したのは、19世紀後半。
ヴィクトリア女王の治世に,最盛期をむかえた。トーリー党とホイッグ党はそれぞれ保守党・自由党と改名し,ディズレーリ(保守党)やグラッドストン(自由党)らの指導下に政策を競いあって,典型的な二大政党制を現出した。」(教p84)
(4)審査法が廃止されたのは、1928年で、19世紀前半のできごと。
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