2004年度 センター試験【日本史B(追試)】問題
(解答番号【1】~【36】)
第1問 古代から近代までの民衆の生活や運動に関するA~Cの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 文芸作品や芸能には,それぞれの時代の民衆の姿を今に伝えるものが少なくない。『万葉集』には,農民の気持ちを詠んだ【ア】や,苛酷かこくな税の取立てを歌った作品もある。また,平安時代後期に編集された『今昔物語集』は,民衆の生活の様子や民間伝説を豊富に取り入れている。
 中世になると,従来の公家を中心とした文化に対して,(a)武士や民衆が新たな文化を生み出していった能の合間に演じられる【イ】は風刺性のある喜劇として民衆にもてはやされ,絵入りの短編読み物である御伽草子もさかんに作られるようになった。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【1】
(1) ア 狂歌  催馬楽
(2) ア 狂歌  狂言
(3) ア 東歌  催馬楽
(4) ア 東歌  狂言
問2 下線部(a)に関連して,武士や民衆に愛好された文化について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【2】
(1) 清元節は,出雲阿国が考案した踊りである。
(2) 室町時代,庶民の間に小歌がはやった。
(3) 『国性(姓)爺合戦』は,御伽草子の代表的作品である。
(4) 『節用集』は,鎌倉時代の民間伝説を編集した作品である。
B (b)島原の乱では,島原・天草の領主による苛酷な年貢の取立てに抵抗して,弾圧を受けていたキリシタンなど3万人余の人々が蜂起ほうきした。彼らは天草四郎を首領に原城に立てこもり,これに対して幕府は九州の大名ら約12万人の兵力を動員して,ようやく鎮圧した。
 こののち,農民たちが,島原の乱のように武器をもって武士と戦闘することはなくなるが,彼らは集団で年貢の引下げや雑税の廃止などを求める運動を展開した。江戸や大坂などの都市でも,米屋や大商人たちを襲う打ちこわしが起こった。(c)こうした運動とともに,社会体制を批判する動きも出てきた
問3 次の文a~dのうち,下線部(b)ののちに起こった出来事を示すものの組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【3】
a 徳川氏は,豊臣氏を滅ぼし,名実ともに全国を支配した
b 幕府は,田畑永代売買の禁令を出した。
c 幕府は,ポルトガル船来航を禁止した
d 幕府は,スペイン(イスパニア)船の来航を禁止した
(1) a・c
(2) a・d
(3) b・c
(4) b・d
問4 下線部(c)に関連して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【4】
(1) 本多利明は,貿易による国富の増進を主張した。
(2) 安藤昌益は,『自然真営道』を著して社会を批判した。
(3) 山県大弐は,尊王論を唱えて幕府を批判した。
(4) 佐倉惣五郎は,世直し一揆を指導した義民とされている。
C (d)20世紀初頭に起こった戦争は,国家予算の6年分以上を費やして遂行され,国民は大幅な増税に耐えて戦争を支えた。戦争による死傷者は20万人以上にのぼった。このことは,国民の協力なしには戦争が不可能であったことを示しており,それは同時に,広く国民が政治にかかわっていくきっかけともなった。
 この戦争の講和条件が伝えられると,犠牲と税負担の増大などへの不満から,民衆による政府批判の運動が全国に広がり,それは大正デモクラシーの起点となった。こののち(e)政治面にとどまらず,社会や文化のさまざまな面で,民衆の影響力が広がりをみせた
問5 下線部(d)の戦争に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【5】
(1) ワシントンで,この戦争の講和条約が締結された。
(2) 政府の「積極外交」政策が,山東出兵という形で具体化された。
(3) セオドア=ローズヴェルト米大統領が,この戦争の講和を斡旋あつせんした。
(4) この戦争の結果,日本は遼東半島の割譲を受けた
問6 下線部(e)に関連して,1910年代から20年代の出来事として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【6】
(1) 雑誌『赤い鳥』に童話と童謡が発表され,児童文学が発展した。
(2) 久米邦武が神道に批判的な論文を書いて非難され,大学を辞職に追い込まれた。
(3) 五・一五事件で犬養毅首相が暗殺され,政党政治が終わった。
(4) 近衛文麿が新体制運動を推進し,民衆の統合をはかった。
第2問 古代の対外関係に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 『漢書』地理志によれば,紀元前1世紀ごろの倭は,100余の小国に分かれ,前漢が朝鮮半島に置いた【ア】郡に定期的に使者を派遣したという。また,『後漢書』東夷伝にも,紀元57年に後漢に朝貢して金印を授かった【イ】国をはじめ,1世紀から2世紀における倭の様子が伝えられている。
 さらに,『魏志』倭人伝によれば,2世紀後半以降,倭は大いに乱れたが,3世紀に入り,30ほどの小国が(a)邪馬台国の卑弥呼を共同で女王に立てることで,乱はおさまったという。卑弥呼の死後,倭は再び乱れ,これをおさめるために,一族の壱与(台与)が女王となる。その後,266年,晋に使者が派遣されたという記事を最後に,それから約150年の間,倭は中国の史書から姿を消す。この間,日本列島では大和政権が成立し,(b)古墳時代を迎えていた。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【7】
(1) ア 帯方  狗奴
(2) ア 帯方  
(3) ア 楽浪  狗奴
(4) ア 楽浪  奴
問2 下線部(a)に関して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【8】
(1) 卑弥呼呪術じゆじゆつを用い,宗教的権威によって政治を行った。
(2) 卑弥呼の政治は,「男弟」によって補佐されていた。
(3) 邪馬台国では,身分は王族と大人に二分されていた。
(4) 邪馬台国では,租税の制度があった。
問3 下線部(b)に関連して,前期古墳について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【9】
(1) 前期古墳は,平野部に盛り土をして築かれるという特徴がある。
(2) 前期古墳は,3世紀後半には九州南部から東北北部におよぶ地域で造られるようになった。
(3) 前期古墳の代表的なものとして,高松塚古墳がある。
(4) 前期古墳の被葬者は,その副葬品から司祭者的な性格を持っていたことが知られる。
B 659年の遣唐使は,(c)朝廷に服属していた蝦夷を連れ,彼らを唐の皇帝に見せて日本(倭)の朝廷による支配の広がりを誇示するとともに,皇帝の歓心を買った。にもかかわらず,その後,一行は長安に幽閉されてしまう。これは当時,唐が,日本の友好国であった(d)百済への征討を準備していたからである。
 遣唐使が帰国したのは,唐・新羅連合軍が百済を滅ぼしたのちの661年になってからであった。そのころ日本では,すでに百済再興に向けて臨戦態勢をとっていた。ほどなく日本は朝鮮半島に大軍を送り,唐・新羅連合軍と戦闘をくり広げる。
 しかし、663年、(e)白村江の戦いで大敗を喫し,ついに半島より撤退した。3年後の666年、唐では朝鮮半島での戦勝を祝賀する式典が催される。その場には日本からも使者が列席していたという。7世紀後半の遣唐使が直面したのは,緊迫し激動する東アジアの厳しい現実であった。
問4 下線部(c)に関して,朝廷の蝦夷支配について述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【10】
I 日本海側の蝦夷支配の拠点として,渟足柵・磐舟柵が設けられた。
II 蝦夷の本拠地の一つである北上川中流域に胆沢城が設けられた。
III 太平洋側の蝦夷支配の拠点として,多賀城が設けられた。
(1) I-II-III
(2) I-III-II
(3) II-I-III
(4) III-II-I
問5 下線部(d)に関連して述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【11】
X 百済僧の曇徴によって,紙・墨・絵の具の製法が日本に伝えられた。
Y 百済僧の観勒によって,暦が日本に伝えられた。
Z 百済滅亡前後に日本へ渡来した王族・貴族の影響もあって,漢詩文の制作がさかんになった。
(1) X 正 Y 正 Z 誤
(2) X 正 Y 誤 Z 誤
(3) X 誤 Y 正 Z 正
(4) X 誤 Y 誤 Z 正
問6 下線部(e)に関連して,敗戦後,中大兄皇子(天智天皇)が行った施策について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【12】
(1) 防衛のために,九州に水城を築いた。
(2) 都を飛鳥から難波の地にうつした。
(3) 都に防人を置いて防御に当たらせた。
(4) 新羅と結んだ九州の豪族磐井の反乱を鎮圧した。
第3問 古代末から中世に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 平安時代には神仏習合思想がさかんになり,(a)院政期以後に激化した興福寺延暦寺の僧兵による強訴の際にも,神木や神輿しんよが持ち出された
 鎌倉時代,元寇が撃退されるきっかけとなった暴風雨を神風とみるなど,日本を神が守る国とする神国思想が広まった。伊勢神宮の神宮【ア】は,『類聚神祇本源』を著すなど,神道の体系化を進めた。その影響を受けた南朝の重臣北畠親房は,著書『【イ】』において「大日本は神国なり」と記した
 室町時代に神道は新たな発展を遂げた。(b)とりわけ,この時代に活躍した吉田兼倶は,将軍足利義政やその妻日野富子に接近するとともに,新たな神道学説を唱えた
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【13】
(1) ア 橘成季  神皇正統記
(2) ア 橘成季  梅松論
(3) ア 度会家行  神皇正統記
(4) ア 度会家行  梅松論
問2 下線部(a)について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【14】
(1) 興福寺の僧兵は,春日社の神木をかついで強訴した。
(2) 延暦寺の僧兵は,春日社の神輿をかついで強訴した。
(3) 白河上皇は,自分の心に従わないものとして,賀茂川の水,双六すごろくさいの目とともに興福寺の僧兵をあげた。
(4) 鳥羽上皇は,自分の心に従わないものとして,賀茂川の水,双六の賽の目とともに延暦寺の僧兵をあげた。
問3 下線部(b)に関して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【15】
(1) 兼倶の代表的な著書に『樵談治要』がある。
(2) 兼倶が主張した神道学説は,唯一神道とよばれた。
(3) 義政の妻富子は,実子義視を将軍に就けようとした。
(4) 義政は,五山派の禅僧である一休宗純を重用した。
B (c)14世紀は東アジアの外交秩序が大きく変動した時代である。中国では元から明への王朝交代による混乱が起こり,日本でも南北朝の動乱がはじまるなど,政治権力が弱体化した。このため,倭寇の活動が激化し,中国や朝鮮に大きな被害を与えた。倭寇は15世紀に入っても横行し,1419年には,朝鮮軍が対馬を倭寇の拠点とみなして攻撃する【ウ】も起こった。
 しかし,その一方で14世紀末以降,しだいに外交秩序が回復され,日本と明・朝鮮との間に国交が開かれた。日明間では明に対する朝貢形式の勘合貿易が行われたのに対し,日朝間では対馬の領主【エ】の管理の下で,幕府,守護大名,国人,商人らが参加した貿易が行われた。
 (d)これらの貿易は1世紀余りにわたって活発に展開されたが,16世紀に入るとまず日朝貿易が衰退し,ついで日明間の勘合貿易も断絶した
問4 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【16】
(1) ウ 刀伊の入寇  宗氏
(2) ウ 応永の外寇  宗氏
(3) ウ 刀伊の入寇  尚氏
(4) ウ 応永の外寇  尚氏
問5 下線部(c)に関連して,この時期の東アジアや日本の情勢について述べた文として誤っているものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【17】
(1) 明は海禁政策を採って,明商人の自由な貿易を禁じた。
(2) 朝鮮半島では,李成桂が高麗を滅ぼし朝鮮を建国した
(3) 後醍醐天皇は,建長寺船を明に派遣して貿易を行った。
(4) 幕府で激しい内紛が発生し,足利尊氏が弟の直義を殺害した
問6 下線部(d)に関して,日明・日朝貿易について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【18】
(1) 日明貿易が開始された際,明の皇帝は天皇に日本国王の称号を与えた。
(2) 日明貿易は,朝貢形式に反発した足利義教によって一時中止された
(3) 15世紀に,ポルトガルとの交易で得た南洋の産物が朝鮮へ輸出された。
(4) 日朝貿易は,朝鮮で起こった三浦の乱を契機に衰退した。
第4問 近世の政治・社会や文化に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~6)に答えよ。(配点 17)
A 江戸時代には,(a)商品経済がいっそうの展開をみせ,商業組織も整備された。主要な商品には専門の卸売市場が設けられるようになった。大坂堂島の米市場,江戸神田・大坂天満の【ア】などは,その代表的なものである。商人の間には仲間組織を作る動きも現れ,幕府もその活動を公認した。10代将軍家治の下で老中となった田沼意次は,株仲間を積極的に公認し,彼らから営業税として【イ】を徴収した。しかしこの時期,商人の活動が活発になる一方で,飢饉ききんの影響などもあって(b)民衆の暮らしは困窮した。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【19】
(1) ア 魚市場  高掛物
(2) ア 魚市場  運上
(3) ア 青物市場  高掛物
(4) ア 青物市場  運上
問2 下線部(a)に関して,商人の活動について述べた次の文として正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【20】
(1) 堺の商人の茶屋四郎次郎は,海外貿易で活躍した。
(2) 江戸では,二十四組問屋が仲間として公認された。
(3) 農村では,商品生産の発達につれて在郷商人の活動が活発になった。
(4) 都市商人の資本による新田開発は,幕府によって禁じられた。
問3 下線部(b)に関連して,江戸時代後期の民衆の暮らしについて述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【21】
(1) 農村では,田畑を手放し,小作人となる農民が増加した。
(2) 都市を中心に貸本屋が現れ,文化の普及に寄与した。
(3) 工藤平助は,雪国の生活や風俗を『北越雪譜』に描写した。
(4) 大原幽学は,農村の復興を指導した。
B 田沼意次や松平定信が政治の実権を握っていたころ,文芸の世界では(c)政治や社会を風刺する川柳や黄表紙などがさかんに出版され,町人を中心に独特な文化が培われていった。意次や定信の政治も川柳や黄表紙の格好の題材となったが,定信の厳しい(d)風俗統制によって弾圧される作者も現れた。
 黄表紙の特色は,実際の出来事や既存の作品を元にしながら,違う話を作り上げる「もじり」の手法にある。1789年に刊行された『孔子縞于時藍染こうしじまときにあいぞめ』の一場面では,(e)江戸のある呉服商が行った「現金かけねなし」の商法をもじって現実を逆転させ,商店の店先に「かけねあり大高売りつかまつり候」の看板を掲げている。
(1)

(2)

(3)

(4)

問4 下線部(c)に関して,当時の世相を風刺した次の川柳の背景について述べた文として正しいものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【22】
役人の子はにぎにぎをよく覚え(『諧風柳多留』)
(1) これは,意次の時代に銀座が設立されたことを詠んだものである。
(2) これは,意次の時代に賄賂わいろが横行したことを詠んだものである。
(3) これは,定信の時代に武道が奨励されたことを詠んだものである。
(4) これは,定信の時代に学問が奨励されたことを詠んだものである。
問5 下線部(d)に関連して述べた次の文a~dについて,正しいものの組合せを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【23】
a 恋川春町の代表的な黄表紙に,『金々先生栄華(花)夢』がある。
b 恋川春町の代表的な黄表紙に,『春色梅児誉美(暦)』がある。
c 柳亭種彦は,寛政改革の風俗統制を受けて処罰された。
d 山東京伝は,寛政改革の風俗統制を受けて処罰された
(1) a・c
(2) a・d
(3) b・c
(4) b・d
問6 下線部(e)について,「現金かけねなし」の新商法を行った商家の様子を描いた絵として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【24】
第5問 近現代の経済・政治に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~8)に答えよ。(配点 21)
A 1880年代後半になると,日本では食糧需要の増大にともない穀物輸入量が増加した。1889年には,日本への穀物輸出を朝鮮で禁止したことが原因となって,【ア】事件が起こっている。また,台湾を植民地化したのち,日本の大資本が【イ】業に進出し,その製品は米穀と並んで日本内地への有力な移出商品となった。
 その後,第一次世界大戦期の米価高騰を受けて,植民地の台湾・朝鮮において米穀増産政策が実施された。それにともなって日本内地では,植民地からの米穀移入量が急増し,米価が下落した。これは,(a)1920年代後半から30年代前半にかけての日本での農業不況の一因となった。
 (b)日中戦争・太平洋戦争期の日本は,米穀を含む資源の多くを植民地と占領地域に依存した。植民地と占領地域を失った(c)戦後の日本は,深刻な食糧危機に直面するが,やがてそれも解消され,高度成長期には「飽食の時代」を迎えた。
問1 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【25】
(1) ア 防穀令  製粉
(2) ア 江華島  製粉
(3) ア 防穀令  製糖
(4) ア 江華島  製糖
問2 下線部(a)の時期の商工業について述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【26】
(1) 第一次世界大戦を契機に急成長した鈴木商店は,この時期破産した
(2) 紡績会社が台湾に工場を設立するようになり,在華紡とよばれた。
(3) 昭和恐慌の影響で,アメリカ市場向けの生糸輸出額が急増した。
(4) 日本窒素(日窒)は,朝鮮進出に失敗して破綻はたんした。
問3 下線部(b)に関連して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【27】
I 日本軍が,マレー半島に奇襲上陸した。
II 大都市では戦局の悪化にともなって集団で学童疎開が行われた。
III 北京郊外で日本軍と中国軍の衝突事件が起こり,日中戦争がはじまった。
(1) II-I-III
(2) II-III-I
(3) III-I-II
(4) III-II-I
問4 下線部(c)に関連して述べた次の文X~Zについて,その正誤の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【28】
X 飯米の獲得をスローガンに,食糧メーデーが開催された。
Y 野口英世がオリザニンの抽出に成功し,栄養状態の改善に貢献した。
Z 政府は激しいデフレーションに対応するために,金融緊急措置令を発した。
(1) X 正 Y 誤 Z 正
(2) X 正 Y 誤 Z 誤
(3) X 誤 Y 正 Z 誤
(4) X 誤 Y 正 Z 誤
B (d)日露戦争終結ののち,日本は韓国を保護国化して統監府を置いた。その数年後には,韓国併合を行い,首都【ウ】を京城として改称して,朝鮮総督府を置いた。
 朝鮮総督は天皇に直属し,その資格者は現役武官に限定されていた。その後,総督資格者が文官にも拡大されたが,結果的には,武官のみが総督に任命された。斎藤実は,総督経験者のなかで唯一の【エ】出身者であった。(e)斎藤は,五・一五事件直後に総理大臣に就任した
 日本の敗戦とともに朝鮮は解放を迎えた。ただし,米ソの対立という構図の下で(f)朝鮮半島は南北二つの国家に分断され,今日に至っている。
問5 空欄【ウ】【エ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【29】
(1) ウ 漢城 海軍
(2) ウ 奉天 陸軍
(3) ウ 漢城 陸軍
(4) ウ 奉天 海軍
問6 下線部(d)に関連して述べた文として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【30】
(1) 石井・ランシング協定によって,アメリカは日本の韓国保護国化を承認した。
(2) 日英同盟(日英同盟協約)が改定され,イギリスは日本の韓国保護国化を承認した。
(3) 総督府は,義和団事件を鎮圧した。
(4) 総督府は,韓国での土地調査事業を完了した。
問7 下線部(e)の人物が首相在任中の出来事として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【31】
(1) 蒋介石が北伐を開始した。
(2) 日本政府は,日満議定書を締結して満州国を承認した
(3) 企画院が物資動員計画の策定を開始した。
(4) 枢密院が設置された。
問8 下線部(f)に関連して述べた文として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【32】
(1) 日本からの解放後,朝鮮半島の南部には大韓民国が建国された。
(2) 朝鮮戦争では,中国は義勇軍を送って朝鮮民主主義人民共和国を援助した。
(3) 連合国による日本占領が終了した後,朝鮮戦争がはじまった。
(4) 佐藤栄作内閣の下で,日本は大韓民国との国交を正常化した。
第6問 近代以降における学問や文化に関するA・Bの文章を読み,下の問い(問1~4)に答えよ。(配点 11)
A (a)明治維新以来,欧米文化の摂取が積極的に進められた。学問の世界では,当初,外国人教師を招いて研究が行われたが,やがて日本の学者の手によって各分野の専門研究がなされるようになった。その結果,(b)明治後期の日本の科学は飛躍的な発展を遂げ,世界的な水準に達する研究も発表されるようになった。
問1 下線部(a)に関連して述べた次の文I~IIIについて,古いものから年代順に正しく配列したものを,下の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【33】
I 岩倉具視を全権大使とする遣外使節団が,欧米に向けて出発した。
II 多くの外国人教師を指導者として招き,東京大学が開設された。
III 鹿鳴館が,外国要人接待の社交場として使用された。
(1) I-II-III
(2) II-I-III
(3) II-III-I
(4) III-II-I
問2 下線部(b)に関して,この時期の出来事として正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【34】
(1) 田中館愛橘は,赤痢菌を発見した。
(2) 高峰譲吉は,アドレナリンを発見した。
(3) 湯川秀樹が,ノーベル賞を受賞した。
(4) 志賀潔は,地磁気の測定で成果をあげた。
B 1887年に発表された『浮雲』は,【ア】という新たな形式で書かれた小説であった。この形式は,20世紀初頭に普及し,このころから,小説や雑誌の読者も急速に増加した。1920年代の半ばになると【イ】にみられるように大量出版の時代が到来した。
 その一方で,政府は,明治初年の出版条例やその後の出版法によって,出版を取締りの対象としてきた。出版物に対する統制は,特に(c)満州事変以降の時代に厳しさを増した。
問3 空欄【ア】【イ】に入る語句の組合せとして正しいものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【35】
(1) ア 戯作  『日本人』の創刊
(2) ア 戯作  円本の誕生
(3) ア 言文一致体  『日本人』の創刊
(4) ア 言文一致体  円本の誕生
問4 下線部(c)に関連して,この時期の出来事として誤っているものを,次の(1)~(4)のうちから一つ選べ。【36】
(1) 自由主義的な刑法学説が問題にされ,滝川幸辰ゆきときが大学を休職させられた
(2) 新聞紙条例が制定され,新聞・雑誌の弾圧が行われた。
(3) 政府の大陸政策を批判したために,矢内原忠雄が大学を追われた。
(4) 反ファッショ人民戦線の結成をはかったとして,学者らが検挙された。