2004年度 センター試験【世界史B】解説
第1問
問 1
(1)農民政党であるブルシェンシャフトの運動
→教科書P236、6~8行目「……ドイツの大学生の同盟によるブルシェンシャフト運動、」
  大学生の団体であるブルシェンシャフトを農民政党としている点で、判別可能。
(2)フランクフルト国民議会は終始,オーストリア中心のドイツ統一を求めることで一致していた。
→教科書P241、8~17行目「ドイツ各地の自由主義者は「統一と自由」をかかげてフランクフルト国民議会を開き……小ドイツ主義を決議して……」
 オーストリアを除外してプロイセン中心の統一を主張する小ドイツ主義が採択されていることから、判断可能。
(3)ポーランドでは,フランスの支配からの独立を目指す
→教科書P247、24~25行目「アレクサンドル2世は、農民一揆やポーランドの大規模な反乱に直面すると……」
 アレクサンドル2世に思い至らなくても、18世紀のポーランド分割にフランスが加わっていないこと、ウィーン会議でポーランド王国の国王をロシア皇帝が兼ねたことなどからも十分判断可能。
(4)マッツィーニの率いる「青年イタリア(青年イタリア党)」
→教科書P240、17~18行目「マッツィーニは、共和政と統一をめざす青年イタリアをひきいて、……」
 イタリア統一運動の中心は、ごくおおざっぱに、七月革命まではカルボナリ、二月革命までは青年イタリア、二月革命以後はサルディニア王国と覚えておくと便利。
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問 2 国家の独立
(1) →教科書P238、18~22行目「七月革命の影響を受けて、ベルギー(南ネーデルラント)がオランダから独立して……」
 ウィーン会議から第一次世界大戦までに、ヨーロッパで独立を達成した国としては、ウィーン体制動揺の先駆けとなったギリシア独立(1821~30)と、七月革命の影響で独立したベルギーを抑えておきたい。
(2) →教科書P303、15~20行目「……1922年、アイルランド自由国が発足した(1937年エールと改称)」
(3)(4) →教科書P305、17~21行目「ドイツ・オーストリア=ハンガリー・ロシアの3帝国が解体したことにより、……リトアニア・ラトヴィア・エストニア・フィンランドが、新しい独立国として誕生した。」
 第一次世界他戦後に東ヨーロッパに多くの独立国が誕生した。これらの国を地図でも確認しておきたい。また、長年独立運動を続けたポーランドとアイルランドが独立を達成したことに注目。
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問 3 【ア】における勝利を記念してドイツで建設されたもの
   フランスで1878年に設置された「共和国」像
(1)
→教科書P228、26~27行目「諸国は……1813年にライプツィヒの戦い(諸国民戦争)でナポレオンをやぶった。」
→教科書P243、6~8行目「ナポレオン3世降伏の報に、パリで共和政が宣言された(第三共和政)が、……」
 設問文中に、【ア】の勝利から百周年に当たる1913年に、記念碑が建設されたとある。このことから、19世紀初頭の戦争、ナポレオンと連想していけば判断できる。また、1878年に設置された「共和国」像という文章から、【イ】が第三共和政であることが判断できる。フランスの政体の変遷は必須項目である。
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問 4 満州(満洲)事変に抗議して,五・三〇事件が起こった。
(3)
→教科書P309、25~P310、1行目「1925年3月、孫文は病死したが、国共提携の国民党は5月30日以来高揚した反日・反英の五・三○運動を背景に、広州に国民政府をたて……」
 五・三○事件は、孫文が死亡した年の出来事であり、その後成立した国民政府が北伐により中国を統一した。満州事変で日本が戦ったのは国民政府であることから誤りであると判断できる。
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問 5 日本による併合と同時に,創氏改名が実施された。
   第二次世界大戦中,日本への強制連行が行われた。
(3)(4)
→教科書P327、2~19行目「日中戦争がはじまると、……各地の植民地住民に対する「皇民化」政策を強行した。朝鮮では……「創氏改名」など、徹底した日本への同化政策をおしすすめた。……日本は、太平洋戦争遂行のために……70万人に及ぶ朝鮮人が強制的に日本に連行され……」
 創氏改名・強制連行が韓国併合以来ただちに開始されたものでないことに注意したい。(1)伊藤博文が務めたのは、第二次日韓協約(1905)によって設置された、韓国の外交権を握る初代統監。韓国併合により設置された初代総督を務めたのは寺内正毅。
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問 6 下線部(6)の運動
(1)
→教科書P307、16~P308、4行目「第一次世界大戦中に提起された民族自決の原則は……1919年3月1日、ソウルで宗教・文化界の名士33人が「独立宣言」を発表し、……」
 この運動が三・一運動であることは、リード文中に引用されている史料の「何百万という朝鮮人が、この三月一日には食を忘れたと思う。……『見ろ、わしは死ぬ前に朝鮮の独立に会えるのだぞ!』」より判断できる。
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問 7 1970年代に,パキスタンから分離してバングラデシュが独立した。
(4)
→教科書P361、9~11行目 「南アジアでは、1971年に東パキスタンで独立運動がおこり……バングラデシュ人民共和国が成立した。」
  (1)→教科書P336、10~13行目「日本の敗戦後、朝鮮では……北部にはソ連軍が、南部にはアメリカ軍が進駐して南北の対立が深まった。」
 (2)→教科書P340、12~14行目「ヴェトナム南部では、1955年に親米的なゴ=ディン=ディエム首相が、……ジュネーヴ協定による統一選挙を拒否して独裁政治をおこなった。」→教科書P350、5~8行目「……1975年4月、南ヴェトナム解放民族戦線とヴェトナム民主共和国の軍隊による攻撃で、サイゴンが陥落した。」
 (3)→教科書P354、16~19行目「1989年……ベルリンの壁がくずされた。」
バングラデシュの成立年が解らなくても、消去法で解答できる。第二次世界大戦後に、冷戦を背景として生まれた分断国家は頻出事項。
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問 8 イランの立憲革命(立憲運動)は,イギリスとフランスの干渉によって挫折ざせつした。
a→教科書P281、13~19行目「イランでは、……1905年にはじまる立憲革命により、1906年には王政下に国民議会の開設と憲法の制定がおこなわれた。しかし、イギリス・ロシアの干渉が強まり……」
  英露協商(1907)に基づいて、イギリスの黙認の下でロシアの軍事干渉が行われた。
オスマン朝では,19世紀後半に,ミドハト憲法が発布された。
b→教科書P281、1~12行目「宰相ミドハト=パシャのもとで、1876年にミドハト憲法が公布されたが……」
  大日本帝国憲法(1889発布)に先立って公布された。
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問 9トルコでは,アラービー(オラービー)=パシャがスルタン制を廃止した
(1)
→教科書P312、1~15行目「……ムスタファ=ケマル(ケマル=パシャ)らは独立をめざして蜂起し、……スルタン制を廃止し、アンカラに臨時政府を組織した(1920年)……」
  戦間期の民族運動を説明しているが、内容が間違っている。アラービー=パシャはエジプト民族運動の指導者。1881~82年に反英武装蜂起を指導した。
エジプトでは,第一次世界大戦後,ワフド党が反英民族運動を展開した
(2)
→教科書P312、16~21行目「大戦中イギリスの保護国となったエジプトは、……大戦後、ワフド党が独立運動を展開し、……」
  ワフドとは「代表」の意。第一次世界大戦後ワフド党の活動もあり、エジプトは王国として形式的に独立した。第二次世界大戦後、自由将校団が革命を起こし、エジプトは共和国となった。
(3)
アラビア半島では,第二次世界大戦後にサウジアラビアが建国された
→教科書P313、2~4行目「サウジアラビアでは、……1932年サウジアラビア王国をたて独立した。」
  時期が違っている。サウジアラビアの独立も戦間期。
シリアは,イギリスの委任統治から独立した
(4)
→教科書P312、23~P313、2行目「……シリアはフランスの、イラク・ヨルダン・パレスティナはイギリスの委任統治領となった。レバノンはフランスの委任統治下で1920年シリアから分離され……」
  戦間期の西アジア情勢を説明しているが、内容が間違っている。この地域の歴史はパレスティナ問題を理解する上でも重要。
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問10 シュメール人は,都市国家ウルを建設した
(1)
→教科書P24、6~7行目「前3000年ごろ、シュメール人が下流域にウル・ウルク・ラガシュなどの都市国家を建てた。」
  基礎的な設問。第1問は世界史Aとの共通問題なので、前近代史はごく基礎的な事項が問われる。
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第2問
問1 エヴァンズにより,この文明の遺跡が発掘された
(1)
→教科書P27、7~14行目「ドイツのシュリーマンは……トロイの遺跡を発見し、ミケーネの王墓も発掘して、……エヴァンズは、クノッソスの王宮を発掘し……」
  クレタ文明とミケーネ文明の弁別は、頻出事項。
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問2 ナポレオン1世の出身地であった
(3)
→教科書P226、5~6行目「コルシカ島にうまれたナポレオンは……」
 ナポレオンがコルシカ島に生まれたことは、よく知られている。地図中bがシチリア島であることさえわかれば、(3)が誤りであることが判断できる。
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問3 19世紀半ばにイタリアを統一した国王
(3)
→教科書P244、8~P245、9行目「1849年にサルデーニャ王国の王位についたヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は……イタリア王国が成立した。」
  イタリア統一の核となったサルデーニャ王国を知っていても、地図中cの島がサルデーニャ島であることを知らなければ、解答できない。地図中a~dの島は、世界史上重要な島である。地図で地名を確認する習慣を身につけていれば、問1、問2も楽に解答できるはずである。
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問4 ウィンドボナ(ヴィンドボナ)
(1)
→教科書P45、注(4)「パリ・ロンドン・ウィーン・リヨン・ケルンなどの都市が、ローマの時代に起源をもつ。」
  ウィンドボナとは、現在のウィーン、(3)ルテティアとは、現在のパリ、(4)ロンディニウムとは、現在のロンドン。本問はギリシアの植民市を問うているが、ローマに起源を持つ都市が問われることもあるので注意したい。
タレントゥム(タラス)
(2)
→教科書P32、注(1)「代表的な植民市には、マッシリア(マルセイユ)・ネアポリス(ナポリ)・シラクサなど……」
  ローマは、前272にギリシア植民市タレントゥムを征服し、イタリア半島を統一した。上記教科書にある三都市の他、タレントゥムとビザンティオンも地図で位置を確認し覚えておきたい。
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問5 バイロンは,イギリスのロマン主義を代表する詩人である
(3)
→教科書P236、注(3)「イギリスの詩人バイロンは義勇軍に参加し、フランスの画家ドラクロワは「シオの虐殺」を描いてオスマン帝国を批判した。」
→教科書P254、表
 ロマン派の詩人バイロン(英)とロマン派の画家ドラクロア(仏)がともに、ギリシア独立を支援したことは興味深い。
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問6 19世紀のイタリア王国の対外政策
(4)
→教科書P283、6~10行目「イタリアは、1895年にエチオピアに侵入したが、翌1896年アドワの戦いでエチオピアにやぶれた。……」
  国家統一が遅れたイタリアは、19世紀末にアフリカ分割に加わった。しかしエチオピア侵入には失敗した。1911~12年のイタリア=トルコ戦争でトリポリ・キレナイカ(現在のリビア)を獲得した。
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問7 君主はカリフを称した
(4)
→教科書P104、14~20行目「シーア派は、……ファーティマ朝をおこし、……この王朝の君主は、カリフを称してアッバース朝の正統性を否定した。……」
  ファーティマ朝でおさえるべき点は、(1)シーア派 (2)チュニジアで建国しエジプトも支配 (3)カリフを称しアッバース朝に対抗 (4)カイロを建設 (5)この時代にアズハル学院設立 の五点。
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問8 アズハル学院(マドラサ)が建設された
(1)
→教科書P104、写真キャプション「アズハル=モスク:10世紀後半にカイロにたてられたモスクで、マドラサも併設された。」
  第2問、問7の を参照
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問9 アルハンブラ宮殿が,この半島のコルドバに建てられた
(3)
→教科書P107、17~20行目「そのころ、イベリア半島では……コルドバ・セビリャなどもうばわれて、グラナダのナスル朝だけが1492年まで独立を保った。」
→教科書P107、写真キャプション「ナスル朝のアルハンブラ宮殿」
  アルハンブラ宮殿ナスル朝が残したものであり、ナスル朝の都はグラナダ(コルドバは後ウマイヤ朝の都)であったことから判断できる。
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問10 サラーフ=アッディーン
(4)
→教科書P106、17~22行目「その軍のクルド人部将サラディン(サラーフ=アッディーン)は、……アイユーブ朝をひらいた。スンナ派を復興し、……」
 クルド人部將サラーフ=アッディーンについておさえるべき事項は、(1)ファーティマ朝に代わってスンナ派のアイユーブ朝を建てたこと、(2)イェルサレムを奪回して第3回十字軍と戦ったこと、の二点である。
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第3問
問1 -ヴァロワ  -ナントの勅令
(3)
→教科書P181、22~P121、5行目「16世紀のフランスでは……ユグノー戦争と呼ばれる内乱が生じた。……その過程でヴァロア朝がたえて……ナントの王令を発してユグノーにも信仰の自由を認め……」
 フランス王国の王朝は、カペー朝(987~1328)ヴァロア朝(1328~1589)ブルボン朝(1589~1792、1814~30)の三つ。ナントの王令(勅令)は、成立の事情・内容とともに、その廃止がフランスに与えた経済的な影響もおさえておきたい。(教科書P183参照)
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問2 カルヴァンは,魂の救済は神によりあらかじめ定められていると説いた
(2)
→教科書P172、4~15行目「……カルヴァンが母国をのがれてジュネーヴに移り、……魂の救済ははじめから神の予定するところであるという予定説……」
 カルヴァン派の大きな特徴である予定説は、内容だけでなく近代資本主義形成に与えた影響もまとめておきたい。また、カルヴァンが神政政治を行ったジュネーヴ、カルヴァン派信者に付けられた各地の呼称も頻出事項である。
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問3 三部会はルイ13世の治世下に召集されて以来開かれなかったが,ルイ16世によって召集された
(3)
→教科書P182、6~8行目「次のルイ13世のもとで宰相になったリシュリューは……三部会を停止するいっぽう……」
→教科書P221、3~13行目「……国王ルイ16世は、テュルゴーやネッケルを起用して……貴族たちがこれに抵抗し、1615年以降ひらかれていなかった三部会の召集を要求した。」
 フランス絶対王政を確立させるために尽力した、ルイ13世と宰相リシュリューの時代以降召集されなくなった三部会が、ルイ16世の時代に召集されるとフランス革命の契機となった。
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問4 中世イタリアのサレルノ大学は,医学で有名となった
(2)
→教科書P159、6~12行目「12世紀ごろから各地に大学がうまれ、……なかでも、パリ大学・オクスフォード大学の神学部、最古の大学といわれるボローニャ大学の法学部、サレルノ大学の医学部などが名声を博した。」
 「ヨーロッパの医学や治療について」の設問と銘打っているが、各選択肢は文化史の基礎事項であり、中世の大学について理解していれば充分判断できるようになっている。
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問5 人の本性を善とする性善説を唱えた
(4)
→教科書P69、14~15行目「戦国末期の荀子も儒家であるが、孟子の性善説に対して性悪説を唱え……」
 諸子百家の基本事項を理解していれば、解答できる。孟子の性善説、荀子の性悪説はセットでおさえておきたい。
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問6 司馬炎は,江南で,匈奴に滅ぼされた晋を復活させた
(2)
→教科書P80、8~17行目「263年、魏は蜀を滅ぼしたが、2年後臣下の司馬炎(武帝)に禅譲し、……晋の司馬氏一族は匈奴に洛陽をうばわれて江南にのがれ、司馬睿が建康(呉の建業)に都をおいて晋を再建した(東晋)。」
 やや細かめな知識を必要とするが、判断のポイントを波線部で指示してくれているので解答しやすい。
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問7 匈奴は,冒頓単于の下で強力となり,月氏や漢を圧迫した
(2)
→教科書P75、17~23行目「……匈奴は……冒頓単于にひきいられて強力となり、東胡や月氏などをうち、漢の高祖の遠征軍を包囲してやぶり……」
 月氏を圧迫したことは、武帝が張騫を大月氏国に派遣して匈奴挟撃を呼びかけたことから、漢を圧迫したことは、武帝以前の消極的な対匈奴外交から判断できる。武帝以前の漢は匈奴に服属していた、と言っても過言ではない。
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問8 西アジアでは,ブワイワ朝がバグダードに入城した
(1)
→教科書P104、7~13行目「10世紀前半、西北イランでシーア派のイラン系ブワイフ朝が台頭した。946年、バグダードに入城して……」
  下線部(7)の五代十国が10世紀であり、ブワイフ朝のバグダード入城と時期が一致すると判断できる。また、(2)吐蕃の統一、(3)玄奘が会ったハルシャ=ヴァルダナ、(4)南詔の成立が、いずれも唐の時代であることから、消去法でも判断できる。
問9 政教分離が徹底された
(4)
→教科書P142、10~14行目「……キリスト教を皇帝の支配下において(皇帝教皇主義)……」
 たとえ皇帝教皇主義に思い至らなくても、前近代において「政教分離が徹底された」などということはあり得ないとの、常識的な判断で解答可能。
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問10  アルタン=ハンの下で勢力を拡大した
(1)
→教科書P207、7~9行目「……16世紀にはタタールのアルタン=ハンがしばしば長城内に侵入して明を苦しめた。」
  アルタン=ハンは、明を苦しめたタタールの支配者。
ガザン=ハンの下でイスラム教を受容した 
(2)
→教科書P106、7~9行目「……イル=ハン国をたて、第7代のガザン=ハンは、イスラームを受容して……」
  ガザン=ハンはイル=ハン国の支配者。
都はサライと呼ばれた 
(3)
→教科書P125、地図
  キプチャク=ハン国の都を判断させるのはかなり厳しいが、(1)(2)(4)がさほど細かい知識を問う選択肢になっていないので、消去法で解答できる。
セルジューク朝を征服した
(4)
→教科書P105、14~P106、3行目「……領域内は王族に分割され、12世紀には、大イクター所有者の自立がすすみ、また遊牧民の反乱も起こった。」
  セルジューク朝は12世紀末に分裂したのであって、いずれかの国に征服されたわけではない。
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問11 19世紀後半にロシア帝国は,アメリカ合衆国にアラスカを売却した
(3)
→教科書P253、12~16行目「……合衆国は、1867年にロシアからアラスカを買収し、……」
  合衆国の領土拡大は頻出。ルイジアナ買収(1803)からカリフォルニア獲得(1848)までをまとめるだけでなく、アラスカ買収(1867)・ハワイ併合(1898)そして米西戦争(1898)の結果フィリピン・グアム・プエルトリコを獲得し、キューバを事実上の保護国としたことも併せて確認しておきたい。
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第4問
問1 金は,猛安・謀克制と呼ばれる軍事・行政組織を採用した
(1)
→教科書P121、8~12行目「金は……女真族には部族制を再編した猛安・謀克の制を、……」
  金についての基礎事項である。猛安・謀克制は女真族を対象としたものであり、漢族に対しては州県制をしいて二重統治体制を採用した。
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問2 両税法は,唐の楊炎の意見によって実施された税制である
(2)
→教科書P88、5~11行目「……宰相楊炎の提言で租庸調制にかわって両税法が実施された。……」
  中国の税制に関する基礎問題。「楊炎の意見」が何よりのヒントになっている。中国の税制は頻出分野であるので時代ごとの制度を整理しておきたい。
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問3 宋の開封は,黄河と大運河が合流する交通の要衝に位置していた
(3)
→教科書P117、13~15行目「後周の武将趙匡胤(太祖)は、960年宋(北宋)を建国し、開封(?州)に都をおき……」
  経済が発展した宋代を象徴しているのが、交通の要衝=黄河と大運河の合流する地域に位置していた、都の開封である。資料集などで重要な都市の位置を確認しておきたい。
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問4 景徳鎮は世界的な絹織物生産地に発展した
(4)
→教科書P121、21~P122、4行目「……景德鎮は陶磁器の代表的産地となった。……」
 景德鎮とくれば、陶磁器の産地。基礎的な事項であるばかりか、波線部で判断のポイントも指定してくれている。このような問題を、取り落とさないよう気を付けたい。
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問5 シャイレーンドラ朝では,ボロブドゥールなどのイスラム寺院が建立された
(1)
→教科書P63、4~6行目「……シャイレーンドラ朝をおこして発展し、また大乗仏教を保護して壮大なボロブドゥールを造営した。」
 東南アジア島嶼部に、イスラームが広がるのは13世紀末以降である。
パガン朝では,スリランカから入った大乗仏教が普及した
(2)
→教科書P114、18~20行目「ピューの衰退したあと、ビルマ人が11世紀なかばにパガン朝をたて、……12世紀末にスリランカの仏教を学び、上座部仏教がととのえられた。」
 スリランカの上座部仏教13世紀頃から、ヴェトナムを除く大陸部でヒンドゥー教・大乗仏教に取って代わった。
シュリーヴィジャヤでは,仏教が保護され,アジャンター石窟せつくつ寺院が建立された
(3)
→教科書P59、22~26行目「グプタ朝時代……アジャンター石窟寺院の壁画など、インド的様式を完成させた。」
 シュリーヴィジャヤで大乗仏教が繁栄していたことは、義浄の『南海寄帰内法伝』でも知られているが、アジャンター石窟寺院とは無関係である。
ヴェトナムでは,漢字を利用してチュノム(字喃)が考案された
(4)
→教科書P118、9~12行目「ヴェトナム北部は……13世紀には陳朝がおこった。陳朝は元の侵入を撃退し、漢字をもとにした字喃を国字とした。」
 陳朝については、元を撃退したことと字喃をぜひ覚えておきたい。
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問6 ルイジアナを領有した
(3)
→教科書P189、13~18行目「フランスは、コルベールの重商主義政策によって、1664年に東インド会社を再興し……北アメリカにおいても、17世紀末にカナダとルイジアナに広大な植民地を……」
 地名を覚えるだけでなく、地図で位置を確認しておきたい。ルイ14世に関する選択肢には(1)親征開始後のフロンドの乱→正しくは親征開始前 (2)東インド会社の創設→正しくは再建などの引っかけがよく使われることにも注意したい。
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問7 トゥングー(タウングー)朝が,ビルマ(ミャンマー)を統一した
(3)
→教科書P204、2~5行目「ビルマでは、パガン朝滅亡後の分裂状態をタウングー朝が統一し……」
 リード文より、アユタヤ朝が成立したのが14世紀半ばであることが解る。タウングー朝成立が16世紀前半であることを知らなくても、(2)(4)が明らかに時期がずれており、(1)が間違いであることは判断が容易であるので、消去法で解答可能。
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問8 インドを自国の綿製品の市場とした
(4)
→教科書P263、8~21行目「……イギリス本国で作った機械製綿布をインドにもちこみ、かつてはイギリスに輸出されていたインド伝統の手織綿布を衰退させた……」
 イギリスのインド支配に関する基礎的な設問。(1)の「全インドを直接支配」したのが、インド大反乱後であることに注意しよう。
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問9 シャンデルナゴル
(4)
→教科書P189、13~18行目「フランスは、コルベールの重商主義政策によって、1664年に東インド会社を再興し……インドにおいてはポンディシェリ・シャンデルナゴルを拠点として……」
 単に地名を覚えるのではなく、地図で位置を確認し、出来ればイギリスの拠点と関連づけてマドラスの近くのポンディシェリ、カルカッタの近くのシャンデルナゴルとおさえておきたい。
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問10 1920年代に,カルカッタで英印円卓会議が開かれた
a
→教科書P311、1~10行目「……イギリスは、ロンドンで英印円卓会議をひらいて打開をはかり……」
 1929年にラホールで開かれた国民会議派大会で「プールナ=スワラジ(完全自治)」の要求が決議されると、事態打開をはかってイギリスが英印円卓会議(1930~32)を開いた。この文は、開催時期・場所がともに間違っている。
b
カルカッタで開催された大会で,国民会議派はスワデーシー(国産品愛用)などの方針を採択した
→教科書P283、13~25行目「……国民会議派は、翌1906年のカルカッタ大会で、ベンガル分割令反対とともに英貨排斥・国産品愛用(スワデシ)・自治獲得(スワラジ)・民族教育の4綱領を決議し……」
 ベンガル分割令とカルカッタ大会、大会で決議された4綱領は頻出事項。
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